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予知されたタイムリー(ガリレオ先生とセキグチ少年)

★1974年、超能力者を名乗るユリ・ゲラーと言う男が来日、テレビに出演して、念力でスプーンを曲げたり、壊れた時計を動かしたりして日本中を驚かせました。

それを見ていた子供たちも影響され、日本のあちこちで超能力少年、超能力少女が現れました。中でも、関口君と言う小学生の能力は突出していて、何度もワイドショーや雑誌で取り上げられ、ユリ・ゲラー以上の脚光を浴びるようになって行ったのです。

・・これはその頃に聴いた、奇妙な野球中継の記憶です。

ある日曜日の午後、当時、中学生で広島カープのファンだった僕は、いつものように趣味の油絵を描きながら、ラジオの野球中継を聴いていました。そこにゲストとして、関口少年が招かれたのです・・・




「予知されたタイムリー」
(ショート・ストーリー風に・・)

本当に、世の中は変わってしまった。彼はテレビの超能力特集番組を見ながら、そんなことを考えていた。同時に、もしあの少年が、今の時代に現れていたなら、あんな事件にはならなかったのかも知れない、とも思うのだった。


彼は某ラジオ放送局アナウンス部の管理職。今はもう現場を退いた身で、マイクの前に座ることも稀である。

彼は、野球の実況中継をするのが夢でこの仕事についた。その直後から巨人の9連覇時代が始まり、王、長嶋らを中心とした空前のプロ野球ブームを迎えることになる。

しかし、毎試合が名勝負とは限らない。平凡で退屈な試合だっていくつも有る。むしろその方が多いくらいだ。そしてあの日も、本当はそんな無数の、平凡な試合の一つとして終わるはずだったのかも知れない。

日曜日のデイゲーム、巨人対広島。
グラウンドでは両チームのウォーミングアップが続いていた。

いつものように、解説者と打ち合わせを済ませたあと、今日は、隣に座っているゲストの少年に話しかけ、ご機嫌をうかがう。 少年は「関口君」と言って、念力でスプーンを曲げたと騒がれている子供だ。

アナウンサーはその子が巨人ファンであり、熱烈な森捕手(元西武監督)のファンであることを聞き出した。それから、放送が始まってからの手順を解りやすく説明して、時間が来るのを静かに待つようにとも伝えた。

間もなく放送が始まる。
「さあ、今日は解説の◯◯さんの他に、大変なゲストをお招きしています。こんにちは!」
「こんにちは・・」
少年はぼそりと答える。

「今日のゲストは、あの有名なスプーン曲げの小学生、関口少年です!。日本のユリ・ゲラーとも言われている関口君ですが、彼には予知能力も有ると言うので、なんと今日は、どんな試合展開になるのか、予言してもらおうと思います」

アナウンサーの問いかけに、少年は淡々と、予知したと言う試合の内容を話し始めた。それによれば、先取点を上げるのは広島、2点先行したのち、巨人が同点に追いつき、さらに2点を入れ、4対2で逆転勝利すると言う。


「逆転ヒットを打つのは、巨人の森選手です」
「ほう・・」

名指しまでするとは思わなかったアナウンサーは少し戸惑いを覚えた。
「・・と言うことなんですが、いかがですか、◯◯さん」
解説者も苦笑して、参ったなと言う感じ。

解説者のその表情を見たアナウンサーは、急に気が重くなるのを感じた。当初こそ面白そうな企画だと思ったが、これは案外、面倒なことになるかも知れない。

「さあ、間もなく試合開始です。果たして関口少年の予言どおりになるのでしょうか?」

・・もし予言が当たらなかったらどうする?。と言うより、考えてみれば、まず当たるはずの無い、たかが子供の戯れを、オレはどうフォローすればいいんだ?。だいたいこの子だって大恥をかくことになる。

今頃になってようやく、この企画を思いついたプロデューサーに腹が立って来た。それに、こんなことをさせる少年の親にも。

ところがである。試合が始まって間もなく、彼は思いがけない光景を見ることになった。少年の言った通り、広島がランナー2、3塁からレフト線にタイムリー、2点を先取したのだ。

「これはすばらしい。関口君の言った通りになりました!」
そう実況したアナウンサーだったが、むしろ安堵の気持ちの方が強かった。
“この偶然で何とか格好がつく” と・・・

しかしさらに回が進むと、再び “まさか?” と思わせるような場面に出くわす。巨人が2アウト1塁で2ランホームラン。同点に追いついたのだ。

「いや、ちょっと・・、ここまでは当たってますね!」
これには解説者が少し興奮していた。アナウンサーは話しの主軸を試合に戻そうとするが、解説者はすでに予言の方に気を取られているようだった。

「最後はどうなるんでしったっけ?。巨人が逆転勝利?」
解説者がそう尋ねると、アナウンサーは少年に確かめた。
「たしかそうだったね?。4対2で巨人が逆転して勝つんだよね。で、タイムリーを打つのはキャッチャーの森選手?」
「はい・・」
関口少年は小さな声で答えた。

どんなに策を弄しても予測通りにならない野球。だからこそ「筋書きの無いドラマ」とも言われるゲーム。そこに、果たして三度までの偶然は起こり得るのだろうか。しかも今度は「森捕手」と言う指名つきで・・

球場全体がざわめき始めていた。8回、巨人が逆転のチャンスをつかんだのだ。ノーアウト1、3塁から、バッター三振の間に1塁ランナーが2塁へ盗塁。1アウト2塁3塁となり、一打逆転の場面である。

「さあ、ここで迎えるバッターは、そうなんです。8番、キャッチャー、森!」

まさか・・、と思った。しかし、当たったら?。もちろん企画は大成功だ。なにしろ、今この放送を聞いている何百万と言う人々が、予言の的中する瞬間を、トリック無しの生中継で耳にすることになるのだから。

森はゆっくりと進み、左バッターボックスで、二度、三度と素振りを行った。彼は、右投げ左打ちのバッターだった。

「今日の森は、セカンドフライとショートゴロ。まったく当たっていません」
「タイミングが合ってないんですね。次はピッチャーですが、満塁にすれば当然ピンチヒッターですからね。ここは当たっていない森勝負ですね」

「なるほど・・。さあ、調子を落としている森ですが、関口君の予言どおり、逆転のヒットを放つのか?!」
「・・だったら面白いですよ」
解説者が笑った。

「さあ、サインが決まりました!」
一球目は、カーブでアウトコースにストライク。森は微動だにしなかった。二球目は直球がインコースへ。これを引っ張って1塁線にファール。

「2ストライク。あっと言う間に追い込まれました!」
「いやあ、当たってませんね。甘いコースですよ」
3球目は遠く外してボール。これで2ストライク1ボール。

ピッチャーは一度足を外し、腰をかがめて滑り止めのロジンをつかんだ。そしてもう一度プレートを踏み直して、キャッチャーのサインをうかがう。

「ピッチャー、長いセットポジションから、四球目、・・投げました!」

投球はアウトコースのカーブ。ボール気味だった。森はこれを先っぽで強引に引っ張り、つまりながらもの右中間へのライナー・・

「ライト、センター共に追うが、そのあいだに・・、ワーンバウンド!、ヒット、ヒット。ああっと、ライトが追いつくが、後ろ向きで投げられない!」

前進守備のライトが逆を突かれて背走しゴロを止めるが、体制が悪くセカンドへ戻すのがやっとだった。送球の間に2塁ランナーまで生還して4対2。

「二者生還!。4対2!。巨人、逆てーん!」
アナウンサーが絶叫する。
「関口少年!。スプーン少年、やりました!。キャッチャー森の2点タイムリーヒット!。予言通り、森のタイムリー!。予言は見事、的中しましたあ!!」
 


関口少年のスプーン曲げのトリックが、ある週刊誌に暴露されたのは、それからしばらく経った頃のことだった。巻頭グラビアに、床に押し付けてスプーンを曲げている少年の手元が、はっきりと写し出されていたのである。


この時、この記事を載せたのはC氏。新進気鋭のジャーナリストとして名を上げて来た人物の告発だっただけに、トリック暴露の衝撃は大きかった。そして以来、少年は我々の前から姿を消してしまう。

次に、少年の姿を見るのは、数年経った頃のこと。写真週刊誌に、犯罪を起こして逮捕される、少し大人びた少年の姿が写し出されていた。タイトルは、
『スプーンを曲げ、人生も曲げた関口少年』

念力がインチキとされてから、ヒーローだった少年の環境は一転、どん底に落ちてしまった。批判的なマスコミの取材が殺到し、学校ではいじめや暴力が始まる。さらに周辺の住民から家族への嫌がらせが横行するようになると、少年の心は激しく傷つき、やがて当然のように非行への道をたどって行く。

深い憤りを覚えた。一体どれほどの正義感が、人の運命を変えてしまうほどの権限を持てると言うのか。念力はどうあれ、あの試合の、あの予言は本物だった。あの巨人対広島の生中継を聞いていた人なら必ず解るはずだ。あの時、あの球場で起こった事実。トリックなどまったく入り込む余地の無い状況・・

その後、少年がどうなったのかは何も知らない。だが、あの試合のことは、今でも不思議な記憶として脳裏に焼きつけられている。

自分にとって、あの子が本当に念力を持っていたのかどうか、それはどうでもいいことなのだ。しかし何処かで、哀れなあの少年を信じてやりたくて、ついついこんな「超能力特集番組」などと言うものを見てしまうのかも知れない。

どちらにしろ、あの少年を最後まで信じてやること。それが「予知されたタイムリー」を放送した、実況担当アナウンサーとしての大きな責務に違いない。彼にはそう思えるのだった。


「予知されたタイムリー」おわり




・・これ自体ずいぶん前に書いたもので、エッセイのつもりでしたが、どうしてもあの時の臨場感が伝わらない気がして、試しにショートストーリー風に書いてみたことを覚えています。エピソードは実際に起きた出来事で、アナウンサーが「念力少年!」とは言わず、「スプーン少年!」と絶叫したのが印象的で、今も耳に残ってます。

放送局はニッポン放送でした。当時、野球中継はいつもTBSで聞いていたのですが、この時はたぶん「関口君がゲストに来る」と言う番宣を知りチューニングしたのだと思います。あと解説者が誰だったかは残念ながら覚えていません。

なお、設定や試合の詳細などは、記憶があいまいなので創作によって補ってあります。登場するアナウンサーの心理描写は、ラジオを聞いていた僕自身の心理状態だと思っていただければ分りやすいと思います。

では、なぜこれを再録したかと言うと・・

先日、福山雅治氏の結婚で大騒動?でしたが、「へえ」なんて思いながら、その日の夜マジック1となった「ヤクルト対広島」の中継をラジオで聞いていたんです。そうしたら、色々なつながりで連想が始まり、いつの間にか関口少年のことを思い出していたのです。

福山雅治氏が主演したドラマで、「ガリレオ」と言うのがありまして、あれの第二章、つまり第2話ってことですが、「離脱る(ぬける)」って言う回が有りました。幽体離脱をしなければ見えないはずのモノを見た少年の話しです。

ストーリーを簡単に説明すると、
「湯川(福山雅治)を訪れた刑事・薫(柴咲コウ)は、1枚の絵を彼に見せる。その絵は、殺人の容疑で捕まった男の、無実のアリバイを裏付ける証拠になるかも知れないものだという。しかし、簡単にその絵を信じるわけにはいかなかった。何故ならその絵は、10歳の少年が、幽体離脱して見た風景を描いたと言うものだったからだ」

と、まあ、こんな感じなのです。最終的には、いつものようにガリレオこと湯川先生が科学的に検証し、霊現象ではないと言うことを解明するのですが、問題なのは、その少年の父親の設定でした。

ドラマの少年の父親は「フリーライター」と言う設定なのですが、じつは、スプーン曲げの関口少年の父親も「フリーライター」だったそうなんです。そして両者とも、自分の子供を超能力者としてマスメディアに売り込む、と言う共通点が有ったのです。

これは偶然なんでしょうか?。それとも、もしかしたら?幽体離脱少年って、関口君をモデルにしたんじゃないでしょうか。・・ボンヤリそんな風に考えたのです。

そこで急きょ録画したDVDを引っ張り出し、見直してみたら、ドラマの中盤、ガリレオ湯川先生が、宙に浮いたと言い張る少年に語った、こんなセリフが見つかったんです。

「僕は、子供のころ幽霊も雪男もネッシーも信じていた。もちろん超能力も。特にスプーン曲げには熱中したよ。テレビの超能力少年のマネをして、何度も挑戦した。ところがある日、その少年が告白したんだ、自分はインチキをしていたって。僕だけじゃない、日本中の子供が失望した。不思議なことを語るのはいい。夢がある。しかしそこにウソが混じると、それは罪だ」

どうでしょう。やっぱり関口少年がモデルだと思いませんか?。たぶんこのセリフは、原作者が、当時の関口少年に言いたかった言葉なのだろうと思います。ただし、実際とこのセリフとは少し違っていて、関口君は自分から告白したわけではなく、あくまで週刊誌の一方的な暴露だったんです。

後日、少年自身が語ったという言葉があります。
「雑誌の取材でスプーンを曲げて見せると、みんな驚いて喜んでくれた。撮影が始まると、何時間も何十回もやらされて、だんだん疲れて曲がらなくなった。そしたら、最初から曲がっているスプーンを使うように言われ、インチキの撮影をさせられた」

が、不審に思う関口少年に、編集者は「君の念力は本物だって分かってる。だから、これはインチキじゃないんだよ。雑誌って、たくさん撮影をして、一番カッコイイ写真を載せなきゃならないんだ」と言うような説明をしたと言います。

そう言われて、関口少年は小学生なりに「これが大人のやり方なのだ」と学習して行ったのです。ところが、最初からトリックを暴くつもりだった硬派の社会派週刊誌には、それがアダとなりました。

関口少年の念力は、スプーンを放り投げ、宙に浮いている内に曲がって落ちてくると言う方法でした。当初はいつものように曲がっていたのですが、数時間に及ぶ実験で「いつものように」疲労で曲がらなくなって来ました。

そこで少年は「いつものように」初めから曲がったスプーンを放り投げたり、床に押し付けて曲げたりし始めました。それが「いつものような写真撮影のやり方」なので、言われる前に気を利かして、大人を喜ばせようとしたのです。

それが結果的には「スプーン曲げのトリック!」として、大写しのグラビアで発表されてしまうことになります。

この週刊誌の真実?の告発は、確かにガリレオ先生の言う通り、念力を信じていた少年たちをドン底まで失望させました。そして潮が引いて行くように、いつしか誰も見向きもしなくなったのです。

もちろん週刊誌にしてみれば正義感からの報道なのでしょう。日本中がのぼせあがり、ある種カルト現象を起こしつつあった状況を、なんとか鎮静化させようとしたのかも知れません。

しかしながら「成功例」を全て黙殺し、少年がボロを出すまで執拗に実験を繰り返したあげく、最後に「失敗例」だけを公にすると言うやり方は、やはり「卑怯」と言われても仕方ないと思います。

彼らは最初から「トリック有りき」で取材しているので、もはや検証とは言えないのです。(その中心人物の有名ジャーナリストもすでに亡くなっており、反論も出来ないのでここまでにしましょう)

とは言え、僕も当時、関口君を見捨てた一人でした。それまで信じていたことが赤っ恥のように思え、初めから無かったことにして、口を閉ざしてしまったんです。

さらに、さまざまなマジシャンが「スプーン曲げ」を手品で簡単に再現して見せると、「けっきょくユリ・ゲラーもインチキだったのだ」と思うようになりました。

そして数年がたち、大人になった関口君が大麻パーティーで逮捕されたと言うニュースを写真週刊誌で見たのです。世間からインチキと見なされ、同年代の子供達にも見捨てられた彼が、どんな傷を背負ってその後を生きたのかと思うと、心が痛みました。

今となっては念力が本物だったかどうか、僕には何も言えません。ですが、あのラジオの生中継で起こった、「予知されたタイムリー」だけは本物だった、彼のために、それだけは書き残しておこうと思ったのです。

それと少し前のことになりますが、NHKのBSで、筋肉少女帯の大槻ケンジ君が、ユリ・ゲラー氏について語っているのを見ました。

「子供のころユリ・ゲラーがテレビに出まして、スプーンや止まった時計を持って来なさい。スプーンは曲がり、時計は動き出すでしょうと言うので、壊れた時計を持って見てたら、ホントに動いたんですよ!」

これを聞いて「やっぱり、こう言う人がいたんだ」と思いました。じつは、僕も同じような体験をしているんです。それは小学生だった弟に起こった出来事でした。大槻ケンジ君と同様、ユリ・ゲラーのテレビの前で、僕と弟はカレー用の大きなスプーンを持って座り、夢中になって見ていました。

すると、パフォーマンスが始まって間もなく、一緒に見ていた母親が「あっ!あっ!」と大きな声を出したのです。「えっ?」と思い、振り返ってみると、弟の持っていたスプーンが、まさにグニャリと曲がる瞬間だったんです。(弟はスプーンの柄を握っていただけで、ひとりでに先が折れて行ったのです)

「あの日、僕の弟のスプーンは曲がりました」
これも本当の話しです。・・にもかかわらず、僕は長い間、ユリ・ゲラー氏を「詐欺師」だと決めつけ、忘れ去っていました。(テレビを通した催眠術との説もありますが、弟は耳が不自由でテレビの音は聞こえません。・・念のため)

その後ユリ・ゲラー氏はどうなったのかと言うと、十数年後に久しぶりにテレビで見まして、いつの間にか大富豪になっていてビックリしました。聞けば石油会社の依頼で、ダウジングと言う透視能力の一種を使い、石油の鉱脈を数本当てたそうなのです。で、その報酬で億万長者になったと言うわけです。

ユリ・ゲラー氏はやっぱり本物だったんですかね?。だとするなら、関口君にも何かもっと、人生の鉱脈を掘り当てるような道があったんじゃないか、そんな風にも思えて来るんですよ。




  

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★先週の土曜日に風邪をひきまして、でもまあ何とかなりそうだったので、そのまま東大和の球場まで草野球の練習に行きました。運動をしているウチはマヒしてるようであまり感じなかったのですが、家に帰ったその夜から完全にダウンしました。 熱も無いし、それほど咳がひどいと言うことも無いのですが、やたら眠いのです。翌朝、目が覚めて1、2時間パソコンに向かったと思ったら、また凄く眠くなって布団にもぐってしまうと言う感じで、一日の大半を眠って過ごしたんです。 で、ようやく、今日あたりから意識がハッキリして来たのですが、眠っている間、たくさん夢を見ました。ほとんどはどうでもいい雑夢でしたが、その中で一つだけ、とてもリアルな夢がありました。 僕は、誰だ分からないのですが、とても懐かしい友人?とおぼしき二人と歩いているのです。やがて、下町の小さな店がたくさん立ち並ぶ、とても細い路地を抜けて行くと、辺りは日が落ちてすっかり暗くなっていました。 さらに暗闇を歩いて行くと水辺に出ました。川なのか、池なのかよく分からないのですが、真っ暗な水辺で、僕たち三人はまるで子どもようにはしゃいで遊ぶのです。その時ふと、僕は夜空を見上げました。すると、見渡す限りに無数の美しい星々が輝いていたのです。 ・・とまあ、こんな風な夢でした。それが非常にリアルだったのです。普通の夢は目が覚めると、「ああ、夢か・・」とリアル感がどんどん薄れ、夢の内容もどんどん忘れて行くものですが、そう言うんじゃないんですね。 リアルさが異常なほど感覚に残って、不思議な記憶として時間が過ぎるほどハッキリして来る。そんな感じでした。 目が覚めた後は、とてもいい気分でしたが、あとひとつ間違えば、恐ろしい悪夢に変わってしまうような、そんな妖しい危うい雰囲気も有りました。 そう言うリアルな夢を誰でも一度は見たことがあるはずですが、心霊研究では、じつはそう言う時って、魂が 一時的に 肉体を抜け、「幽界」をさ迷っている状態なんだと言う話しを聞いたことがあります。 なるほど・・、あれが「幽界」だとすれば、確かに「そうだ」と思えるような、不思議な現実感のある世界でした。でも、だとすれば、気になるのは一緒に遊んだあの二人、いったい誰だったんだろう?と言うことですね。 ・・ところで、このごろは、「ゆうかい」とタイプして変換す...

TOPEAK(トピーク)のライドケースを付けた

 ★このところ世の中は「iPhone6」の話題で持ち切りですが、僕のiPhoneはまだ6どころか5でもなく、4sのままなのです。じつは一度水没させて修理に持ち込み、別のものと交換することになったので、その分バッテリーの寿命が伸び、現在まで使い続けることになったのです。iPhoneの修理は基本的に全取っ替えとのことで、持ち込まれたヤツをオーバーホールして、別の修理時に交換品として出すらしいです。 で、iPhone6が出たら、4sはアップルのラインナップから外されるとのことで、今、ショップでは4s用のアクセサリー類が非常に安くなっておるのです。それに釣られて、ついついこれを買ってしまいました。ホントなら4000円くらいするやつですが、1000円ほどで(送料無料!)で購入することが出来ました。(写真は拡大できます) 「TOPEAK ライドケース」とは、スマホを自転車用ナビとして使用するためのホルダーです。もちろんこれまでも、いろんなiPhone用ホルダーを取っ替えひっかえ試して来たのですが、なかなか「これだ!」と想うものに行き当たらず、今に至っていたのです。 何がダメだったのかと言うと、自転車と言うのはかなりの振動があるので、まずは「絶対に落ちないもの」でなければなりません。ところが、落ちにくいものは得てして「外しにくいもの」であることが多いのです。 サイクリング中にトイレに行きたくなったり、コンビニに入るときなど、盗難に用心する必要があるので、外しにくものは実は不便でしょうがないのです。 そしてまた、iPhoneをケースに入れたままだと、ホルダーにハメられないものが多く、自転車に乗るたびにケースから出さねばならず、面倒だったりします。あとは、見た目がゴツくなりやすいこと。iPhone装着時はまだいいのですが、外したあとハンドルにホルダーだけが残ると、どうにも見た目が悪いのです。 そんないろんな条件を考慮して行って、最後に行き着いた製品がこの「TOPEAK ライドケース」でした。が、いかんせんこれにも欠点が有ったのです。 それは値段が高いと言うこと。確かにモノはいいが、これに4、5千円出すと言うのは、チト痛い‥、と想って迷っていたら、iPhoneモデルチェンジのため4s用がどんどん値下がりして来たことから、これは買い時だ!と言うことになったわけなのです。(赤い棒の...

究極のペイントシステム

★絵の話しをしましょう。絵を描くとはどう言うことなのか・・ 簡単に説明すると、頭の中で思い描いた映像を、紙なりキャンバスなりに定着させる作業です。その時、頭に浮かんだイメージを100%忠実に描ければ、これはもう物凄い作品が出来上がるはずなんですが、現実はそうはいかない。 人間はアナログで出来てますから、脳がイメージした情報が、神経を、そして指先に伝わるまでに、どんどん劣化して、最終的に画面に現れるビジュアルは、絵描きがイメージしたものとは、かなり異なったものとなってしまうのです。 そこで石膏デッサンとか写生とか、さまざまなモノを見て描く修行をくり返し、イメージを損なわずに定着させる能力を養うわけですね。 ところで、ずいぶん前ですが、K君という超能力者と言われている青年が、「念力写真展」を開いたと言う話しを聞ききました。この話しに私は「なるほど」と思いましたね。 念写とは、その信憑性はさておき、頭で思い描いたイメージを印画紙に定着させると言う点では、「絵を描く行為」と非常に似通っているのです。これは私のような凡人には到底無理な話で、ある意味うらやましくもありした。 ところが、しばらくして「人間の脳波をビジュアルに変換する」実験をしている大学の研究室があると言う話しを新聞で読んだのです。その記事によれば、すでに「あ」の文字をコンピュータの画面に描き出すことには成功している、とあったのです。 驚きました。もしこのままうまく行けば、究極のペイントシステム、ホントの意味の「念写ぺインター」が完成するのではないか?!と期待は膨らみました。・・が、それ以後何年たっても話題にならないので、研究はかなり難航しているものと思われます。 しかしこの可能性は、私の想像力を大いに刺激してくれました。もしも、人間のイメージをコンピュータが瞬時に再現してくれたら、まったく新しいタイプのアーティストが登場することになります。 もちろん念写のように一枚絵を描くこともいいですが、処理能力を上げれば動画再生も可能になって来るはずです。 そうすれば、作家の頭の中を「動く映像」によって表現するこが出来ます。これまでアニメやビデオアートなどでやっていたことを、リアルタイムで上映することが出来るわけです。 さらにこれを、オムニマックスにするとか、バーチャルリアリティ再生するとかすれば、観客を集めて、壮大なアート...