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予知されたタイムリー(ガリレオ先生とセキグチ少年)

★1974年、超能力者を名乗るユリ・ゲラーと言う男が来日、テレビに出演して、念力でスプーンを曲げたり、壊れた時計を動かしたりして日本中を驚かせました。

それを見ていた子供たちも影響され、日本のあちこちで超能力少年、超能力少女が現れました。中でも、関口君と言う小学生の能力は突出していて、何度もワイドショーや雑誌で取り上げられ、ユリ・ゲラー以上の脚光を浴びるようになって行ったのです。

・・これはその頃に聴いた、奇妙な野球中継の記憶です。

ある日曜日の午後、当時、中学生で広島カープのファンだった僕は、いつものように趣味の油絵を描きながら、ラジオの野球中継を聴いていました。そこにゲストとして、関口少年が招かれたのです・・・




「予知されたタイムリー」
(ショート・ストーリー風に・・)

本当に、世の中は変わってしまった。彼はテレビの超能力特集番組を見ながら、そんなことを考えていた。同時に、もしあの少年が、今の時代に現れていたなら、あんな事件にはならなかったのかも知れない、とも思うのだった。


彼は某ラジオ放送局アナウンス部の管理職。今はもう現場を退いた身で、マイクの前に座ることも稀である。

彼は、野球の実況中継をするのが夢でこの仕事についた。その直後から巨人の9連覇時代が始まり、王、長嶋らを中心とした空前のプロ野球ブームを迎えることになる。

しかし、毎試合が名勝負とは限らない。平凡で退屈な試合だっていくつも有る。むしろその方が多いくらいだ。そしてあの日も、本当はそんな無数の、平凡な試合の一つとして終わるはずだったのかも知れない。

日曜日のデイゲーム、巨人対広島。
グラウンドでは両チームのウォーミングアップが続いていた。

いつものように、解説者と打ち合わせを済ませたあと、今日は、隣に座っているゲストの少年に話しかけ、ご機嫌をうかがう。 少年は「関口君」と言って、念力でスプーンを曲げたと騒がれている子供だ。

アナウンサーはその子が巨人ファンであり、熱烈な森捕手(元西武監督)のファンであることを聞き出した。それから、放送が始まってからの手順を解りやすく説明して、時間が来るのを静かに待つようにとも伝えた。

間もなく放送が始まる。
「さあ、今日は解説の◯◯さんの他に、大変なゲストをお招きしています。こんにちは!」
「こんにちは・・」
少年はぼそりと答える。

「今日のゲストは、あの有名なスプーン曲げの小学生、関口少年です!。日本のユリ・ゲラーとも言われている関口君ですが、彼には予知能力も有ると言うので、なんと今日は、どんな試合展開になるのか、予言してもらおうと思います」

アナウンサーの問いかけに、少年は淡々と、予知したと言う試合の内容を話し始めた。それによれば、先取点を上げるのは広島、2点先行したのち、巨人が同点に追いつき、さらに2点を入れ、4対2で逆転勝利すると言う。


「逆転ヒットを打つのは、巨人の森選手です」
「ほう・・」

名指しまでするとは思わなかったアナウンサーは少し戸惑いを覚えた。
「・・と言うことなんですが、いかがですか、◯◯さん」
解説者も苦笑して、参ったなと言う感じ。

解説者のその表情を見たアナウンサーは、急に気が重くなるのを感じた。当初こそ面白そうな企画だと思ったが、これは案外、面倒なことになるかも知れない。

「さあ、間もなく試合開始です。果たして関口少年の予言どおりになるのでしょうか?」

・・もし予言が当たらなかったらどうする?。と言うより、考えてみれば、まず当たるはずの無い、たかが子供の戯れを、オレはどうフォローすればいいんだ?。だいたいこの子だって大恥をかくことになる。

今頃になってようやく、この企画を思いついたプロデューサーに腹が立って来た。それに、こんなことをさせる少年の親にも。

ところがである。試合が始まって間もなく、彼は思いがけない光景を見ることになった。少年の言った通り、広島がランナー2、3塁からレフト線にタイムリー、2点を先取したのだ。

「これはすばらしい。関口君の言った通りになりました!」
そう実況したアナウンサーだったが、むしろ安堵の気持ちの方が強かった。
“この偶然で何とか格好がつく” と・・・

しかしさらに回が進むと、再び “まさか?” と思わせるような場面に出くわす。巨人が2アウト1塁で2ランホームラン。同点に追いついたのだ。

「いや、ちょっと・・、ここまでは当たってますね!」
これには解説者が少し興奮していた。アナウンサーは話しの主軸を試合に戻そうとするが、解説者はすでに予言の方に気を取られているようだった。

「最後はどうなるんでしったっけ?。巨人が逆転勝利?」
解説者がそう尋ねると、アナウンサーは少年に確かめた。
「たしかそうだったね?。4対2で巨人が逆転して勝つんだよね。で、タイムリーを打つのはキャッチャーの森選手?」
「はい・・」
関口少年は小さな声で答えた。

どんなに策を弄しても予測通りにならない野球。だからこそ「筋書きの無いドラマ」とも言われるゲーム。そこに、果たして三度までの偶然は起こり得るのだろうか。しかも今度は「森捕手」と言う指名つきで・・

球場全体がざわめき始めていた。8回、巨人が逆転のチャンスをつかんだのだ。ノーアウト1、3塁から、バッター三振の間に1塁ランナーが2塁へ盗塁。1アウト2塁3塁となり、一打逆転の場面である。

「さあ、ここで迎えるバッターは、そうなんです。8番、キャッチャー、森!」

まさか・・、と思った。しかし、当たったら?。もちろん企画は大成功だ。なにしろ、今この放送を聞いている何百万と言う人々が、予言の的中する瞬間を、トリック無しの生中継で耳にすることになるのだから。

森はゆっくりと進み、左バッターボックスで、二度、三度と素振りを行った。彼は、右投げ左打ちのバッターだった。

「今日の森は、セカンドフライとショートゴロ。まったく当たっていません」
「タイミングが合ってないんですね。次はピッチャーですが、満塁にすれば当然ピンチヒッターですからね。ここは当たっていない森勝負ですね」

「なるほど・・。さあ、調子を落としている森ですが、関口君の予言どおり、逆転のヒットを放つのか?!」
「・・だったら面白いですよ」
解説者が笑った。

「さあ、サインが決まりました!」
一球目は、カーブでアウトコースにストライク。森は微動だにしなかった。二球目は直球がインコースへ。これを引っ張って1塁線にファール。

「2ストライク。あっと言う間に追い込まれました!」
「いやあ、当たってませんね。甘いコースですよ」
3球目は遠く外してボール。これで2ストライク1ボール。

ピッチャーは一度足を外し、腰をかがめて滑り止めのロジンをつかんだ。そしてもう一度プレートを踏み直して、キャッチャーのサインをうかがう。

「ピッチャー、長いセットポジションから、四球目、・・投げました!」

投球はアウトコースのカーブ。ボール気味だった。森はこれを先っぽで強引に引っ張り、つまりながらもの右中間へのライナー・・

「ライト、センター共に追うが、そのあいだに・・、ワーンバウンド!、ヒット、ヒット。ああっと、ライトが追いつくが、後ろ向きで投げられない!」

前進守備のライトが逆を突かれて背走しゴロを止めるが、体制が悪くセカンドへ戻すのがやっとだった。送球の間に2塁ランナーまで生還して4対2。

「二者生還!。4対2!。巨人、逆てーん!」
アナウンサーが絶叫する。
「関口少年!。スプーン少年、やりました!。キャッチャー森の2点タイムリーヒット!。予言通り、森のタイムリー!。予言は見事、的中しましたあ!!」
 


関口少年のスプーン曲げのトリックが、ある週刊誌に暴露されたのは、それからしばらく経った頃のことだった。巻頭グラビアに、床に押し付けてスプーンを曲げている少年の手元が、はっきりと写し出されていたのである。


この時、この記事を載せたのはC氏。新進気鋭のジャーナリストとして名を上げて来た人物の告発だっただけに、トリック暴露の衝撃は大きかった。そして以来、少年は我々の前から姿を消してしまう。

次に、少年の姿を見るのは、数年経った頃のこと。写真週刊誌に、犯罪を起こして逮捕される、少し大人びた少年の姿が写し出されていた。タイトルは、
『スプーンを曲げ、人生も曲げた関口少年』

念力がインチキとされてから、ヒーローだった少年の環境は一転、どん底に落ちてしまった。批判的なマスコミの取材が殺到し、学校ではいじめや暴力が始まる。さらに周辺の住民から家族への嫌がらせが横行するようになると、少年の心は激しく傷つき、やがて当然のように非行への道をたどって行く。

深い憤りを覚えた。一体どれほどの正義感が、人の運命を変えてしまうほどの権限を持てると言うのか。念力はどうあれ、あの試合の、あの予言は本物だった。あの巨人対広島の生中継を聞いていた人なら必ず解るはずだ。あの時、あの球場で起こった事実。トリックなどまったく入り込む余地の無い状況・・

その後、少年がどうなったのかは何も知らない。だが、あの試合のことは、今でも不思議な記憶として脳裏に焼きつけられている。

自分にとって、あの子が本当に念力を持っていたのかどうか、それはどうでもいいことなのだ。しかし何処かで、哀れなあの少年を信じてやりたくて、ついついこんな「超能力特集番組」などと言うものを見てしまうのかも知れない。

どちらにしろ、あの少年を最後まで信じてやること。それが「予知されたタイムリー」を放送した、実況担当アナウンサーとしての大きな責務に違いない。彼にはそう思えるのだった。


「予知されたタイムリー」おわり




・・これ自体ずいぶん前に書いたもので、エッセイのつもりでしたが、どうしてもあの時の臨場感が伝わらない気がして、試しにショートストーリー風に書いてみたことを覚えています。エピソードは実際に起きた出来事で、アナウンサーが「念力少年!」とは言わず、「スプーン少年!」と絶叫したのが印象的で、今も耳に残ってます。

放送局はニッポン放送でした。当時、野球中継はいつもTBSで聞いていたのですが、この時はたぶん「関口君がゲストに来る」と言う番宣を知りチューニングしたのだと思います。あと解説者が誰だったかは残念ながら覚えていません。

なお、設定や試合の詳細などは、記憶があいまいなので創作によって補ってあります。登場するアナウンサーの心理描写は、ラジオを聞いていた僕自身の心理状態だと思っていただければ分りやすいと思います。

では、なぜこれを再録したかと言うと・・

先日、福山雅治氏の結婚で大騒動?でしたが、「へえ」なんて思いながら、その日の夜マジック1となった「ヤクルト対広島」の中継をラジオで聞いていたんです。そうしたら、色々なつながりで連想が始まり、いつの間にか関口少年のことを思い出していたのです。

福山雅治氏が主演したドラマで、「ガリレオ」と言うのがありまして、あれの第二章、つまり第2話ってことですが、「離脱る(ぬける)」って言う回が有りました。幽体離脱をしなければ見えないはずのモノを見た少年の話しです。

ストーリーを簡単に説明すると、
「湯川(福山雅治)を訪れた刑事・薫(柴咲コウ)は、1枚の絵を彼に見せる。その絵は、殺人の容疑で捕まった男の、無実のアリバイを裏付ける証拠になるかも知れないものだという。しかし、簡単にその絵を信じるわけにはいかなかった。何故ならその絵は、10歳の少年が、幽体離脱して見た風景を描いたと言うものだったからだ」

と、まあ、こんな感じなのです。最終的には、いつものようにガリレオこと湯川先生が科学的に検証し、霊現象ではないと言うことを解明するのですが、問題なのは、その少年の父親の設定でした。

ドラマの少年の父親は「フリーライター」と言う設定なのですが、じつは、スプーン曲げの関口少年の父親も「フリーライター」だったそうなんです。そして両者とも、自分の子供を超能力者としてマスメディアに売り込む、と言う共通点が有ったのです。

これは偶然なんでしょうか?。それとも、もしかしたら?幽体離脱少年って、関口君をモデルにしたんじゃないでしょうか。・・ボンヤリそんな風に考えたのです。

そこで急きょ録画したDVDを引っ張り出し、見直してみたら、ドラマの中盤、ガリレオ湯川先生が、宙に浮いたと言い張る少年に語った、こんなセリフが見つかったんです。

「僕は、子供のころ幽霊も雪男もネッシーも信じていた。もちろん超能力も。特にスプーン曲げには熱中したよ。テレビの超能力少年のマネをして、何度も挑戦した。ところがある日、その少年が告白したんだ、自分はインチキをしていたって。僕だけじゃない、日本中の子供が失望した。不思議なことを語るのはいい。夢がある。しかしそこにウソが混じると、それは罪だ」

どうでしょう。やっぱり関口少年がモデルだと思いませんか?。たぶんこのセリフは、原作者が、当時の関口少年に言いたかった言葉なのだろうと思います。ただし、実際とこのセリフとは少し違っていて、関口君は自分から告白したわけではなく、あくまで週刊誌の一方的な暴露だったんです。

後日、少年自身が語ったという言葉があります。
「雑誌の取材でスプーンを曲げて見せると、みんな驚いて喜んでくれた。撮影が始まると、何時間も何十回もやらされて、だんだん疲れて曲がらなくなった。そしたら、最初から曲がっているスプーンを使うように言われ、インチキの撮影をさせられた」

が、不審に思う関口少年に、編集者は「君の念力は本物だって分かってる。だから、これはインチキじゃないんだよ。雑誌って、たくさん撮影をして、一番カッコイイ写真を載せなきゃならないんだ」と言うような説明をしたと言います。

そう言われて、関口少年は小学生なりに「これが大人のやり方なのだ」と学習して行ったのです。ところが、最初からトリックを暴くつもりだった硬派の社会派週刊誌には、それがアダとなりました。

関口少年の念力は、スプーンを放り投げ、宙に浮いている内に曲がって落ちてくると言う方法でした。当初はいつものように曲がっていたのですが、数時間に及ぶ実験で「いつものように」疲労で曲がらなくなって来ました。

そこで少年は「いつものように」初めから曲がったスプーンを放り投げたり、床に押し付けて曲げたりし始めました。それが「いつものような写真撮影のやり方」なので、言われる前に気を利かして、大人を喜ばせようとしたのです。

それが結果的には「スプーン曲げのトリック!」として、大写しのグラビアで発表されてしまうことになります。

この週刊誌の真実?の告発は、確かにガリレオ先生の言う通り、念力を信じていた少年たちをドン底まで失望させました。そして潮が引いて行くように、いつしか誰も見向きもしなくなったのです。

もちろん週刊誌にしてみれば正義感からの報道なのでしょう。日本中がのぼせあがり、ある種カルト現象を起こしつつあった状況を、なんとか鎮静化させようとしたのかも知れません。

しかしながら「成功例」を全て黙殺し、少年がボロを出すまで執拗に実験を繰り返したあげく、最後に「失敗例」だけを公にすると言うやり方は、やはり「卑怯」と言われても仕方ないと思います。

彼らは最初から「トリック有りき」で取材しているので、もはや検証とは言えないのです。(その中心人物の有名ジャーナリストもすでに亡くなっており、反論も出来ないのでここまでにしましょう)

とは言え、僕も当時、関口君を見捨てた一人でした。それまで信じていたことが赤っ恥のように思え、初めから無かったことにして、口を閉ざしてしまったんです。

さらに、さまざまなマジシャンが「スプーン曲げ」を手品で簡単に再現して見せると、「けっきょくユリ・ゲラーもインチキだったのだ」と思うようになりました。

そして数年がたち、大人になった関口君が大麻パーティーで逮捕されたと言うニュースを写真週刊誌で見たのです。世間からインチキと見なされ、同年代の子供達にも見捨てられた彼が、どんな傷を背負ってその後を生きたのかと思うと、心が痛みました。

今となっては念力が本物だったかどうか、僕には何も言えません。ですが、あのラジオの生中継で起こった、「予知されたタイムリー」だけは本物だった、彼のために、それだけは書き残しておこうと思ったのです。

それと少し前のことになりますが、NHKのBSで、筋肉少女帯の大槻ケンジ君が、ユリ・ゲラー氏について語っているのを見ました。

「子供のころユリ・ゲラーがテレビに出まして、スプーンや止まった時計を持って来なさい。スプーンは曲がり、時計は動き出すでしょうと言うので、壊れた時計を持って見てたら、ホントに動いたんですよ!」

これを聞いて「やっぱり、こう言う人がいたんだ」と思いました。じつは、僕も同じような体験をしているんです。それは小学生だった弟に起こった出来事でした。大槻ケンジ君と同様、ユリ・ゲラーのテレビの前で、僕と弟はカレー用の大きなスプーンを持って座り、夢中になって見ていました。

すると、パフォーマンスが始まって間もなく、一緒に見ていた母親が「あっ!あっ!」と大きな声を出したのです。「えっ?」と思い、振り返ってみると、弟の持っていたスプーンが、まさにグニャリと曲がる瞬間だったんです。(弟はスプーンの柄を握っていただけで、ひとりでに先が折れて行ったのです)

「あの日、僕の弟のスプーンは曲がりました」
これも本当の話しです。・・にもかかわらず、僕は長い間、ユリ・ゲラー氏を「詐欺師」だと決めつけ、忘れ去っていました。(テレビを通した催眠術との説もありますが、弟は耳が不自由でテレビの音は聞こえません。・・念のため)

その後ユリ・ゲラー氏はどうなったのかと言うと、十数年後に久しぶりにテレビで見まして、いつの間にか大富豪になっていてビックリしました。聞けば石油会社の依頼で、ダウジングと言う透視能力の一種を使い、石油の鉱脈を数本当てたそうなのです。で、その報酬で億万長者になったと言うわけです。

ユリ・ゲラー氏はやっぱり本物だったんですかね?。だとするなら、関口君にも何かもっと、人生の鉱脈を掘り当てるような道があったんじゃないか、そんな風にも思えて来るんですよ。




  

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★「今年の夏はとにかく暑い!」と言う声があちこちから聴こえて来ますが、印象深かったのは、あれほど暑さに強いはずの甲子園球児にも、とうとう熱中症の選手が出始めたと言うことでしょうか。 今までは応援団や審判がやられたと言う話しはあったんですが、今年は埼玉の予選で数名が倒れたと聴いているし、本番の甲子園では、特に先発投手が8回9回あたりで、熱中症による脱水症状で、足の痙攣に見舞われると言うシーンが数回有りました。 そのせいか、まだ少数ですが「もやは夏の甲子園は危険だ」との意見が出始め、評論家の中にも「ドーム球場での開催も考慮する時期なのかも知れない」と言い始める人が出て来たようです。甲子園のベンチは冷房が効いているとの話しを聴いたことがありますが、それでも間に合わない状況になりつつあるのかも知れないです。 まあ、「甲子園球場」と言う象徴的な場所以外での開催と言うのはかなり難しいような気もしますが、しかし、猛暑の夏は今年だけでは終わらない、これからは毎年のように続くのだ、と言うことは、みな、薄々感じているんじゃないでしょうか。 今年の甲子園で話題の出来事と言えば「某高校の選手のカット打法」が、反則打撃だと警告された件ですかね。これには世間のさまざまな反応が有りまして、「ルール上問題は無い」とか「対応する時期が遅すぎる」などと、批判する声がずいぶんありました。 私は正否を判定する立場には無いのですが、個人的に想ったのは、対戦が進むにつれ、熱中症の症状に見舞われる投手が多発したことが、審判団に決断を迫らせたのではないか、と言うことでした。 この選手の成績を調べてみると、彼一人だけで、相手投手に30球~40球も投げさせる傾向にあったようです。そうなると、たった1試合で途方も無い球数を投げてしまう恐れも有り、あの、毎日のように続いた35~40度クラスの猛暑下では、場合によっては重大な健康上の問題を起こしかねません。 しかも、カット打法を長引かせた結果、後半、相手投手が足の痙攣を起こして退場せざるを得なくなった様子を見て、カット打法を行なった選手とメンバーがベンチ内で高笑いをしている姿がカメラに映されてしまったのですね。これ非常に印象が悪かったです。(こう言うのは高校野球をスポーツニュースなどダイジェストの数分で見ている人には...

東京スカイツリー見学

★東京スカイツリーの日時指定チケットが抽選発売されると言うことで、何気なく8カ所申し込んでおいたら、5月30日の1カ所4名分が当たりました。 何気なくだったんですが、いちおう、6月は梅雨で天気が悪そうだし、7月は暑くて出歩くのがおっくうだ、と言うことで、どうせ当たるなら5月、それ以外なら「まあいいや」と言うことは考えました。 と言うことで、当たった30日の朝は幸運にも快晴、現場に到着する10時頃にはやや雲が出て来ましたが、そこそこいい感じの天気です。 着いて、まず驚くのはその巨大な外観ですね。車などで浅草付近から眺めたことは何度も有りましたが、間近で見上げると、やはり圧倒されるような迫力が有ります。 さて、まずは展望デッキに昇ります。第一展望台の「展望デッキ」は、その時点で東京タワーのアンテナより高いと言うので、「わざわざ上の展望回廊まで行く必要も無いだろう」と想っていたのですが、デッキに昇ってチケット売り場を見たら、そんなに待たずに買えそうなので、さらに上へ行くことにしました。 で、昇ってみたら正解でした。下の展望デッキは室内が暗く、窓が逆光で疲れる感じなのですが、「展望回廊」の方は全体に光が入って明るく、はるかに外が見やすいのです。なので、これから訪れる人には、ぜひ「展望回廊」まで昇ることをおススメします。 それと、意外に役立ったのが望眼鏡でした。8倍~10倍くらいの物を携帯していけば、地平線や水平線付近が良く見えて楽しいですよ。 もちろんツリーには東京タワーに有ったようなコイン式の望遠鏡は有りません(東京タワーも数年前に撤去されたそうですが) ところで、展望回廊を歩き回っていたら、その内、妙な感覚に襲われました。何となくフラーッフラーッと、めまいと言うか、体がよろめくようで、まっすぐ歩きづらい感じになったのです。ですが、気分が悪いわけじゃ有りません。ただフラつくだけなのです。 急に気圧が下がったせいだろうか、とか、気づかない周期でゆっくりと揺れているんだろうか、など、いろいろ考えましたが、原因は不明でした。ただ、同行した者も同じことを言っていたし、周囲にいた人たちの雑談からも「なんか、フラフラしない?」と言う声が聞こえていたので、自分だけじゃなかった、と言うことは確かです。 テレビなどで...

年賀状のホントの意味

 ★今年もまた年賀状の用意をする季節となりました。最近はLINEだのメールだのがあるので、わざわざ紙のハガキに書いて出す、なんて面倒がる人も多いようです。かく言う僕も、友人知人からは、どちらかと言えば「あまり年賀状を出さない人間」として見られているかも知れません。 しかしですね、じつは、自分にはある信念?のようなモノがあって、そうなっているのです。「年賀状とは、遠く離れた友人どうしが、年に一度手紙を出し、互いの消息を確かめ合う」これが、年賀状の始まりなのだそうなのです。僕はこの本来の役割のために年賀状を出したいと思っているのです。 なかなか会う機会も無くなった古い友人同士が、一枚のハガキを頼りに互いの消息を確かめ合い、新しい年の健康を祈る、それが年賀状の本来の役割りなんです。 ところが現状はどうでしょう。いつでも(ひょっとしたら毎日?)顔を会わせる人ばかりが年賀状をやり取りし、遠く離れた人に対しては、「会わなくなってもう三年になるから、そろそろ出さなくてもいいかなあ」などと、フェードアウトで知らんぷり、ってのが実情ではないでしょうか。 へそ曲がりの僕はこれに反発したかったのです。現在進行中の友人知人よりも、むしろ離れて縁遠くなった人にこそ年賀状を出そう!。そんな「年賀状本来の使用法」に則って行動したかったのです。 しかしながら、これはウマく行きませんでした。親しい人からは筆不精だと思われ、縁遠くなった人からは「忘れたころに突如舞い込んだ年賀状」に戸惑ったような返信が届いたり・・。そのビックリしたようなコメントを読み、何か迷惑をかけたような心境になって、次からはつい遠慮してしまうのです。 現代社会においては、年賀状本来の姿を復活させることは困難なのだと言うことを思い知らされました。で、結果として僕は、はたから見れば「あまり年賀状を出さない人間」になってしまったのです。 もともと僕は「絵描き」の端くれなのですが、そういう芸術家気質の人間のやることは、なかなか世の中に受け入れられないモノではありますね。僕の場合「物事の原初を大事にする」と言う信念、気質がありまして、それが行動の根本になっていることが多いのです。 この間テレビで、ラグビー日本代表監督として大躍進させた「エディ・ジョーンズ氏」が、大勢のラグビー関係者の前で講義をしている場面に出くわしました。そこに出席...

「おくりびと」と「つみきのいえ」

★「第81回アカデミー賞」で「おくりびと」が外国語映画部門のオスカーを受賞し、大変な話題になっていますが、短編アニメーション部門の加藤久仁生監督(31)「つみきのいえ」の受賞も素晴らしかったですよね。 この作家は以前「shockwave」と言うサイトにて「或る旅人の日記」と言うのを発表し、それを見て、とても良い作品だったので、こちらのサイトでも紹介したことが有りました。 そのアニメ作家が、やがてアカデミー賞を取るまでになるとは思いませんでしたが、自分の見立ては正しかったと、「やっぱりな」と言う気持で嬉しく思いました。 「つみきのいえ」は受賞ニュースの映像でしか見て無いのですが、なんとなく「或る旅人の日記」の方をもう一度見たくなり、サイトを訪問してみたら、「shockwaveサービス終了」と言うことになっていました。いろいろな理由で立ち行かなくなったのでしょうか。 それにしても、喜びと、ある種の寂寥感を覚えた一日でした。