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死んでも死なない

★世の中、あちこちで殺戮が続いていますなあ・・。マジで気が重くなります。自殺も多いようです。死ねば、殺せば、何もかも解決すると思っているんでしょうね。 でもそうじゃないんですよ。じつは、人間は死んでも死なないのですよ。肉体は滅びますが、魂はずっと生き続けるのです。だから、けっきょく何も解決せず、新たな問題を引き起こしているだけなんですけどね・・ 信じる信じないはさておき、今起こっている犯罪、特に凶悪な殺人などは、突き詰めれば、極限まで追いつめられた人間が「人間、死んだらおしまい!」と言う投げやりな気持ちになって起こしている、そう考えて間違いありません。 いわゆる猟奇的な「動機不明の殺人」でも、その根底にあるのは「死による解決」と言う発想なんです。自殺も同じですね。「死ねば終わる、楽になれる」と安易に考えるからです。 なら、逆に言えば、「霊魂は確かに存在する。人間は死んでもおしまいではない?」と言うことが世の中に行き渡れば、いま起きている殺人や自殺の、恐らく半分以上は減らせるんじゃないですか? 動機の一番重要な部分が打ち消されるわけですから。 なんて、心霊研究って、本来こう言うことを啓蒙しようと言うのが目的だったんですが、これがなかなか難しいもんなんですよね。それどころか、こう言うことを書くこと自体、精神構造を疑われかねないので、普通の人は表立って発言することすら出来ないものなのです。 でも、殺戮の続く世の中になって来ると、そろそろホントに必要になって来たのかなあなどと、ボンヤリ思うこの頃なんです。こんなことを書くと、また「バカだな。ホントに信じてんだ?」なんて笑われそうですが、先日、ちょっと興味深いことが有りました。 政府が初めて公式にUFO(未確認飛行物体)の否定を発表しましたが、その後、町村信孝官房長官が「(自嘲気味に)私自身は UFOは 絶対にいると思う」と思わぬ「カミングアウト」をしてました。 こんなことが有るんですね。これをニュースで見て、心霊についても有りそうな事だなって思いました。思わぬことをきっかけに、「じつは‥‥、私自身は霊の存在を絶対に信じてます」なんてカミングアウトする意外な人物が、あちこちでたくさん現れるんじゃないか、そんな気がしましたよ。 社会的立場のしっかりした人物ほど、普通は言えないもんですからね。

プリティー・リーグの動画?

★何気なく検索していたら、映画「プリティー・リーグ (原題:A league of their own) 」の基となった「All-American Girls Professional Baseball League」の動画を見つけました。英語がダメなので、ほとんど分からないですが、なかなか興味深いですね。 映画に出てきた「ピーチズ」「ラシーン」の両チームは実在したチーム名だったようだし、ヒロイン?「ドティ」も実在の女子キャッチャーとして写真が出て来ます。それと、ユニフォームはホントにスカートだったんですね。 長い間、野球映画はヒットしないと言われていたのですが、20年ほど前「ナチュラル」「フィールド・オブ・ドリームス」などがヒットした影響で、その後たくさんの野球映画が作られました。それらの映画を、あの頃はよくゴブリンズのメンバー数人で見に行ったもんです。で、その中の一つが「プリティー・リーグ」だったんです。 これは良かったですね。面白かった。個人的には傑作だと思ってます。その前に見たベーブ・ルースの伝記映画「夢を生きた男 ザ・ベーブ」が今ひとつだっただけに、出来の違いがより鮮明になった記憶が有ります。 これは第二次大戦中、実際に存在した全米女子プロ野球リーグが基になってます。が、物語はフィクションで登場人物も架空のキャラクターだと思ってたんですが、それなりに史実に基づいているようです。 まあ、どちらにしろ、クライマックスからラストシーンへと続く演出の見事さが、ノンフィクションとしか思えないような感動を呼び起こしてくれるのは確かです。 それと、ラストのクーパーズタウン「ダブルデイフィールド」でのゲームシーンに登場する「お婆さんたち」は、間違いなく、かつてのプリティーリーグで活躍した女子選手たちなのでしょう。 容赦ない時の流れは、美少女たちを老婆に変えてしまいますが、それゆえに、人生には必ず「かけがえの無い時間」が有る、と言うことをこの映画は教えてくれているように思います。 (「プリティー・リーグ」って、愛称じゃなく、映画会社が勝手に付けた邦題?) ◎「All-American Girls Professional Baseball League」 ◎ Amazon「プリティーリーグ・DVD」   

野球の国際試合は面白い!

★いちおう草野球のブログなので、時々は野球についても書かなくてはと思いつつ、この頃はプロ野球にもやや興味が無くなっていました。まあ、FAが盛んになって広島カープの活躍が鈍って来たことと、野球のリズムにまるで合わない応援団の歌声?に興ざめしてしまっていたからです。 しかし、やはり「ベースボール」は面白い! この三日間のオリンピック予選の試合を見て、ホントにそう思い直しました。ホント、興奮しましたね。普段は「このヤロー!」としか思っていない上原投手が、あんなに頼もしく見えるとは‥‥ 「アテネ五輪」の時もそうだったし、「WBC」の時もそうだったのですが、野球人気の復活があるとすれば、国際試合の中にヒントが有る、ずっとそう思って来ました。それを今回の三日間で再認識出来た気がします。 これまで日本の野球の頂点は「巨人」だったのですが、それがもう「世界」になりつつあると言うことですね。若い選手たちの意識はすでにそうなってると思います。その証拠に、今年のドラフト会議では「何が何でも巨人」と言う選手はおらず、「野球が出来るならどのチームでも・・」と言う人がほとんどでした。 逆に言えば、どのチームも世界へ進出するための「ステップ」と思われてると言うことかも知れません。となると、またまた逆の発想で、かつては「島流し」と言われた弱小広島カープへの入団も、今なら「広島指名大歓迎!」と言う選手が増えるかも知れません。 どんな無名の選手でも、実力次第ですぐに一軍に上がれて、活躍すればどんどん名前を売り出すことが出来る球団だからです。今回、星野ジャパンの4番「新井選手」が、それを証明してくれましたから。彼は広島の「ドラフト6位指名」だったんですから。(また広島の4番バッターがいなくなりますが・・) こんな風に世の中はどんどん変わりつつあるのだと思います。だから、球団経営者とか両リーグの会長、コミッショナーも、いつまでも昔のやり方ばかり語ってちゃいけませんな。それに、あの「空白の一日」の江川氏と小林氏が和解するCMも、この時代にやっちゃいけません。 若い選手たちが巨人さえステップにする時代に、今ごろ「巨人しか見えなかった」あの話しを持ち出すのはどうなんでしょう?。あれを見て巨人ファンは胸を熱くするのかも知れませんが、僕はむしろ、江川氏がみじめで見ていられませんでした。

ぐうたら?主婦は政治にくわしい

★父親がもう何年も前に定年退職して、朝からテレビを見るようになって、ちょっとしたカルチャーショックを受けたようです。 それは、「ワイドショーは政治をとても 詳しく放送する 」と言うことです。 父親は昭和一桁生まれで、その世代に有りがちな色々な偏見を持っているのですが、特にワイドショーなんてモノは、主婦が見る、くだらない芸能ネタみたいなモノばかりだと思い込んでいたらしいので、かなりの驚きだったんでしょう。 確かに最近のワイドショーは、以前より政治ネタをよくやるようになった気がします。僕の記憶によれば、発端はテレビ朝日だったと思います。 久米宏の「ニュースステーション」、田原総一朗の「朝まで生テレビ」などのヒットにより、「ニュースネタはウける」と見込んだテレ朝が、「モーニングショー」の司会に、国際ジャーナリストの「内田忠男氏」や、現・自民党参議院議員「武見敬三氏」を起用したのが始まりだったと思います。 で、これがやがて、各局のワイドショーにまで波及して行ったのです。 しかも事例に合わせて様々な専門ゲストが招かれ、それこそ芸能ゴシップ的ノリで、ニュースや討論番組では到底やらないような裏の裏まで、こと細かに解説をしてくれるのです。 たとえば今話題の「インド洋給油支援」ですが、他の国はこれを有償でやっているのに、何故か日本だけが「無償援助」、つまりダタで油をくれてやってるのを知っていましたか?。 この事は最近になってようやくニュース等で報道されるようになりましたが、ワイドショーを見てた人なら、ずうっと前から知ってましたよね?。(僕もずっと前から知っていましたよ?) おまけに政権は、「給油支援」を「国際貢献」だなんて言っていますが、これは実際には国際貢献ではなく「アメリカ貢献」なんですよね。 社会学者の宮台真司さんは、「アメリカの尻ナメ外交」なんて言い方をしてますが・・ その証拠に「たけしのTVタックル」で、あのハマコーさんが、「アメリカってのはな、冷酷な国なんだぞ!。今、給油支援をやめたらどんな制裁を受けるか!?」と、顔面を痙攣させるほど興奮して語ってましたっけ・・ 「あらら、言っちゃったよ」って思いましたね。ハマコーさん根はいい人、正直者なんだなあ・・、あの一言で「アメリカの尻ナメ支援」だってことがバレバレになっちゃいましたよね? まあ

エポとふーみん

★先日、テレビ東京の「みゅーじん」という番組に歌手のエポが出ていまして、つい見入ってしました。 彼女はヒット曲を飛ばしたシンガーでもあるのですが、セラピストとしての肩書きも持つようになったと言うのです。それは、母親との激しい対立で精神的なダメージを受け、歌を唱うことも出来なくなった経験からなのだそうです。父と息子だけでなく、やはり娘にもいろいろと有るようですね。 ところで「エポ」と言うとまず思い出すのは、デビュー当時の山下達郎氏への深い傾倒ぶりなんです。デビュー曲が「DOWN TOWN」と言う伊藤銀次作詞・山下達郎作曲の歌、と言うことからも分かるように、とにかく山下達郎のポップス路線を必死で追いかけていたミュージシャンだったのです。 デビュー間もない頃、大滝詠一氏のFM番組にゲスト出演し、「タツロウさんが・・、タツロウさんの・・」とやたら連呼するので、大滝氏が「もっと自分の表現をしないと・・」と呆れてしまったほど山下達郎氏を尊敬していたのですね。 その経緯も有って、やはりタツロウ・サウンドに夢中になっていた僕も「エポ」と言うシンガーは特別な感じで見ていました。もちろん曲は良かったし、アルバムもたくさん買いました。 その頃、僕は大学を卒業したばかりで、「JCGL」と言うCGプロダクションに勤め始めていたのですが、社屋が渋谷区の南平台と言う高級住宅街に有りまして、そのすぐ近くのビルの地下には「ふーみん」と言う小さな中華家庭料理屋が有ったのです。 我々はただ、昼夜の空腹を満たしに行くだけで良く知らなかったのですが、けっこう有名な店だったようです。なぜそう気づいたかと言うと、その店ではよく芸能人を見かけたからなのです。 僕が初めて「ふーみん」で見た芸能人は「堺正章さん」でした。次に見かけたのはサザンオールスターズの「桑田佳祐さん」。どちらも数人のスタッフ?に囲まれて、その肩の間から、スポットライトを浴びたように浮かび上がる姿が印象的でした。 二人ともほとんど喋らず、笑いもせず、ブスッとした表情で料理を待っているので、「機嫌が悪いのだろうか?」と、よけいな心配をした記憶が有ります。 その後は、そのころ活躍し始めた「浅野温子さん」が、男性と二人連れで来ているのに遭遇しました。カウンターで何やら楽しそうに会話をしていました。 その日、一緒に

家族愛は世界を救えない:その2

★亀田興毅君の謝罪会見、「どうでもいいや」と思いつつ、ついつい見てしまいました。 まあ、あれについては、色んな人が色んなコメントを寄せているので、今さら語ることは無いのですが、やっぱり気になってしまったのは、興毅君の「オレらにとって世界一のオヤジや」と言う、亀田父を讃える言葉でしたね。 あれがどうにも理解できんのです。十代半ばから反抗期が始まって、三十代過ぎるまでは、父親とまともに口を聞いたことすら無かった自分と照らし合わせると、どうにも気持が悪い。「なんであんな恥ずかしい事が言えるんだろう」と、思ってしまうのです。しかも涙ぐんで?! でも、世の中の興毅君を同情する人々の間では、あの場面が一番好感を持たれたみたいですね。「親思いで立派だった」って・・ でも、やっぱり何かが不自然だ。と思っていたら、コメンテーターの一人に精神カウンセラーみたいな人がいて、「言葉は悪いけど、亀田家の子供達は、父親殺しが出来ていない」なんてことを言ってました。物騒な言い方ですが、父親に反抗し、父親を乗り越えて大人になって行くと言う精神形成の過程が出来ていない、って意味だと説明しておりました。 その言葉を聞いて「ああ、やっぱりオレだけじゃないんだ」って安心しましたよ。けっきょく亀田家の家族愛って、人間の自然な在り方、自然の法則に少し反しているんだと思います。 しかしそれを、「親思いで立派だった」って評価する人も随分多くいて、世の中も少しずつ変形して来ているのかも知れません。 その対極にあるのが、今から18年前に公開された映画、「フィールドオブドリームス」だと言う気がしますね。父親と対立して和解できぬまま死別した主人公のレイ・キンセラが、あり得ない夢の実現に奔走した結果、最後に、若き日の父との再会、そして親子の和解が訪れる、と言う物語です。 当時あの映画をカップルで観に行くと、女の方は意味がよく分からずシラケ気味なのに、男の方は身につまされて号泣してしまう、と言う現象が起きていたそうですが・・・ もし今の時代に劇場公開したらどうなんでしょう。「父親と対立する」設定そのものが理解出来ない、と言う人が多くなってるかも知れないですね。少なくとも亀田兄弟にはまったく理解不能かと思います。   

よくない写真発見・・

何気なく、ホントに何気なく、昔の写真を見たくなりまして、押し入れの中から写真の詰まった箱を取り出して見てたんです。そしたら、ちょっとヤバい写真が見つかりました。それがこれです (申し訳ありませんが、写真は危険防止のため削除のしました) これは今から10年以上前になるでしょうか、草野球チーム・ゴブリンズの納会の風景です。納会と言ってもお店でやったのではなく、川崎の「子供の国」と言うところでアイス・スケートをし、公園でお弁当を食べると言うものでした。もちろん氷も出来る冬のことなので、非常に寒かったですよ。でも若いとそんなのも平気なんですね。 それはいいのですが、その時のアイス・スケート場でのスナップです。左下に「赤い帯」のようなものが写ってますね。「なあんだ、手とか服とかが間違ってレンズの前にかぶったんでしょ」と思われるかも知れませんが、それはかなりの確率で有り得ないのです。 使用カメラがスナップ用のコンパクト・カメラなら分かりますが、この頃の僕は、一眼レフに凝ってまして、ちょっとしたスナップでもそれで撮ってたからなんです(ルイジコラーニ・デザインのキャノンT90と言うヤツです)。 それに「28 - 105」のズームを付けていたのです。ズームレンスなのでそこそこ長さが有り、うっかりレンズの前に手や服がかぶさると言うことはまず無いはずなのです。また、他の人が撮った自分のスナップも有りますが、それを見ると、僕はその日、暗いグレーのジャケットを着ており、もし袖がかぶったとしても、このように赤く写ることは無いのです。 では「この赤いモノは何なのか?」と言うことですが、心霊写真の一種かも知れません。残念ながら(幸い?)僕には霊視能力が無いので、死霊とも生霊とも断言することは出来ませんが、心霊研究をしていた経験上、可能性はかなり高いと思います。 それも、もし霊だとしたらあまり良くない霊だと思います。心霊現象の常識として、赤く写ると言うのは低級な部類に属し、場合によっては関係した人間に危害を加えることも有るのです。逆に高級な霊の場合には青や紫がかったりします。 なぜ現像した写真を受け取った時点で気がつかなかったのか、不思議でならないのですが、急に昔の写真が見たくなって、こうして発見したと言うのも「偶然ではない」ような気もします。 時期的にいよいよ始末を

家族愛は世界を救えない?

★かつてスピルバーグ映画を中心に、父親が家族を守るために戦い抜くことで、最終的には巨悪や宇宙の侵略者から世界を救う、と言う図式の作品がたくさん作られました。 そのころ日本では、高度経済成長期からバブル期にかけて、仕事中毒で家庭を顧みない父親不在の家の子が荒れ、やがて家庭崩壊、学校崩壊へとつながって行くと言う社会問題が起こりました。 これらの経験を反省をした我々世代は、スピルバーグ映画をお手本として、家庭をとても大切にするようになりました。家族を大切にして、父親も子育てに参加し、家事も夫婦分担してこなす。そうすればそれを見た子供は素直に育ち、家庭が平和になって、やがてはあの映画のように、少しずつ世の中を良い方向に向かわせて行くに違いない、皆 そう思ったものです。 でも現実はどうだったんでしょう。世の中は良くなって来たんでしょうか。むしろたくさんの自己中家族を生み出してやしないですか。 じつは先日のボクシング「内藤×亀田戦」を見てそう思ったんです。あの亀田一家は物凄く家族の絆が深いです。亀田父は三兄弟を守るためならどんなヤツにでも立ち向かって行くし、お兄さんの興毅君もいつぞやチャンピオンになった時、父親を讃えて涙にくれていました。 でも何かが違う。僕はどしようもない違和感に襲われていたのです。「違う・・、家族の絆が深いだけじゃダメなんだ」って・・ かく言う僕も、それまでは「家族愛イコール正義」だと無条件に信じていました。が、亀田一家を見て考えが変わったんです。いくら家族愛が強くてもいい人とは限らないんだと。 そう言えば「ゴッドファーザー」なんかでも、母親に頭の上がらないマフィアの姿なんか描かれたいたように、犯罪者にだって家族愛はあるってことなんです。だから家族愛が万能の正義だと思ってはダメなんです。 しかしながら、我々の世代、スピルバーグ的家族愛に感動した世代って、今なお「家族を守ると言うことは、相手が誰であろうと最後まで戦うことだ」と思い違いしてしまった人が多いと思うんです。 たとえば最近は、子供を守るためなら、どんな不条理な要求でも学校にふっかけて来る「モンスターペアレンツ」って、スゴいのがいるそうじゃないですか。たぶん彼らも同じスピルバーグ世代のはずなんですよ。 ハタからは「理不尽な要求」に見えるのに、本人たちはそれが正義であり