★私の母にまつわる怪異現象?について、これまでもいくつか書きました。その中でも一番印象に残る話しとしては、天神様と呼ばれる山の上の神社で起こった落雷の話しだったと想うのですが、その後、母から聞き直してみたところ、いくつか実際と異なる部分があると分かりました。幼いころ何度も聞かされ、しっかり覚えていると思い込んでいたのですが、細かい部分で記憶違いがあることが判明したのです。なので、それを訂正したものをもう一回アップしたいと想います。
私の母は雷を異常に怖がります。雷が鳴りはじめると部屋に閉じこもり、何もしなくなってしまうくらいなのです。もちろんそれには、そうなるだけの理由、今で言う「トラウマ」となる出来事がありました。
私の母は昭和一桁生まれで、秋田県大仙市(当時の大曲)の小さな村で育ちました。が、小さいながら、当時は子供たちのたくさんいる活気に満ちた所だったとのことです。その村の中心には、天神様と呼ばれる山が有り、二百段ほどの石段を登ると、頂上には神社が有って、境内は十数人の子供が走り回って遊べるだけの小さな広場になっていました。(私も子供の頃、里帰りする母に連れられ何度も登ったことが有ります)
その日、母は遊び友達の女の子と二人、天神様に向かって階段をかけ昇っていました。冬は雪に閉ざされ登れません。これは夏の良く晴れた日の出来事なのです。以前書いた時は、この時の母は10歳以下と思い込んでいたのですが、どうやらもう少し年上の、12〜13歳くらいだったようです。
途中母は、その友だちにいたずら話を持ちかけられました。昔から村の大人たちに絶対に見てはいけないと言われている、天神様の御神体を見てしまおうと言うのです。私の母は、そんなおっかねえことはやめようと、しきりに説得したのですが、相手の女の子は聞く耳を持ちません。
頂上に着くと、すでに授業を終えた小学生から中学生くらいの子供たちが遊んでいました。その中には母の弟(私の叔父)もいて、一緒に遊んでいたそうです。つまりこれは、子供ながら複数の目撃者がいた現象だったと言うことなのです。
その友だちは、神社に着くなり、尻込みする母の手を引っ張って社の階段を上って行くのでした。そうして引き止める母の声も聞かず、ほこりにまみれた扉を開け、御神体が祭られているはずの、奥の戸を開けてしまったのです。・・が、そこには、古びた丸い鏡が置かれているだけでした。
「なあんだ、こんなの・・」と、恐る恐る開けて見た物が、何の変哲もないくすんだ鏡だったので、その友達はがっかりして振り返り、社の外に出たのです。と、その瞬間でした。物凄い音がして、まぶしい紫色の閃光に包まれたのです。落雷でした。轟音に驚き振り向いた男の子たちの目撃談によれば、その瞬間、大きな光の球が、神社の境内をぐるりと飛び回ったのだそうです。(いわゆる球電と言うヤツですね)。母はと言えば、激しいショックと耳鳴りで、茫然と立ちすくんでいたとのことです。
「雷だ・・」。ようやく我に返った母がふり向くと、なんと、大きな木が真っ二つに裂け、その下で、友達が顔を手で覆ったまま倒れていたのです。・・これは後々わかるのですが、雷が口の中に落ち、アゴを貫通していたそうなのです。
「○○ちゃんが死んだ!」とっさに母はそう想ったそうなのですが、奇跡的に命に別状は無く、気を失っていたか、あるいは痛みで動けなかったのかして、倒れ込んでいただけらしいのです。
その後のことは、母にはハッキリとした記憶が無いとのことで、恐らくは、近くにいた上級生たちが担いで山から降ろし、その途中で、農作業中の大人を見つけてリヤカーか何かに乗せ、大急ぎで医者に連れて行ったのではないかと言うことらしいです。(自動車など田舎には無い時代です)
だとしても、昭和初期の田舎の医者なぞ、大した治療も出来ないだろうし、よく助かったものだと母は思い返していました。それと、気象学的にはいろいろな解釈も出来るのでしょうが、いわゆる青天の霹靂と言うヤツが、禁断の御神体を覗いた瞬間に、しかもその禁を破った少女を狙い撃ちするかのように落ちると言う偶然は、やはり不可思議な出来事のような気がしてならないのです。少なくとも、後々あちこちで語り伝えてしまうほど、母の記憶には鮮烈に残る出来事だったと言うことなのでしょう。
あと、ちなみに、落雷を受けたその友達ですが、彼女は70年近く経った現在、傷痕も薄れ、結婚して子供を生み、いや、今では孫もいる歳となり、ごく普通に暮らしていると言います。・・これはそんな昔々、大昔のお話しなのです。
*関連記事◎もののけ
◎キツネの嫁入り
私の母は雷を異常に怖がります。雷が鳴りはじめると部屋に閉じこもり、何もしなくなってしまうくらいなのです。もちろんそれには、そうなるだけの理由、今で言う「トラウマ」となる出来事がありました。
私の母は昭和一桁生まれで、秋田県大仙市(当時の大曲)の小さな村で育ちました。が、小さいながら、当時は子供たちのたくさんいる活気に満ちた所だったとのことです。その村の中心には、天神様と呼ばれる山が有り、二百段ほどの石段を登ると、頂上には神社が有って、境内は十数人の子供が走り回って遊べるだけの小さな広場になっていました。(私も子供の頃、里帰りする母に連れられ何度も登ったことが有ります)
その日、母は遊び友達の女の子と二人、天神様に向かって階段をかけ昇っていました。冬は雪に閉ざされ登れません。これは夏の良く晴れた日の出来事なのです。以前書いた時は、この時の母は10歳以下と思い込んでいたのですが、どうやらもう少し年上の、12〜13歳くらいだったようです。
途中母は、その友だちにいたずら話を持ちかけられました。昔から村の大人たちに絶対に見てはいけないと言われている、天神様の御神体を見てしまおうと言うのです。私の母は、そんなおっかねえことはやめようと、しきりに説得したのですが、相手の女の子は聞く耳を持ちません。
頂上に着くと、すでに授業を終えた小学生から中学生くらいの子供たちが遊んでいました。その中には母の弟(私の叔父)もいて、一緒に遊んでいたそうです。つまりこれは、子供ながら複数の目撃者がいた現象だったと言うことなのです。
その友だちは、神社に着くなり、尻込みする母の手を引っ張って社の階段を上って行くのでした。そうして引き止める母の声も聞かず、ほこりにまみれた扉を開け、御神体が祭られているはずの、奥の戸を開けてしまったのです。・・が、そこには、古びた丸い鏡が置かれているだけでした。
「なあんだ、こんなの・・」と、恐る恐る開けて見た物が、何の変哲もないくすんだ鏡だったので、その友達はがっかりして振り返り、社の外に出たのです。と、その瞬間でした。物凄い音がして、まぶしい紫色の閃光に包まれたのです。落雷でした。轟音に驚き振り向いた男の子たちの目撃談によれば、その瞬間、大きな光の球が、神社の境内をぐるりと飛び回ったのだそうです。(いわゆる球電と言うヤツですね)。母はと言えば、激しいショックと耳鳴りで、茫然と立ちすくんでいたとのことです。
「雷だ・・」。ようやく我に返った母がふり向くと、なんと、大きな木が真っ二つに裂け、その下で、友達が顔を手で覆ったまま倒れていたのです。・・これは後々わかるのですが、雷が口の中に落ち、アゴを貫通していたそうなのです。
「○○ちゃんが死んだ!」とっさに母はそう想ったそうなのですが、奇跡的に命に別状は無く、気を失っていたか、あるいは痛みで動けなかったのかして、倒れ込んでいただけらしいのです。
その後のことは、母にはハッキリとした記憶が無いとのことで、恐らくは、近くにいた上級生たちが担いで山から降ろし、その途中で、農作業中の大人を見つけてリヤカーか何かに乗せ、大急ぎで医者に連れて行ったのではないかと言うことらしいです。(自動車など田舎には無い時代です)
だとしても、昭和初期の田舎の医者なぞ、大した治療も出来ないだろうし、よく助かったものだと母は思い返していました。それと、気象学的にはいろいろな解釈も出来るのでしょうが、いわゆる青天の霹靂と言うヤツが、禁断の御神体を覗いた瞬間に、しかもその禁を破った少女を狙い撃ちするかのように落ちると言う偶然は、やはり不可思議な出来事のような気がしてならないのです。少なくとも、後々あちこちで語り伝えてしまうほど、母の記憶には鮮烈に残る出来事だったと言うことなのでしょう。
あと、ちなみに、落雷を受けたその友達ですが、彼女は70年近く経った現在、傷痕も薄れ、結婚して子供を生み、いや、今では孫もいる歳となり、ごく普通に暮らしていると言います。・・これはそんな昔々、大昔のお話しなのです。
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