★ネットニュースで下記のような記事を見つけました。「オタク検定」だそうです。 「オタク検定、 8 月に第 1 回試験開催」 (記事そのものは削除されてます) いつも思ってるんですが、物事や言葉って、時間と共にどんどんその意味が変容していくと言うか、拡大解釈されていくと言うか、そう言う現象がしばしば起こるような気がします。 そもそも「オタク」って言葉、もとは「コンピュータ・エンジニア」たちのことを指していたっていう事実、今どれだけの人が知っているでしょうかね。彼らが使っていた、独特の言葉使いが由来となっていたのです。 彼らは、お互いを呼び合う言葉として「キミ」とか「アンタ」ではなく、「オタク」を使っていたんです。「オタク、これやっておいて」てな感じです。奥さん達が相手を呼ぶ言葉、「お宅さあ、今晩のおかず何にする?」なんて時の「お宅」と一緒です。 彼らのこの「オタク」と言う呼び方が、やがて「オタク文化」を象徴する言葉となって行くのです。 20 年以上前、まだパソコンなんて無いころ、コピュータ・エンジニア達は、少数派の特種技能者で、そのため日常生活で我々が接する機会はほとんどありませんでした。その彼らと僕が初めて接したのは、 JCGL と言う日本初の CG 映像会社に入社したときでした。 「オタクさあ、ちょっと来てくれる?」。出社するようになったある日のこと、僕は、技術部部長のシムテム・エンジニア氏にそう呼ばれました。「はい」と返事しながらも、心の中では「変なヤツ」と思ったりしていました。 その後も彼らからは「オタクさあ」と呼ばれましたが、そんなことにいつの間にか慣れてしまったある日のこと。彼らのようにコンピュータに詳しく、風変わりで独特な若者文化を持つ人たちをひっくるめて、「オタク族」と呼び、雑誌に紹介されるようになったのです。 このようにして、「オタク」は世間的にも知られるようになって行ったのですが、さらにもう一つの特徴として、彼らの多くが熱心な「アニメマニア」であったことが挙げられます。僕も何度も、彼らが休憩時間に集まっては、アニメついて熱く語り合っている姿を見かけたものでした。 このことを今になって思い起こしてみると、秋葉原が「オタクの聖地」となって行った理由が見えて来るのです。 コ