スキップしてメイン コンテンツに移動

ネットでドラマ発見?

★インターネットの動画サイトって、どんどんエスカレートして行くんですね。ドラマをアップしたサイトも有りました。著作権的にどうなのかと心配にもなりますが、「いい作品なのに何故DVDにならないんだるう?」と思うことも有るし、出演者が不祥事を起こしてお蔵入りになることも有るし、そんな時、もう一度ちょこっと見てみたい場合など、便利は便利だなと思ってしまいます。

ところでそんな動画サイトで、ドラマ「コーチ」を見つけました。これは1996年の夏から秋にかけて放送されたもので、とても印象に残っていたのです。なのにDVDもビデオも発売されない・・・


なぜ印象に残っているかと言うと、新妻君や森広君らと行ったブレード走行、「高萩〜犬吠埼」の途上で初めて見たからです。茨城県の大竹海岸の民宿に泊まったとき、森広隊員が急に「コーチを見る!」と言ってきかなくなったのです。「野球ドラマならまあいいか」と言うことで、眠さに耐えながら彼のテレビ鑑賞につき合ったのです。

それが、コーチ第6回「愛はここにある」でした。民宿の寝床で寝ながら見たのですが、話しが進んで行くにつれ、じつは画面の中で珍しい偶然が起こっていたのでした。

ドラマに映っていたのは、なんと、我々が向かっているブレード走行の目的地、「犬吠埼・長崎町」の映像だったんです。つまりそこは「コーチ」のロケ地であり、同時にブレード隊の目的地、ゴブリンズ夏季キャンプ予定地でもあったのです。

でも、もちろんそれは、ドラマを見ている最中に気づくわけもなく、後々気づくことになるのですが・・・

民宿に泊まったとき、その辺りの港や海岸が「コーチ」のロケ現場であることを女将さんに聞いて初めて知ったのです。しかもその民宿そのものが、ロケ撮影班が使用した宿だったと言うことも女将さんの言葉から判明しました。

草野球ドラマのロケ地で、草野球チームが宿泊するのも面白い偶然な気がしたし、さらに、このドラマが終了して間もなく、ゴブリンズは、メンバー大半が仕事のためにハワイに移住、活動休止に追い込まれてしまうのですが、それも何かの予兆だった気がして、少しだけ戦慄したのを覚えています。

ちょうどこのドラマも、舞台となる「九十九里の缶詰工場」が倒産に追い込まれ、そこの弱小野球部が活動を続けられなくなると言う設定だったので、何か不思議なリンクを感じてしまったと言うわけなのです。

今思えばその夏は、前期ゴブリンズの終わりであり、最後の夏季キャンプでもあったと言うわけですね。

そんなわけで、縁の深いドラマだと言う感じがあって、ネットで見つけた時には懐かしい気持ちになりました。それに僕が見たのは民宿での6回以降だったので、最初の方は見ておらず、「なるほど、こんな感じで物語が始まったのだな」と、改めて感慨にふけることにもなりました。

ところで、当時は、コーチと言うタイトルは「野球のコーチ」であり、野球ドラマのはずなのに、最後に野球との絡みがまったく無いまま結末が訪れるという展開で、いろんな人から批判が有ったそうです。が、これについて僕は何となく当たりがあるのです。

と言うのも、あるテレビ批評家が「このドラマは結末が見え見えだ。最後は野球の試合に勝って終わるのだろう」と書いた新聞コラムを読んでいまして、「恐らく作者や番組スタッフは、これに反発して途中で書き換えたのに違いない」と勝手に推測しておるのです。

その作者、脚本を書いたのは「君塚良一氏」です。かの「踊る大捜査線」で大ヒットを飛ばしたシナリオライターですが、元々は萩本欽一氏のもとで活躍していたコント作家だそうですね。いわゆる欽ちゃんファミリーと言うわけです。

あと、劇中に出て来る「サバカレー」と言う缶詰が実際に商品化され、けっこう売れたようです。僕も一時好んで食べた時期が有りました。サバの生臭さが気にならず、けっこう美味しいんですよね。ただ東京ではなかなか見つけることが出来ないので、最近はご無沙汰してますが‥‥

そんな感じで、地元にもご利益のあったドラマなんですが、地元の人々には「ここはあんなに田舎じゃないよ」と言う苦情もあったそうです。が、冷徹な仕事人間役の浅野温子さんが、九十九里の風景や人情に触れて、人間性を取り戻して行くと言う物語なので、「徹底的な田舎」でなければお話しにはならないんですよね。

それと、観光資源として考えるなら、観光客って「徹底的な田舎」にこそ惹かれるものなんです。地元の人は流行ると思ってオシャレに都会っぽくしたがるのですが、あれは逆効果なんです。中途半端な都会はまったく魅力が有りません。

ブレード走行でいろんな田舎町に出かけましたが、寂れている観光地って、だいたいそうでしたよ。 




  

コメント

このブログの人気の投稿

7「回想,真夜中のローラー・スケート」

前回までのお話し →  「37年越しの・・、墓参り」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 東京芸術大学  1979年〜1982年 美術学部絵画科 油画アトリエ・・ 芸大同期の女子、Rさんとの初めての会話は、とても唐突でした。 「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」 それまで、挨拶しかしたことの無かった女の子が、ある日、大学の、僕がいるアトリエにやって来て、いきなり重たい紙袋を手渡してそう言ったのです。中を見ると、10数枚のLPレコードが入っていました。「ジミ・ヘンドリックス」「エアロスミス」「ジャニス・ジョップリン」などなど、ロックの名盤ばかりでした。 この前日、大学の友人たちとアトリエ前の階段に座って雑談し、「ロックバンドを作ろうぜ!」と言う話しになったのです。とりあえず僕はギターが弾けるので誘われたのですが、弾くのはアコースティックギターで、フォークソング派でした。 それで、「オレ・・、ロックは良くわからんな」と、弱気な発言をしていたら、次の日になって、小柄な彼女が重たい紙袋を抱えてやって来たのです。 「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」 「全部って・・、ええっ?、貰っていいの?」 彼女が、僕らの雑談を傍らで聞いていたことは知っていました。が、突然レコードの束を渡されるとは思いませんでした。 「あげるよ。この辺はもう聴かないから。いま凝ってるのは達郎だから」 「タ、ツ、ロ、ウ・・?」 「山下達郎、知らないの?。それなら、今度テープに録ってあげるよ」 ・・それが、僕たちの会話の始まりでした。 それから少しずつ話しをするようになり、「ローラー・スケート」が共通の趣味だと言うことも分かって来ました。そして当時、発売されたばかりの新型ローラー・スケートの話題になりました。フレームにエラストマー素材を噛ませ、サスペンション構造になった物がアメ横で売られていると言うのです。(スケボーと同じ構造です) 「じゃあ、今度それ買って、いっしょに滑ろうか?」 と、盛り上がりました。しかし子供の玩具とは違い、数万円する代物だったので、買うとなると、それなりの思い切りが必要でした。 それからどのくらい経ったのか、季節は確か初夏のころ、浪人時代からの友人S君が僕のところへやって来ました。「Rさんがローラー・スケート買いに行くって言ってるけど、一緒

二年前の事件の話し

★1990年のある日、僕の家に刑事が訪れました。やがて彼によって語られる事件の内容は、その後に起こる、不思議な出会いの始まりでもありました。 これは1990年に僕の周辺で実際に有った出来事です。それをその二年後の1992年に書きました。それで「二年前の・・」と言うタイトルなのです。つまりこれは、当時の記事の「再アップ」になります。念のため、筆者・高橋以外の登場人物は仮名・伏せ名にし、ショート・ストーリー風にしてあります。 * 「じつは・・、 殺しが有りましてねえ」 その男は挨拶もせず、片手で首を絞めるような仕草をして見せた。 それは、僕が久しぶりに車を洗っている時のことだった。洗い終わり、ワックスの用意をしていると、警察手帳を見せながら門を開け、彼は勝手に入って来た。本物の刑事を目にするのは小学生時代の三億円事件以来だったが、まさか今度は、「殺人事件」でやって来るとは・・ 「弟さん、いますか?」 そう聞かれて、僕は一瞬言葉を失なった。 「すみませんがねえ、ちょっと話し、聞きたいんですよ。1時間か2時間、お願い出来ませんか?」 僕は、嫌なことを想像していた。 弟?人殺し・・? だが刑事は、じっと僕の目を見たまま、それ以上喋ろうとはしなかった。そしてその視線は、僕の心の中を読み取ろうとしているかのように想えた。 解りましたと、玄関のドアを開けようとすると、刑事は後ろから、 「村下って奴が殺ったんですがね、どうやら弟さんがそいつと親しくしていたようでね」と付け加えた。 「お兄さん、何か聞いてませんか?」 「あ、いえ、何も・・」 戸惑いながらも、少しほっとしていた。 僕の弟は日産の武蔵村山工場(2001年閉鎖)に勤めている。一週間ごとに昼勤と夜勤がシフトされるのだが、今日は夜勤明けで寝ていた。勤め始めの頃は寮に入っていたが、年齢制限でつい最近追い出され、今は親元に戻って来ていた。 僕はアパート暮らしで、たまに家に置きっ放しの車を洗いに戻って来るだけなのだが、偶然にもこの日、居合わせたのだった。親は共に仕事へ出掛けていなかった。 弟を起こして刑事に紹介する時も、何故か刑事は、終始僕の表情を探っていた。僕はその様子から、刑事が弟を少なからず疑っているのだと言うことを察した。 「お兄さんもいてください」刑事は言った。 彼は身内の微妙な表情の変化を見定めようとするつもりなのだ。 し

ナックル姫?と草野球

★「全6球ナックル勝負!えりちゃん涙の復帰!」だそうです。 どうもこの、「ちゃんづけ」や「姫」と呼ぶのも好きになれませんが、男でも「王子」なんて呼んだりしてるので、まあ、こんなもんなんでしょう。 でもとにかく、関西独立リーグも幾つか新しいスポンサーを見つけたり、募金活動などの努力で存続、吉田えり投手も復活できて良かったです。 ところで、この「女子選手」と言う存在、草野球の世界ではけっこう風当たりが強いと言うのを知っていますか。幾つかの草野球サイトの「フォーラム」では、必ず一度は男に混じってプレーする「女子選手」に関するスレッドが立ち、そこでは、女子選手が「真剣勝負にどれほど邪魔で不必要な存在か」と言うことが延々と語られているのです。 ゴブリンズにはこれまで述べ3名の女子選手が在籍していたので、複雑な思いでそれらの記事を読んでいました。内容の説明は面倒なので、興味のある人は草野球サイトを検索してみて下さい。 ・・で、今回ちょっと気になったのは、そんなプライド高き男たちが、「吉田えり投手」について何も語っていないと言うことなんです。あちこちサイトを覗いて見たのですが、それに関するスレッドはまったく見当たりませんでした。 あれだけ女子選手について饒舌に(悪態を?)書いた人たちなら、「女子選手のプロ入り」についても、どんどん発言して当たり前のはずなのに、どうしちゃったんでしょう。 もしや、彼女は独立リーグと言えども「プロ」なので、草野球のテーマにはそぐわないとでも思ったのでしょうか。それとも?、ホンキで野球への夢を追いかける彼女に、気後れしてしまったのでしょうか。 考えてみれば、「吉田えり投手」がやっている野球の方が、硬式球使用の9イニングで行う「本物の野球」なわけで、屈強な?男たちがどんなに頑張ったところで、2時間7イニングの「お遊び草野球」では、分が悪いのです。でも沈黙はいけません。怖気づいて逃げたと思われても仕方無いですな。 草野球(軟式野球)とは、残念ながら「本物の野球」では有りません。ミニ・ベースボールです。サッカーとフットサルの関係だと思えば分かりやすいでしょう。 しかしそのフットサルも、今では「ミニ・サッカー」と言う位置づけではなく、独立したスポーツとして成り立っているわけで、軟

アウトドア用?それとも災害用?

★昔からアウトドア用品に興味があり、ちょくちょく検索していたところ、コンパクトな折りたたみ式コンロを見つけました。 組み立ててイワタニのガス缶をつければ簡単に使えます。ボンベがコンビニでも買えるので便利かもな、と思って見ていたら、購入者のレビューには「災害用に購入」と言うのがとても多くてビックリでした。 「なるほど、そう言う時代なのかもな」と思うと同時に、僕も本格登山用コンロを持ってますが、確かにいざと言うとき登山用ガスボンベは近所の店では手に入りにくい、と思い至り、自分もひとつ買っておこうと言う気になりました。 届いた物は本格的なヤツよりやや重いですが、思いのほかコンパクトで良かったです。着火はワンタッチでライターいらずです。 コンロを買ったついでに、アウトドア用鍋(クッカー)も購入しました。 これは「ドッペルギャンガー」と言うメーカーの「ラーメン、コーヒー、そして俺(クッカー&パーコレーター・ミルセット)」と言う、何とも面倒な名前のモノなんです。 が、そのネーミング通り、ラーメン調理を主に、ミルで挽いたコーヒー豆をパーコレータに入れて鍋の中で煮出し、レギュラーコーヒーが楽しめると言うのが売りなのです。 ラーメン用にはちょっと底が深過ぎですが、吹きこぼれを防げるのと、カップ麺なら二杯分のお湯が沸かせるなど、いろいろ兼用できると言う点では良いと思います。 (半分をカップ麺に、残った半分でコーヒーを入れることも可能です)。アルミに特殊なコーティングをしてあるとかで、持った感じは軽いです。 あとついでに、「ダイソー」でアウトドア用カップとコッフェル二種類、それとスプーンとフォークを買いました。全部ステンレス製で、もちろんそれぞれ100円、消費税込みの合計540円です。 最初は「どうかなあ?」と迷いましたが、意外とよく出来ていますよ。まあ最近の登山ではチタン製が当たり前なので、人気薄のステンレス製は想像以上に安く売れるのかも知れません。スプーン・フォークも折りたたみ式で、組み立てるとガタつきなど無く、立派なモンです。 ・・とまあ、そんなワケで、アウトドア・クッキング用品一式が、・・否!「緊急災害用炊き出し用品一式」が無事そろったと言うことになります。あとはインスタント・ラーメンとコーヒー豆を備蓄しておくことにしますか・・ ただし、何事も無く世の中が進んで行ってくれたらそれ

2「どっこい、夢はまだ続いていた・・」

前回までのお話し → 1「土手の上で、夢の中の約束」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 ★正直、今回はアップするか否か迷いました。 今年9月(2021)のお彼岸のころ、「土手の上で、夢の中の約束」と言うブログ記事を書きました。37年前に亡くなった女の子の夢を見た、と言う話しです。当初は「珍しい人の夢」と言う、ある意味「懐かしさ」を書こうとしたものでした。 ところが、じつはその人の夢、まだ終わっていないんです。断続的にですが、続いているんです。数にして、10回近くは見ているかも知れません。 こんなにたびたび同じ人の、しかも亡くなった人の夢なんて初めてで(両親が亡くなった時でさえこんなことは無く・・)、それだけに、何か「意味のある出来事?」のように思え、忘れない内に書き留めておこう、そんな気持ちになったのですが・・ しかしです、ふとワレに返りまして、疑心暗鬼にもなってしまったのです。どんなに一生懸命書いても、伝わらないんじゃないか?。「作り話しでし ょ?」って言われたらそれまでだと・・ 僕の亡くなった母親は、ちょくちょく「正夢」を見る人でした。たとえば「田舎の親戚が大ケガする夢を見た」と言って電話をすると、ホントに大ケガをしていたとか・・ 僕には離婚歴がありますが、何も伝えて無いのに電話がかかって来て、「二人が別々に歩いて行く夢を見た。なんか有ったんじゃないだろうね!」なん て 、怒った口調で問い詰められ、しどろもどろになったことも有りました。 僕自身 は、ここまで特別な夢体験も無く生きて来たのですが、そんな母に、たびたび話しを聞かされて来たので、「夢がメッセージを運ぶ」ってのは、まあまあ有ることだろうとは思っていました。 が、まさか自分が、「メッセージ夢?」を見ると思ってなかったし、今回もすぐに「何か意味があるのでは?」と、信じたわけではないのです。 しかし、何回か、亡くなった同じ女の子の夢を見て、それがいつもより鮮明で、目が覚めても薄れて行かなくて・・、そんなことを繰り返している内に、「まさか、もしかして?」と、少しずつ気持ちが傾いて行ったと言うワケなのです。 だから、そうじゃない普通の?人々にとっては、いきなりそんな話しをされても・・、さて、どんなモンでしょう。やはり、奇異な感じに映るだけなのではないでしょうか? しかしです。それでも、夢を

母親が亡くなる時に起こった不思議な出来事

★今年もお盆の時期がやって来ました。じつは2018年は、母が2月、父が10月にと相次いで亡くなりまして、その二人分の後始末?に追われ、長い間ブログをお休みしていたのです。で、ようやくメドがついて来まして、再開することになったのですが、やっぱり最初は「この話題」かな・・と思った次第なのです。 2018年の2月初めでしたか、夕食後、母親と世間話しをしている最中、妙なことを言い始めたのです。・・それは以下のような言葉でした。 「あとはお前の好きなようにやっていいから。自分のやりたいように生きていけ」 記憶にある限り、人生訓だとか、改まったモノの言い方を聞いたことが無かったので、ビックリして、返事も出来ず、まじまじと母親の顔を見てしまいました。・・そして、その十日後ぐらいだったと思います。突然、母が僕の目の前で倒れたのです。 1分前まで、ごく普通に話しをしていたその姿のまま、突然胸を押さえたかと思うと、僕の目の前で意識を失ったのです。大急ぎで救急車を呼び、日赤病院に運び込んだのですが、その時にはすでに息絶えていました。担当の医師によれば、「倒れた時点で、ほぼ即死の状態だった」とのことでした。 母親の死因は「急性大動脈解離」。確か、アンパンマンで声優をしている女性が、首都高速で運転中に突然亡くなったと言う、あの死因も同じ、大動脈解離だったと記憶しています。 当初は、「体調も普通だったし、思いもしなかったなあ・・」 と呆然としていたのですが、しばらくしてから、あの夕食の後の妙な「人生訓?」を思い出し、もしかしたらあれが「虫の知らせ」と言うヤツだったのだろうか、と言う気がして来たのです。 で、通夜だの葬儀だのの合間に、集まった親戚と話しを聞いているうちに、僕以外にも、いろいろ「予兆」を感じた人がいたようだ・・、と思い知らされたのです。 * 従兄弟の嫁さんから聞いた話し 「今にして思えば・・」とはよく聞く話しですが、最初に話しをしてくれたのは、従兄弟の嫁さんでした。彼女によれば、母が亡くなる数日前に会った時、「妙な違和感」を感じた、と言うのですが・・・ 従兄弟夫婦はウチのすぐ近くに住んでいて、その嫁さんは母を慕い、時々訪れては長々とお喋りをする「茶飲み友達」だったのです。そうして帰るときはいつも、母親が玄関から見送るのが常でした。 が、その日に限っては違っていました。何を思ったのか