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旧友からの電話

★ある時、電話がかかって来るのです。出てみると友人のKからでした。

「今日、二人でまた飲みに行かないか。いつもの場所で待ってるから」
そう言うのです。彼とは中学からの親しい仲でした。大学を卒業して数年間は音信不通の時代もあったのですが、彼の結婚式をきっかけに再会、それからまたひんぱんに会うようになったのです。

電話を置くと、僕はいつもの場所へと向かいます。ところが妙なのです。待ち合わせの場所へと行こうとするのですが、その日に限って中々たどり着けないのです。

「おかしいな」と想いつつ、先へ進めば進むほど、なぜか見知らぬ場所に出くわして、道に迷ってしまうのです。僕は妙な胸騒ぎを覚え、やみくもに街中を探し歩くのですが、どうしても見つけることが出来ません。そしてとうとう、彼に会うことはなかったのです。

「いったい、どうなっちゃたんだ?」
そう想ったとたん、ハッと目が覚めました。・・夢だったのです。

彼には会えるはずがありません。彼は10年ほど前に病に倒れ、すでに亡くなっているからです。享年46歳だったと記憶しています。

この夢は、かつて彼の三回忌が近づいた頃に見たものでした。あの、遠くから聴こえて来るような、夢の中の電話の声が、いつまでも耳に残っていたのを覚えています。

彼とは中学時代に、その他の数人と「心霊研究」や「同人誌の出版」など、さまざまな風変わりなことを仕出かした仲でした。周囲から変人扱いされてましたが、むしろそれを楽しんでしまうような、そんなヤツらでした。

ところがです。リーダー格だったそのKが亡くなったあと、彼のお通夜にも来ていた仲間の一人、Tが、なんとその一ヶ月後に急死すると言う悲劇が起こり、さらに驚かされました。

もちろん同じ46歳です。聞いたところによると、自宅のパソコンに向かったまま、眠るように息絶えていたそうです。彼は若いころアパートの火災に合い、肺を火傷したことが原因で、決して体が強い方では無かったのですが、それでも「まさか!?」と想ったものです。


・・で、じつは先日、我々の草野球チーム・ゴブリンズの、かつてのメンバーであったヤマグチ君が突然亡くなったと言う知らせがあったのです。その彼も享年46歳だったと聞いて、とても驚きまして、ほぼ同じ年齢で亡くなった中学時代の仲間二人のことを思い出した、と言うわけなのです。やはり、このくらいの年齢と言うのは、健康の節目の一つなのかも知れません。

ヤマグチ君とも、もう10年くらいは会ってなかったでしょうか。メンバーになった当初、彼は言ってました。「ゴブリンズに行けば何か面白いことが起こりそう」「ゴブリンズはCG業界のあこがれのチーム」だと・・・

今ではCG業界もゴブリンズもすっかり様変わりして、もはや知る人も無いでしょうが、当時の我々は、周囲にそんな印象を与えるくらいの、風変わりでバカバカしいことをやっていたのかも知れません。(ゴブリンズは元々、CGプロダクションの社内チームとして誕生しました)

中学時代の友人もそうなんですが、どんなに楽しい鮮やかな記憶があっても、歳を取ってから語り合う仲間がいなくなるのは寂しいものです。

ヤマグチ君の場合はもちろんゴブリンズ。結成して間もないポンコツ弱小チームだったゴブリンズを、みんなが色んな形で盛り上げ「CG業界のあこがれのチーム」とまで言わしめたあの頃の、ある種の熱気?を知っている数少ないメンバーの一人だったと言うことです。

そこで今回は、ヤマグチ君とでかけた最後の旅?のことをお話ししたいと想います。これは1997年、ゴブリンズのメンバー半数以上が仕事のため日本を離れることになり、事実上の活動停止に追い込まれたその年の、初夏から夏にかけての出来事です。二話あります。(下記のリンクへどうぞ)

◎「第一回:ゴブリンズ探検隊・中里海岸物語」
◎「第二回:ゴブリンズ探検隊・探検隊 in 鴨川」


・・それと、余計なことではありますが、かつての心霊研究家?のはしくれとしては、こんな時「永眠」とか「安らかな眠り」とは、やはり考えないものなのです。いつもこう想います。
「一人の生命体がその役割を終え、形を変えて、より高みへと昇華する一つの過程である」と・・・









  

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