★遠い昔、「東京ラブストーリー」と言うドラマにハマったことが有りました。主題歌を小田和正氏、サウンドトラックを日向敏文氏が担当したとのことで、どんな音になったのか試しに見てみようと思ったのです。そしたらそのまま見続けてしまいました。
今回の月9「薔薇のない花屋」も同じで、山下達郎氏が二年半ぶりの新曲「ずっと一緒さ」を提供したと言うことで、それを聴きたくて見てみたら、そのまま引きずり込まれてしまったと言うわけです。
ただ、このドラマは面白いです。意外な設定、意外な展開に、単純に「次はどうなるのだろう」と言う興味をそそられます。もう無数のドラマ・映画・小説を鑑賞してきた大人にとっては、なかなか新鮮なテレビドラマに出会うこともなくなりますが、今回は、お陰さまでずいぶん楽しませてもらってます。
野島伸司氏の脚本には賛否両論あるようで、物語の設定にリアリティーが無いと言うのが否定的な人々の多くの意見のようです。確かに自分も最初は馴染むまでに時間がかかったし、演じている俳優からも(特に三浦友和氏など)「違和感を感じていた」ようなインタビュー記事が有りました。
それと最近の視聴者ですが、彼らのドラマレビューを読むと、「薔薇のない花屋」に限らず、「ドラマの内容が現実に有りうるか否か」を異常に気にするようで、それが評価に基準になってしまっているようです。ですが、それではノンフィクションかドキュメンタリーしか理解できなくなってしまいます。
ドラマと言うのは、「現実に起こりうるのか?」ってのはあまり重要じゃないんですよね。ドラマには、そのドラマ世界だけでの法則と言うモノが有りまして、それから外れさえしなければ、それでいいんです。でないと、SFやファンタジーなど存在できなくなってしまいます。
「薔薇のない花屋」も実はファンタジーなんです。毎回見ている人は分かると思いますが、花屋なのにバラを売っていないとか、小学生が目出し頭巾をかぶって学校に行っても先生にとがめられないとか、幾つもの「現実にはあり得ないエピソード」が、キーワードのように入っていることからもそれがうかがえます。
なので見る側が、「これは大人のファンタジーなんだな」とすぐに理解することが大切です。で、そのドラマの雰囲気に合わせて自由に感性をシフトさせて行けばいいのです。
なんて、ずいぶん物わかりがいいみたいですが、実は自分自身も、初回、二回は少しついて行けなかったし、時たま飛び出す象徴的な(クサい?)セリフにも閉口しながら見ていたんですけどね。
ところがある時、お話はやや現実離れしているのに、登場人物が抱く「悲しみ」は、やけにリアリティーが有るのに気づいたんです。
ちょっと失礼な例なんですが、巨匠・倉本聡さんのドラマでさえ、登場人物が涙を流したとたん、それが無理やりに見えてしまい、「人間って、こう言うことで泣けるかなあ・・」と、急にシラケてしまうことが有ります。
ところが「薔薇のない花屋」にはそれが無いんです。「これはつらい・・。泣いてあたりまえだよ」って自然に思えるのです。悲しみがヒシヒシと伝わって来て、見ている方も苦しくなる感じなのです。
で、その感動が極まったところで、山下達郎氏のエンディングテーマ「ずっと一緒さ」が流れだすと、これがとっても切なくていいんですね。
長年のタツロウファンとしては、ちょっと、むかし別の曲で使ったメロディがちょこちょこ再利用されていたりして、「うーむ・・」と思うところもあるのですが、聞き慣れてくるとそれも良し。全体的にはなかなかの出来映えだと思います(CD買いますよ)
ドラマはもうじき最終回ですが、うまく結末に持って行ってくれたらいいなと思います。単純な予定調和では芸が無いし、かと言って絶望的なラストも似合わない。
それと「血のつながりが無くても、一緒の家に住めば家族じゃないですか」と言う主人公のセリフから察するに、「血のつながり」がモチーフの一つになっているのは確かなので、その辺の、作者の意図を確かめたいとも思います。
親と子や、兄弟同士とか「血のつながった者たちの虐待や殺戮」が横行している現実を背景に、次々に他人を自分の家に住まわせ、他人を家族のように愛そうとする主人公の生き方が成就するのか。それとも、その平穏な生活が「血のつながり」にこだわる者達によってバラバラにされ、「すべてが幻」になってしまうのか・・
まあ、そんなに深く考えなくても、山下達郎のエンディングテーマ「ずっと一緒さ」の歌詞の中に、物語の結末が象徴されているような気もしますが・・
◎「薔薇のない花屋」フジテレビ
今回の月9「薔薇のない花屋」も同じで、山下達郎氏が二年半ぶりの新曲「ずっと一緒さ」を提供したと言うことで、それを聴きたくて見てみたら、そのまま引きずり込まれてしまったと言うわけです。
ただ、このドラマは面白いです。意外な設定、意外な展開に、単純に「次はどうなるのだろう」と言う興味をそそられます。もう無数のドラマ・映画・小説を鑑賞してきた大人にとっては、なかなか新鮮なテレビドラマに出会うこともなくなりますが、今回は、お陰さまでずいぶん楽しませてもらってます。
野島伸司氏の脚本には賛否両論あるようで、物語の設定にリアリティーが無いと言うのが否定的な人々の多くの意見のようです。確かに自分も最初は馴染むまでに時間がかかったし、演じている俳優からも(特に三浦友和氏など)「違和感を感じていた」ようなインタビュー記事が有りました。
それと最近の視聴者ですが、彼らのドラマレビューを読むと、「薔薇のない花屋」に限らず、「ドラマの内容が現実に有りうるか否か」を異常に気にするようで、それが評価に基準になってしまっているようです。ですが、それではノンフィクションかドキュメンタリーしか理解できなくなってしまいます。
ドラマと言うのは、「現実に起こりうるのか?」ってのはあまり重要じゃないんですよね。ドラマには、そのドラマ世界だけでの法則と言うモノが有りまして、それから外れさえしなければ、それでいいんです。でないと、SFやファンタジーなど存在できなくなってしまいます。
「薔薇のない花屋」も実はファンタジーなんです。毎回見ている人は分かると思いますが、花屋なのにバラを売っていないとか、小学生が目出し頭巾をかぶって学校に行っても先生にとがめられないとか、幾つもの「現実にはあり得ないエピソード」が、キーワードのように入っていることからもそれがうかがえます。
なので見る側が、「これは大人のファンタジーなんだな」とすぐに理解することが大切です。で、そのドラマの雰囲気に合わせて自由に感性をシフトさせて行けばいいのです。
なんて、ずいぶん物わかりがいいみたいですが、実は自分自身も、初回、二回は少しついて行けなかったし、時たま飛び出す象徴的な(クサい?)セリフにも閉口しながら見ていたんですけどね。
ところがある時、お話はやや現実離れしているのに、登場人物が抱く「悲しみ」は、やけにリアリティーが有るのに気づいたんです。
ちょっと失礼な例なんですが、巨匠・倉本聡さんのドラマでさえ、登場人物が涙を流したとたん、それが無理やりに見えてしまい、「人間って、こう言うことで泣けるかなあ・・」と、急にシラケてしまうことが有ります。
ところが「薔薇のない花屋」にはそれが無いんです。「これはつらい・・。泣いてあたりまえだよ」って自然に思えるのです。悲しみがヒシヒシと伝わって来て、見ている方も苦しくなる感じなのです。
で、その感動が極まったところで、山下達郎氏のエンディングテーマ「ずっと一緒さ」が流れだすと、これがとっても切なくていいんですね。
長年のタツロウファンとしては、ちょっと、むかし別の曲で使ったメロディがちょこちょこ再利用されていたりして、「うーむ・・」と思うところもあるのですが、聞き慣れてくるとそれも良し。全体的にはなかなかの出来映えだと思います(CD買いますよ)
ドラマはもうじき最終回ですが、うまく結末に持って行ってくれたらいいなと思います。単純な予定調和では芸が無いし、かと言って絶望的なラストも似合わない。
それと「血のつながりが無くても、一緒の家に住めば家族じゃないですか」と言う主人公のセリフから察するに、「血のつながり」がモチーフの一つになっているのは確かなので、その辺の、作者の意図を確かめたいとも思います。
親と子や、兄弟同士とか「血のつながった者たちの虐待や殺戮」が横行している現実を背景に、次々に他人を自分の家に住まわせ、他人を家族のように愛そうとする主人公の生き方が成就するのか。それとも、その平穏な生活が「血のつながり」にこだわる者達によってバラバラにされ、「すべてが幻」になってしまうのか・・
まあ、そんなに深く考えなくても、山下達郎のエンディングテーマ「ずっと一緒さ」の歌詞の中に、物語の結末が象徴されているような気もしますが・・
◎「薔薇のない花屋」フジテレビ
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