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建てかえられた団地 |
旧ひばりケ丘団地は1959年に完成したそうで、田無市、保谷市、久留米町の三つの街にまたがる、確か日本初の団地だったと聞いたことが有ります。
当時は最新鋭のモダンな公団住宅として、皇太子(現天皇)を始めとする多くの要人が視察に訪れたと言うことです。そう言えば、NHKの「プロジェクトX」でも「妻へ贈ったダイニングキッチン」という回は、ひばりケ丘団地のことでした。
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旧団地の建物 |
小学校三年の時に、保谷市(現・西東京市)から久留米町(現・東久留米市)の一戸建てに引っ越して来たのですが、あの時代の団地には若い夫婦がたくさん住んでいて、その子供らのほとんどが、同じ小学校に通っていたのです。
だから団地内はとても活気が有りました。放課後や休日は子供の遊び回る声で溢れていました。道沿いにはたくさんの桜が植えられ、春になると毎年「さくら祭り」なんてのもやっていました。ガードマンが忙しく車の誘導をする姿も覚えています。
それから、大学を卒業したあと家を出て、しばらく豊島、中野、渋谷を転々としていたのですが、久しぶりに東久留米に戻ってみると、団地から子供たちの声が聞こえなくなっていました。若夫婦はいつの間にか老人になっていて、春になっても「さくら祭り」は始まりません。きれいな芝生だった地面にも、たくさんの雑草が生えていました。
その時、「街が年老いて行く姿」を、初めて目の当たりにしたのです。これはちょっとした衝撃でした。あの、活気に満ちたにぎやかな「ひばりケ丘団地」は、もう何処にも無いのです。
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オープンした新SEIYU |
最初は「身体を壊したのでは?」と心配していたそうですが、やがて古い団地の取り壊しが始まると、やっと理由が分かりました。つまり、建替えのために次々と立ち退きが始まっていたんですね。
それからはもう、団地のあちこちで「空き家」が目に付くようになりました。もちろんまだカーテンが下げられていたり、洗濯物が干してあったりする部屋も有り、全部が全部いなくなったワケでは無さそうです。
彼らはちゃんと行き場所が有るんでしょうか?。いなくなったウォーキングの老人たちも、家族の元に移って行けたのでしょうか?。それが少しだけ気にかかります。
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