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ドーハならぬ「ドームの悲劇?!」プレミア12・侍ジャパン敗退!

★プレミア12が終わりました。今回のシリーズのハイライトは何と言っても、決勝トーナメントの韓国戦だったでしょう。かつてサッカーW杯の予選では「ドーハの悲劇」なんてのがありましたが、今度のは「ドームの悲劇」とでも言うんでしょうか。

とにかくもう大騒ぎで、「抗議殺到、急浮上する侍J小久保監督の去就問題」なんだそうですよ。「継投策の大失敗」だの「ヘボ監督」だの大変なことになってます。(負けるといつもこうですな)

僕はとにかく、以前のブログ記事でも書いてますが、終わってからあれこれと批判を言わない主義なので、今回の小久保監督の采配に関して何も言うことは有りません。「勝負」とはこう言うものだからです。絶対なんてことは有りません。何が起こるかわからない、だからスポーツは面白いんです。

とは言え、もともとこのブログは、草野球チームのキャプテンのエッセイとして書き始めたものだったので、いちおう?野球ネタとして、せん越ながら書き残しておこうかと思いました。

僕が思うに「小久保監督」とは、多くの人々が大会の主旨もわからず、イマイチ盛り上がりに欠けていた「プレミア12」を、奇跡的な逆転劇などで勝ち進み、テレビの視聴率をウナギ昇りにさせ、売り上げイマイチだった決勝トーナメントの入場券を完売させた、最大の功労者と見るべきだと思っているのです。

でも「85球しか投げてない大谷投手を交代させる致命的なミスを犯してるんだぜ!」と、怒り心頭の人たちも多いようですが、じつは、小久保監督は「球数制限のある試合」を意識した采配、つまりWBCのシミュレーションと言う命題も担っていたわけなのです。当初こそ本人も「プレミア21は球数制限の無いガチ勝負」と言ってましたが、現実には、全ての試合で先発投手が7イニング以上投げることは有りませんでした。

本来、彼に託されたモノとは「WBCの王座奪還」だからなんです。こう言っちゃなんですが、「プレミア12」とは、大義はいろいろと言われてますが、所詮はWBCの裏大会なんです。だからアメリカ代表はマイナーの選手しか集めなかったし、本気だったのは日本と韓国くらいで、そう言う大会での優勝は、残念ながらホントの意味の王座奪還とは言えないわけなのです。

大谷投手は、次回WBCでも中心選手となる公算は高いです。しかしながらその時には、否応なしに球数制限で交代しなければなりません。今回はそんな状況下で勝つにはどうすれば良いか、そのデータ集めでもありました。まあ、データ集めにしては、あまりに悲劇的な最後を迎えることにはなりましたが・・

「ドームの悲劇」の要因は、小久保監督の投手起用ミスとか、嶋捕手のリードミスとか言われてますが、初回から試合全体を見ていた印象では、どうも違いますね。あえて言うなら、最大の敗因は「打線の怠慢」です。

僕はつねづね「ノックアウトできないボクサーは、チャンピオンになる資格が無い」と思っていまして(素人が生意気にすみません・・)それは野球についても同じです。「相手を、投手・守備・打撃の全てで圧倒しなければダメだ」と思っているのです。この試合、もし大谷投手が完投勝利したとしても、韓国側は「日本には負けていない。大谷に負けたのだ」と言い張るでしょう。それじゃあダメなんです。(オレが一番、侍Jにキビしいかも?)

経過を思い起こすと、日本代表は4回に韓国から3点のリードを得ましたが、最初のタイムリー以外は、韓国の送球エラーで得た点数です。もしエラーが無ければダブルプレーが完成し、1点だけで終わっていた回でした。つまり打線がまったく打ててなかったのです。その後、再三に渡る得点圏のチャンスを作りながら、1本のタイムリーも打てなかった、これが「流れ」という意味の敗因を呼び寄せてしまったのです。

テレビの解説者も何度もそのことに触れてましたよね。で、けっきょくそのシワ寄せは「嫌な流れ」となり、最終回に一気に押し寄せて来るのです。もしあと1点、1点だけ取れていれば、流れは断ち切られ、9回の逆転劇は無かったでしょう(恐らくですけど・・)

韓国代表との、予選での試合データを見てみると、投手継投は「大谷 - 則本 - 松井」と、決勝トーナメントと同じです。もっとも、この試合で松井裕樹投手は満塁のピンチを招き、辛くも逃げ切るって形にはなってますが・・。あの大ピンチを、松井投手が切り抜けた気迫と実績により、決勝トーナメントにおいても、小久保監督の頭には「韓国に勝つ最も確率の高い投手継投」として用意されていたのかも知れません。

なら、その時と同じように、9回のクローザーは、イニングの最初から松井投手で良かったはずなのですが、8回の則本投手の出来が良すぎました。韓国打線をまったく寄せ付けず、完璧なリリーフを見せました。有るとすれば、この出来すぎたセットアップが、小久保監督の采配を迷わせた可能性が有ります。本来、最後は松井投手を送り出すはずだったのが、予定に反し、則本投手を引っ張り過ぎてしまった?可能性です。

だとすれば、「8回のみの予定」で一旦集中力が切れてしまった則本投手が、再び9回のマウンドに立ち、気持ちを立て直す前に突然打たれ出すことが有っても不思議ではないと思います。あれよと言う間に1点を失い、ノーアウト満塁のピンチを招き、ここで急遽「松井裕樹投手の登板」となるのです。そして押し出し、ついに1点差・・

「だとしても何であそこで松井なんだよ?」と言う疑問ですが、本来9回は松井のはずだったので、ブルペンで誰よりも肩が出来上がっていた?、予選でノーアウト満塁の大ピンチを気迫で切り抜けた実績が有る、この二つの理由を考えるとうなづけます。

もし予選の大ピンチで松井投手が失点していたら、もし別の投手が投げていたら、あの場面での登板は無かったでしょう。小久保監督が、良くも悪くも、予選ラウンドで得たデータを頼りに采配していたことは間違いはないと思います。

人間のやることには必ず理由があります。少なくともあの時、小久保監督の頭が真っ白になったわけではないのです。子供のころから、遊ぶヒマも惜しんで続けた野球歴は30年以上?、あれはその数千試合の経験から導き出された、ある意味、究極の選択だったと言ってもいいでしょう。ただ監督としては、それも日本代表の采配としては、確たるデータがまだまだ少な過ぎたのかも知れません。

江川卓氏がつねづね語っている言葉で、「キャッチャーは、自分の組み立て通りに投げれば絶対打たれないと思っている。しかし、ピッチャーはその通りに、完璧に投げられるワケじゃないんです」と言うのがあります。

つまり、あの絶妙なコントロールを誇った江川投手でさえ、「ピッチャーはどこかで必ず投げ損じるものである」と言っているのです。「投げ損じてもなお打ち取れる、そういう采配、組み立てを考えることが大事」と言うのです。

小久保監督同様、批判を浴びている嶋捕手の配球ですが、江川氏の言葉を前提として考えれば、あの絶対絶命の場面、嶋捕手の頭にも彼なりの「完璧な組み立て」は有ったはずです。が、もしそこに「ピッチャーの投げ損じ」という確率を組み込んだなら、当然、リードの仕方は変わったのではないでしょうか。

嶋捕手が、果たしてどっちの考えを取ったのかが気になります。「オレの考えた組み立て通りに投げろ!」と思ったのか、それとも「組み立てよりピッチャーのボールの力を信じよう」と思ったのか・・

それは誰にも分かりません。ただ、嶋捕手の数十年に渡る野球経験に裏付けされた、数千試合分の1、数10万球分の1球だったことは確かです。「人間のやることには必ず理由がある」それだけは確かなのです。

あの場面、増井投手から逆転のタイムリーを放ったイ・デホ選手は、試合後のインタビューで語ってます。「パ・リーグでの経験から、フォークボールが来ることは予測していた」。・・しかも韓国代表のミーティングで、イ・デホ選手が入念に日本野球のレクチャーをしたとも伝えられています。

もし唯一「ドームの悲劇」を避ける方法が有ったとすれば、パ・リーグの選手を使い過ぎない、という選択が残されていたのかも知れません。






  

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