スキップしてメイン コンテンツに移動

iPhoneにかえた

★ついに念願の?「iPhone 3G」に機種交換しました。

ゴブリンズ関係ではあまり評判の良くないiPhoneですが、僕にとっては、2002年に「携帯電話付きiPodの出現」を予言し?、7年が過ぎ、ついに現実となったモノを手にした記念すべき瞬間なのです。

まあ「予言」と言うよりは「待望」と言った方がいいかも知れませんが・・

と言うのも、サイクリングや長距離インラインスケート「ブレード走行」を繰り返すうち、2000年頃から携帯電話やデジカメ、その他いろいろなハイテク小物が増えて行き困っていたからなのです。そこへさらに「iPod」を導入したため、腰の回りが小物入れホルダーでいっぱいになってしまいました。

で、これらの機能を、一つのアイテムに統一出来たらきっと便利なはずだと、かねがね思っていました。そして「第二世代iPod」を手にした時、「iPodに電話機能を持たせた製品が出るに違い無い」と言う予知が直感的に働いたのです。

何故かと言うと、iPodは、これまで使用して来たカセットやMDなど、携帯音楽プレーヤーよりも段違いに音が聴きやすかったからなのです。しかもMacとiTunesを使えば、数百曲の曲の転送が、ワンクリックですこぶる簡単に行えると言うのも魅力でした。

iPhoneの開発が、もし携帯電話側からのアプローチだったら、機能優先で、たぶん音質はスポイルされていたことでしょう。事実、携帯電話の音で満足の出来るものは(使用した限りでは)有りませんでした。

これまで日本のメーカーは「測定値の高い音を出す」ことにこだわり過ぎて、「音楽を心地よく聴かせる音の追求」と言う本来の意味を見失っていました。特にウォークマンタイプの総本家ソニー、アイワと言ったメーカーにその傾向が顕著で、いわゆるドンシャリで耳にキツイ音が「いい音」として広まり、携帯電話の音楽プレーヤーもそれに追随していました。

(この時期、高音から低音までバランスよく一番いい音を出していたのは、ソニーではなくTEACのイヤホンでした)

「iPodの音」は、確かに測定値的には日本のメーカーに劣っていたかも知れません、が、その分、耳に優しく音量を上げやすい「音楽を聴きやすい音」に仕上がっていたと言うわけです。(固定イコライザーも効き目十分)

僕は「iPod」の音を聴いた瞬間、「ウォークマン負けたな・・」と直感しました。同時に「携帯電話に音楽プレーヤーを付けるより、iPodに電話機能を付けた方が売れるぞ?」とも思っていました。「iPod」は、電話として使えばちょうどいい大きさだ、と感じていたからです。

そうこうしているうち、「iPhone開発」のウワサが流れて来たのです。Appleも同じ発想を持ったと言うことでしょうか。

そうして、「iPod電話化」のヒラメキから7年あまりが過ぎまして、幸運なことに?「iPhone」を開発したAppleとソフトバンクが提携することになり、ほぼベンチャーだった「東京デジタルホン」の時代からから、ずっと乗り換えせず今日まで待ち続けたかいあって、やっとまあ、この日がやって来たと言うわけなのです。(大げさか?)

さて、届いてからさっそく小包を開いてみると、こんなケースに入っていました。ホワイトは白い箱ですが、ブラックを買うと黒い箱に入ってきます。

写真では分かりづらいですが、箱の写真はレリーフになっています。Appleの製品は、だいたいこんな立派な?箱に入って来ます。エコの時代にこれを「無駄」と言う人もいるだろうし、逆に「遊び心」と思う人もいるでしょう。

アイコンは普段使っている「Mac OS X」とほぼ同じなので、Macユーザーなら初めてでも迷い無く使えます。問題なのは、通常の携帯電話より大きいので、今まで使って来たホルダーやケース類がことごとく使えなくなってしまうと言うことでしょうか。

それと、見た瞬間「絶対カバーが必要」と思ってしまいます。iPodもそうでしたが、見た目が非常に無防備で、慎重に扱っても簡単にキズが付いてしまいそうなのです。Appleのデザインには、キズが目立たないようにとか、落としにくいようにとか言う配慮はほとんど無いんです。しかも、持ちにくい形状なので、安全ロープとしてのストラップも付けたいところです。

さっそく通話した感じでは、音質はとてもいいと思いました。携帯特有のザラついた感じが無く、とてもクリアに音声が聞こえました。残念ながら呼び出し音の種類が乏しく、気に入ったものを選びようが無いのが惜しいですね。

で、まずは「メールの設定をせよ」と言うことなので、iPhoneのブラウザを立ち上げてID&PWを入力するのですが、これが煩雑でとても分かりづらい。ID&PWが何種類かあって、どれをどこに入れたらいいか分からんのです。

それでも何度か失敗しながらログインに成功、メールアドレスを自分の好きな文字に変換し、ようやく完了。これで新しくiPhoneのアドレスが決定したので、さっそく仲間にアドレス変更のお知らせメールを出しました。

ところが、アドレス変更したので、ボーダフォン時代からのアドレス「・・@t.vodafone.ne.jp」は使えなくなっているはずと、遊び半分で、家族の携帯から「・・@t.vodafone.ne.jp」宛にメール送信してみたのですが、何と、ちゃんと届くではありませんか?!。

ここで僕の頭は大混乱に陥ってしまったのです。何故届くのかまったく不明?だったんです。そもそも、iPhoneに変えたとたん、今までのアドレスは自動的に使用できなくなると思い込んでいたし、それがiPhoneへの機種変更をためらっていた理由でもありました。

そこで、マニュアルをじっくり読み込んでみると、どうも「メール設定」が二種類必要だと言うことが判明しました。で、マニュアルだけではよく分からないので、ネットで検索してみたところ、ようやく全体像が分かって来ました。大雑把に言うと、iPhoneには「SMS」「MMS」「iPhoneEメール」の三種類が有ると言うのです。

「SMS」は携帯番号で送り合ういわゆるショートメールです。
「iPhoneEメール」はドメインが「@i.softbank.jp」になるEメールです。

で、「MMS」と言うのが、いわゆる「携帯メール」に相当するもので、iPhoneには2009年の6月に追加されたようです。ドメインは「@softbank.ne.jp」になります。写メールも、この「MMS」を利用して発信するようです。

つまり、当初のiPhoneには「携帯メール」は存在しなかったのです。その代わり「iPhone専用のEメールアカウント」が与えられました。だから、それまでの携帯アドレスは破棄され、新しいアドレスになってしまっていたのです。

これが「iPhoneにするとアドレスが変わってしまう」と言われるゆえんです。このことは世間には浸透していませんが、「アドレスが変わるからiPhoneにしない」と言う人も多いので、けっこう重要なんじゃないでしょうか。

「MMS(携帯メール)」はドメインが「@softbank.ne.jp」なので、2009年6月以降、このドメインを使用しているソフトバンクユーザーなら、iPhoneに機種交換しても「携帯アドレスは変わらない」と言うことになります。逆にiPhoneアカウントのアドレスが一つ増えます。(前述のようにボーダフォン時代のアドレスも通じます)

ちなみに「iPhoneEメール」の設定用に新しいID&PWが送られて来ますが、「MMS」の設定には、SBユーザーなら以前から利用している「My Softbank」のID&PWで行います。この「My Softbank」も、iPhone用とソフトバンク用の二種類があって、紛らわしいのです。

ちなみに、修理はソフトバンク店ではなく、Appleストアに出向かなくてはならないようです。

メールの説明が難しいので、気になる人は下記のサイトに詳しく書いてあるので見てください。

こんな試行錯誤を繰り返している内に、相当パケット代がかかったようで心配になりました。いちおう定額だし割引もあるので、行っても4410円のはずなのですが、それまで極力節約して来たので、ちょっと気になって来ました。

iPhoneにはWi-Fi機能が有り、その設定もすれば通信代無料で出来ると言うのですが、そのためにわざわざマクドナルドの「BBモバイルポイント」まで出向くのも面倒だし、自宅用の無線LANルータを買うのもなあと思っていたら、自分のiMacに「AirMac (無線LANルータ)」が標準装備されていることが判明、PWを設定してスイッチを「入り」にしたら、簡単に使えました。eMacの頃はオプションだったので知りませんでした。(セキュリティがWEPと不安なので、こまめなON,OFFの必要が有りますが・・)


・・てなわけで、少し書いてみましたが、どんどん長くなりそうなので、この辺で一休みします。また気が向いたら書くことにしましょう。それと、ここに書いたように、「MMS」がこれまでの携帯メールに相当するアドレスと言うことなので、メール変更の追伸を送る予定です。




  

コメント

このブログの人気の投稿

7「回想,真夜中のローラー・スケート」

前回までのお話し →  「37年越しの・・、墓参り」 Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 東京芸術大学  1979年〜1982年 美術学部絵画科 油画アトリエ・・ 芸大同期の女子、Rさんとの初めての会話は、とても唐突でした。 「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」 それまで、挨拶しかしたことの無かった女の子が、ある日、大学の、僕がいるアトリエにやって来て、いきなり重たい紙袋を手渡してそう言ったのです。中を見ると、10数枚のLPレコードが入っていました。「ジミ・ヘンドリックス」「エアロスミス」「ジャニス・ジョップリン」などなど、ロックの名盤ばかりでした。 この前日、大学の友人たちとアトリエ前の階段に座って雑談し、「ロックバンドを作ろうぜ!」と言う話しになったのです。とりあえず僕はギターが弾けるので誘われたのですが、弾くのはアコースティックギターで、フォークソング派でした。 それで、「オレ・・、ロックは良くわからんな」と、弱気な発言をしていたら、次の日になって、小柄な彼女が重たい紙袋を抱えてやって来たのです。 「全部あげるから、これ聴いてロックの勉強しなよ」 「全部って・・、ええっ?、貰っていいの?」 彼女が、僕らの雑談を傍らで聞いていたことは知っていました。が、突然レコードの束を渡されるとは思いませんでした。 「あげるよ。この辺はもう聴かないから。いま凝ってるのは達郎だから」 「タ、ツ、ロ、ウ・・?」 「山下達郎、知らないの?。それなら、今度テープに録ってあげるよ」 ・・それが、僕たちの会話の始まりでした。 それから少しずつ話しをするようになり、「ローラー・スケート」が共通の趣味だと言うことも分かって来ました。そして当時、発売されたばかりの新型ローラー・スケートの話題になりました。フレームにエラストマー素材を噛ませ、サスペンション構造になった物がアメ横で売られていると言うのです。(スケボーと同じ構造です) 「じゃあ、今度それ買って、いっしょに滑ろうか?」 と、盛り上がりました。しかし子供の玩具とは違い、数万円する代物だったので、買うとなると、それなりの思い切りが必要でした。 それからどのくらい経ったのか、季節は確か初夏のころ、浪人時代からの友人S君が僕のところへやって来ました。「Rさんがローラー・スケート買いに行くって言ってるけど、一緒

二年前の事件の話し

★1990年のある日、僕の家に刑事が訪れました。やがて彼によって語られる事件の内容は、その後に起こる、不思議な出会いの始まりでもありました。 これは1990年に僕の周辺で実際に有った出来事です。それをその二年後の1992年に書きました。それで「二年前の・・」と言うタイトルなのです。つまりこれは、当時の記事の「再アップ」になります。念のため、筆者・高橋以外の登場人物は仮名・伏せ名にし、ショート・ストーリー風にしてあります。 * 「じつは・・、 殺しが有りましてねえ」 その男は挨拶もせず、片手で首を絞めるような仕草をして見せた。 それは、僕が久しぶりに車を洗っている時のことだった。洗い終わり、ワックスの用意をしていると、警察手帳を見せながら門を開け、彼は勝手に入って来た。本物の刑事を目にするのは小学生時代の三億円事件以来だったが、まさか今度は、「殺人事件」でやって来るとは・・ 「弟さん、いますか?」 そう聞かれて、僕は一瞬言葉を失なった。 「すみませんがねえ、ちょっと話し、聞きたいんですよ。1時間か2時間、お願い出来ませんか?」 僕は、嫌なことを想像していた。 弟?人殺し・・? だが刑事は、じっと僕の目を見たまま、それ以上喋ろうとはしなかった。そしてその視線は、僕の心の中を読み取ろうとしているかのように想えた。 解りましたと、玄関のドアを開けようとすると、刑事は後ろから、 「村下って奴が殺ったんですがね、どうやら弟さんがそいつと親しくしていたようでね」と付け加えた。 「お兄さん、何か聞いてませんか?」 「あ、いえ、何も・・」 戸惑いながらも、少しほっとしていた。 僕の弟は日産の武蔵村山工場(2001年閉鎖)に勤めている。一週間ごとに昼勤と夜勤がシフトされるのだが、今日は夜勤明けで寝ていた。勤め始めの頃は寮に入っていたが、年齢制限でつい最近追い出され、今は親元に戻って来ていた。 僕はアパート暮らしで、たまに家に置きっ放しの車を洗いに戻って来るだけなのだが、偶然にもこの日、居合わせたのだった。親は共に仕事へ出掛けていなかった。 弟を起こして刑事に紹介する時も、何故か刑事は、終始僕の表情を探っていた。僕はその様子から、刑事が弟を少なからず疑っているのだと言うことを察した。 「お兄さんもいてください」刑事は言った。 彼は身内の微妙な表情の変化を見定めようとするつもりなのだ。 し

ナックル姫?と草野球

★「全6球ナックル勝負!えりちゃん涙の復帰!」だそうです。 どうもこの、「ちゃんづけ」や「姫」と呼ぶのも好きになれませんが、男でも「王子」なんて呼んだりしてるので、まあ、こんなもんなんでしょう。 でもとにかく、関西独立リーグも幾つか新しいスポンサーを見つけたり、募金活動などの努力で存続、吉田えり投手も復活できて良かったです。 ところで、この「女子選手」と言う存在、草野球の世界ではけっこう風当たりが強いと言うのを知っていますか。幾つかの草野球サイトの「フォーラム」では、必ず一度は男に混じってプレーする「女子選手」に関するスレッドが立ち、そこでは、女子選手が「真剣勝負にどれほど邪魔で不必要な存在か」と言うことが延々と語られているのです。 ゴブリンズにはこれまで述べ3名の女子選手が在籍していたので、複雑な思いでそれらの記事を読んでいました。内容の説明は面倒なので、興味のある人は草野球サイトを検索してみて下さい。 ・・で、今回ちょっと気になったのは、そんなプライド高き男たちが、「吉田えり投手」について何も語っていないと言うことなんです。あちこちサイトを覗いて見たのですが、それに関するスレッドはまったく見当たりませんでした。 あれだけ女子選手について饒舌に(悪態を?)書いた人たちなら、「女子選手のプロ入り」についても、どんどん発言して当たり前のはずなのに、どうしちゃったんでしょう。 もしや、彼女は独立リーグと言えども「プロ」なので、草野球のテーマにはそぐわないとでも思ったのでしょうか。それとも?、ホンキで野球への夢を追いかける彼女に、気後れしてしまったのでしょうか。 考えてみれば、「吉田えり投手」がやっている野球の方が、硬式球使用の9イニングで行う「本物の野球」なわけで、屈強な?男たちがどんなに頑張ったところで、2時間7イニングの「お遊び草野球」では、分が悪いのです。でも沈黙はいけません。怖気づいて逃げたと思われても仕方無いですな。 草野球(軟式野球)とは、残念ながら「本物の野球」では有りません。ミニ・ベースボールです。サッカーとフットサルの関係だと思えば分かりやすいでしょう。 しかしそのフットサルも、今では「ミニ・サッカー」と言う位置づけではなく、独立したスポーツとして成り立っているわけで、軟

母親が亡くなる時に起こった不思議な出来事

★今年もお盆の時期がやって来ました。じつは2018年は、母が2月、父が10月にと相次いで亡くなりまして、その二人分の後始末?に追われ、長い間ブログをお休みしていたのです。で、ようやくメドがついて来まして、再開することになったのですが、やっぱり最初は「この話題」かな・・と思った次第なのです。 2018年の2月初めでしたか、夕食後、母親と世間話しをしている最中、妙なことを言い始めたのです。・・それは以下のような言葉でした。 「あとはお前の好きなようにやっていいから。自分のやりたいように生きていけ」 記憶にある限り、人生訓だとか、改まったモノの言い方を聞いたことが無かったので、ビックリして、返事も出来ず、まじまじと母親の顔を見てしまいました。・・そして、その十日後ぐらいだったと思います。突然、母が僕の目の前で倒れたのです。 1分前まで、ごく普通に話しをしていたその姿のまま、突然胸を押さえたかと思うと、僕の目の前で意識を失ったのです。大急ぎで救急車を呼び、日赤病院に運び込んだのですが、その時にはすでに息絶えていました。担当の医師によれば、「倒れた時点で、ほぼ即死の状態だった」とのことでした。 母親の死因は「急性大動脈解離」。確か、アンパンマンで声優をしている女性が、首都高速で運転中に突然亡くなったと言う、あの死因も同じ、大動脈解離だったと記憶しています。 当初は、「体調も普通だったし、思いもしなかったなあ・・」 と呆然としていたのですが、しばらくしてから、あの夕食の後の妙な「人生訓?」を思い出し、もしかしたらあれが「虫の知らせ」と言うヤツだったのだろうか、と言う気がして来たのです。 で、通夜だの葬儀だのの合間に、集まった親戚と話しを聞いているうちに、僕以外にも、いろいろ「予兆」を感じた人がいたようだ・・、と思い知らされたのです。 * 従兄弟の嫁さんから聞いた話し 「今にして思えば・・」とはよく聞く話しですが、最初に話しをしてくれたのは、従兄弟の嫁さんでした。彼女によれば、母が亡くなる数日前に会った時、「妙な違和感」を感じた、と言うのですが・・・ 従兄弟夫婦はウチのすぐ近くに住んでいて、その嫁さんは母を慕い、時々訪れては長々とお喋りをする「茶飲み友達」だったのです。そうして帰るときはいつも、母親が玄関から見送るのが常でした。 が、その日に限っては違っていました。何を思ったのか