★僕が子供のころ、「大人は(特に男は)みなタバコを吸うものだ」と思っていました。でも今は違います。当たり前のように吸われていたタバコも、どんどん禁煙する人が増えて、新幹線が全面禁煙になるのも時間の問題だと言われているのです。
こんな風にして、今まで常識だと思い込んでいたことが常識でなくなり、新しい価値観がどんどん生まれて来るものなんです。
前にも何度か書きましたが、中学生のころ仲間と遊び半分で心霊研究をやってました。そのころの「心霊」と言えば、いわゆる「怪談」で、もちろん僕らも単純に、「怖いもの見たさ」で始めたのです。ところが様々な心霊関係の書物を集めて読破して行くと、どうもそれだけでは無いと言うことが次第に分かって来ました。
特に古い時代の日本と海外の文献を比較してみて、興味深いことが分かって来ました。ほとんど国交が無く、情報の行き来が無い時代の書物にもかかわらず、日本と海外の心霊の説明が、細かいところまで非常に似通っていることが判明したのです。つまり勝手に作り出した話では有り得ない共通点が、世界中で見つかったことになるのです。
それら書物から得た知識として、「守護霊」とか「自縛霊」とか、「オーラ」とか「ドッペルゲンガー」「ポルターガイスト」などとか言った、いわゆる心霊用語があります。今から約40年前、こんな言葉を知っている人はまずいませんでした。・・って言うより、奇人変人扱いされかねない、そんな時代だったように思います。つまりそれがその頃の「常識」だったんです。
ところが今では、特殊だった心霊用語もちゃんと通じるようになってます。特に「オーラ」なんてごく普通に使われてるし、これは、あの頃からすれば想像もつかないことなんです。だから思うのです。心霊に関してもどんどん時代は動いている、「常識」はやがて変わるのだと・・
そして今、その象徴的な存在となっているのが「江原啓之」と言う人物ではないでしょうか。数年前からテレビに登場するようになり、昨今は「オーラの泉」や「天国からの手紙」と言う番組で人気を得るようになっています。
初めてこれらの番組を見たときはホントにビックリしました。驚くと言うより「こんな番組やっていいのか?」と言う心配の方が先に立ちました。「この人、あちこちからバッシング受けて、いつか世の中に潰されるぞ!」、他人事ながらそんな恐怖を感じたものです。
かつての宜保愛子さんのケースがありましたからね。でも江原氏の場合、もちろんバッシングはあるようですが、支持者の方が多いような気がします。
当の本人も「世が世なら、私なんか魔女狩りにされてますよ。昔だったらこんな番組、放送出来ませんから」と番組の中で自嘲気味に語っておりました。その言葉通り、すでに宜保さんの頃とは大きく時代が変わって来ているのかも知れません。
江原氏は自らを「スピリチュアル・カウンセラー」と名乗っていますが、その気持は分かる気がするのです。じつは僕らも心霊を調べて行くうちに、「心霊が存在するなら、それは法則に基づいた自然現象の一つでなければならない」と言うことに気づきまして、「心霊は怪談ではない」と言う結論にたどり着いたのです。
で、怪談、ホラーを感じさせない言葉は無いかといろいろ考えまして、40年前の中学生の僕らは、すでに「スピリチュアリズム」という言葉を使うようになっていたのです。
同時に、「いつか怪談抜きで真面目に?心霊を語るテレビ番組が出来たらいいのになあ」と思っていたのですが、ふと気が付けば、すでにそう言う時代に突入していた・・、そんな気がしてなりません。
それはさておき、「江原啓之」なる人物が、じつのところ本物?なのかどうかと言うことですが、僕は江原氏の語る言葉の中に、二つの興味深いものを見つけました。ひとつは・・
「お墓には霊はいません。お墓はただのカルシウム畑なんです」
と言う言葉。そしてもうひとつは・・
「あなたの守護霊は、あなたの前世だった方です」
と言う言葉。
この二つを聞いたとき正直ビックリしました。これらは相当深く心霊を知らないと語ることの出来ない言葉だったからです。それくらい意味深な言葉なんです。これらからして、江原啓之氏は信用しても大丈夫な人物ではないか?と思えて来るのです。
「お墓に霊はいません」とは?
江原氏は「もし祖先の霊が成仏しているなら当然霊界にいるはずなので、お墓は空だ」と言っているのです。「普段から祈っていれば、わざわざお盆に墓参りする必要はない」と言うことですね。ただ人間は「形(儀式)」にこだわるものだし、「墓」と言うモニュメントを通して故人への想いを高める、・・的な意味もあるので、単純にムダとは言えない部分も有ります。
(注:墓地には「死んだら墓地に行くもの」と思い込んでいる霊や、「墓地に行けば何とかなるかも?」と助けを求める未成仏霊、浮遊霊が集まる恐れがあるので、夕刻や夜にかけて墓参りをするのは危険です)
「あなたの守護霊は、あなたの前世だった方です」ですが・・
これは普通に考えると論理的におかしいのです。つまりこれだと、本人と守護霊とが同一人物である、と言うことになってしまいます。これは、人間を独立した人格としてイメージする我々には、非常に理解しにくいところです。
ところが心霊研究では、「霊魂」とは、分裂して増えて行くものであることが分かっています。つまり、ある人が亡くなって霊Aとして霊界へ行き、その霊Aから分裂した霊Bが、別人格として現世に生まれる、そして霊Aは現世で子孫となった霊Bの守護霊となることがある、と理解されています。
だから彼が言っていることは心霊的には間違いないのです。むしろ霊能者として、これを指摘できるか否かの差は大きく、それだけ優れた霊媒だとも言えます。(一卵性の双子も霊が分裂したと解釈できます)
(逆に複数の霊が合体して、一人の人間として生まれ変わることがあります。このとき主人格になる霊を心理学的には顕在意識と呼び、その他の副人格霊を潜在意識と呼ぶことになります。また幼少期に虐待などを受け、複数霊の統合に失敗すると、多重人格症などの精神病を引き起こしてしまうことがあります)
さて、このような霊能力者が登場すると、必ず心理学者や科学者から批判を受けるものなんですが、今のところ何故か沈黙気味です。じつは批判するにも、つかみ所が無いと言うのが現状なのです。と言うのも、江原氏は彼らが言う「霊能者の定義」に合わないからなのです。
つまり「霊能者とは、恐怖をあおって相手をマインド・コントロールする者」と言う定義が厳然として有るのです。その手法を用いていわゆる霊感商法などの犯罪を行うため、この定義を元に心霊批判が展開されるものなのです。
ところが江原氏は恐怖を語らない。それどころか、出来るだけ相手を傷つけない言葉選びに苦心している、この姿が、これまでの霊能者に対する常識をひっくり返し、学者たちは混乱、とっかかりを失なっているわけなのです。
けっきょく訳が分からなくなった批判側からは、「要するにテレビ番組とは、すべて構成作家が台本を書いているもの。だからあれはフィクションなんだ」と言う人も現れました。しかし僕から見れば、もし江原氏のセリフ全部を台本で書ける作家がいるとすれば、その構成作家は心霊に精通したスゴイ人物だと言えるのです(僕なら少しは書ける自信があります?)。
そもそも江原氏自身のサイトを見ると、「オーラの泉」で説明したことをスタッフが勝手に解釈して、間違ったテロップを出すことがあるので大いに不満だ、と言うような記事も有りまして、これを見ても、構成作家の頭では追いつけない内容を扱っていることがよく分かります。
まあどちらにしろ、信じない人には「どうでもいいよ!」と言うお話しかも知れませんが、世の中と言うのは、どんどん常識が覆されて行くものなのです。気が付けばタバコを吸わないことが当たり前になっているし、巨人戦が中継されないのも当たり前になっているんです。
心霊は1848年にアメリカ・ハイズビルで初めて心霊現象として確認されてから、ここまで来るのに158年かかりました。これからどうなるのかはまるで分かりませんが、少なくとも僕が経験した数十年の間に、相当な変化を遂げたことは確かなんです。
これからあと20年、30年とたった時どんな風になっているでしょう?(心霊が先か?温暖化が先か?)。僕が言うことは信じなくてもかまいません。ただ・・
こんな風にして、今まで常識だと思い込んでいたことが常識でなくなり、新しい価値観がどんどん生まれて来るものなんです。
前にも何度か書きましたが、中学生のころ仲間と遊び半分で心霊研究をやってました。そのころの「心霊」と言えば、いわゆる「怪談」で、もちろん僕らも単純に、「怖いもの見たさ」で始めたのです。ところが様々な心霊関係の書物を集めて読破して行くと、どうもそれだけでは無いと言うことが次第に分かって来ました。
特に古い時代の日本と海外の文献を比較してみて、興味深いことが分かって来ました。ほとんど国交が無く、情報の行き来が無い時代の書物にもかかわらず、日本と海外の心霊の説明が、細かいところまで非常に似通っていることが判明したのです。つまり勝手に作り出した話では有り得ない共通点が、世界中で見つかったことになるのです。
それら書物から得た知識として、「守護霊」とか「自縛霊」とか、「オーラ」とか「ドッペルゲンガー」「ポルターガイスト」などとか言った、いわゆる心霊用語があります。今から約40年前、こんな言葉を知っている人はまずいませんでした。・・って言うより、奇人変人扱いされかねない、そんな時代だったように思います。つまりそれがその頃の「常識」だったんです。
ところが今では、特殊だった心霊用語もちゃんと通じるようになってます。特に「オーラ」なんてごく普通に使われてるし、これは、あの頃からすれば想像もつかないことなんです。だから思うのです。心霊に関してもどんどん時代は動いている、「常識」はやがて変わるのだと・・
そして今、その象徴的な存在となっているのが「江原啓之」と言う人物ではないでしょうか。数年前からテレビに登場するようになり、昨今は「オーラの泉」や「天国からの手紙」と言う番組で人気を得るようになっています。
初めてこれらの番組を見たときはホントにビックリしました。驚くと言うより「こんな番組やっていいのか?」と言う心配の方が先に立ちました。「この人、あちこちからバッシング受けて、いつか世の中に潰されるぞ!」、他人事ながらそんな恐怖を感じたものです。
かつての宜保愛子さんのケースがありましたからね。でも江原氏の場合、もちろんバッシングはあるようですが、支持者の方が多いような気がします。
当の本人も「世が世なら、私なんか魔女狩りにされてますよ。昔だったらこんな番組、放送出来ませんから」と番組の中で自嘲気味に語っておりました。その言葉通り、すでに宜保さんの頃とは大きく時代が変わって来ているのかも知れません。
江原氏は自らを「スピリチュアル・カウンセラー」と名乗っていますが、その気持は分かる気がするのです。じつは僕らも心霊を調べて行くうちに、「心霊が存在するなら、それは法則に基づいた自然現象の一つでなければならない」と言うことに気づきまして、「心霊は怪談ではない」と言う結論にたどり着いたのです。
で、怪談、ホラーを感じさせない言葉は無いかといろいろ考えまして、40年前の中学生の僕らは、すでに「スピリチュアリズム」という言葉を使うようになっていたのです。
同時に、「いつか怪談抜きで真面目に?心霊を語るテレビ番組が出来たらいいのになあ」と思っていたのですが、ふと気が付けば、すでにそう言う時代に突入していた・・、そんな気がしてなりません。
それはさておき、「江原啓之」なる人物が、じつのところ本物?なのかどうかと言うことですが、僕は江原氏の語る言葉の中に、二つの興味深いものを見つけました。ひとつは・・
「お墓には霊はいません。お墓はただのカルシウム畑なんです」
と言う言葉。そしてもうひとつは・・
「あなたの守護霊は、あなたの前世だった方です」
と言う言葉。
この二つを聞いたとき正直ビックリしました。これらは相当深く心霊を知らないと語ることの出来ない言葉だったからです。それくらい意味深な言葉なんです。これらからして、江原啓之氏は信用しても大丈夫な人物ではないか?と思えて来るのです。
「お墓に霊はいません」とは?
江原氏は「もし祖先の霊が成仏しているなら当然霊界にいるはずなので、お墓は空だ」と言っているのです。「普段から祈っていれば、わざわざお盆に墓参りする必要はない」と言うことですね。ただ人間は「形(儀式)」にこだわるものだし、「墓」と言うモニュメントを通して故人への想いを高める、・・的な意味もあるので、単純にムダとは言えない部分も有ります。
(注:墓地には「死んだら墓地に行くもの」と思い込んでいる霊や、「墓地に行けば何とかなるかも?」と助けを求める未成仏霊、浮遊霊が集まる恐れがあるので、夕刻や夜にかけて墓参りをするのは危険です)
「あなたの守護霊は、あなたの前世だった方です」ですが・・
これは普通に考えると論理的におかしいのです。つまりこれだと、本人と守護霊とが同一人物である、と言うことになってしまいます。これは、人間を独立した人格としてイメージする我々には、非常に理解しにくいところです。
ところが心霊研究では、「霊魂」とは、分裂して増えて行くものであることが分かっています。つまり、ある人が亡くなって霊Aとして霊界へ行き、その霊Aから分裂した霊Bが、別人格として現世に生まれる、そして霊Aは現世で子孫となった霊Bの守護霊となることがある、と理解されています。
だから彼が言っていることは心霊的には間違いないのです。むしろ霊能者として、これを指摘できるか否かの差は大きく、それだけ優れた霊媒だとも言えます。(一卵性の双子も霊が分裂したと解釈できます)
(逆に複数の霊が合体して、一人の人間として生まれ変わることがあります。このとき主人格になる霊を心理学的には顕在意識と呼び、その他の副人格霊を潜在意識と呼ぶことになります。また幼少期に虐待などを受け、複数霊の統合に失敗すると、多重人格症などの精神病を引き起こしてしまうことがあります)
さて、このような霊能力者が登場すると、必ず心理学者や科学者から批判を受けるものなんですが、今のところ何故か沈黙気味です。じつは批判するにも、つかみ所が無いと言うのが現状なのです。と言うのも、江原氏は彼らが言う「霊能者の定義」に合わないからなのです。
つまり「霊能者とは、恐怖をあおって相手をマインド・コントロールする者」と言う定義が厳然として有るのです。その手法を用いていわゆる霊感商法などの犯罪を行うため、この定義を元に心霊批判が展開されるものなのです。
ところが江原氏は恐怖を語らない。それどころか、出来るだけ相手を傷つけない言葉選びに苦心している、この姿が、これまでの霊能者に対する常識をひっくり返し、学者たちは混乱、とっかかりを失なっているわけなのです。
けっきょく訳が分からなくなった批判側からは、「要するにテレビ番組とは、すべて構成作家が台本を書いているもの。だからあれはフィクションなんだ」と言う人も現れました。しかし僕から見れば、もし江原氏のセリフ全部を台本で書ける作家がいるとすれば、その構成作家は心霊に精通したスゴイ人物だと言えるのです(僕なら少しは書ける自信があります?)。
そもそも江原氏自身のサイトを見ると、「オーラの泉」で説明したことをスタッフが勝手に解釈して、間違ったテロップを出すことがあるので大いに不満だ、と言うような記事も有りまして、これを見ても、構成作家の頭では追いつけない内容を扱っていることがよく分かります。
まあどちらにしろ、信じない人には「どうでもいいよ!」と言うお話しかも知れませんが、世の中と言うのは、どんどん常識が覆されて行くものなのです。気が付けばタバコを吸わないことが当たり前になっているし、巨人戦が中継されないのも当たり前になっているんです。
心霊は1848年にアメリカ・ハイズビルで初めて心霊現象として確認されてから、ここまで来るのに158年かかりました。これからどうなるのかはまるで分かりませんが、少なくとも僕が経験した数十年の間に、相当な変化を遂げたことは確かなんです。
これからあと20年、30年とたった時どんな風になっているでしょう?(心霊が先か?温暖化が先か?)。僕が言うことは信じなくてもかまいません。ただ・・
「忘れないでいてください」
もし近未来、常識を覆すような世の中になっていたら、その時には、「そう言えば大昔、妙なことを言うヤツがいたよなあ・・」と、ぜひ思い出してくださいまし・・・
江原啓之公式サイト
もし近未来、常識を覆すような世の中になっていたら、その時には、「そう言えば大昔、妙なことを言うヤツがいたよなあ・・」と、ぜひ思い出してくださいまし・・・
江原啓之公式サイト
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