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敗けると大変だ

★平日のワイドショーを見てない人は、ちょっとピンと来ないかも知れないですが、星野批判がスゴいですよ。もちろんオリンピック惨敗のことです。 まあ、僕もその一人だったので、何とも言い難いですが・・ でも「後からそんなことを言うな!」と言われそうで、けっこう遠慮がちに書いたつもりだったんです。ですが、世の中はもっとあからさまでした。 特にプロ野球関係者の批判はすごいですね。野村監督なんか「データをまったく生かしてない」なんて好き勝手言ってるけど、もともとは「オリンピックに調子のいい選手を持ってかれちゃ、かなわん」みたいなことを言ってたんだし、それは無いですよ。 落合監督は「岩瀬は使い方を間違えなければ、ちゃんと抑えるんだ」って言ってました。・・うーむ。でも、この論理おかしくないですかね。 あれほどダメだったオリンピック組が、ペナントレースに復帰してからほぼ全員が活躍してます。阿部捕手は大ホームラン?、GG佐藤くんはレーザービーム?、村田選手もタイムリー?。これって、ようするに日本のプロ野球のレベルが低いってことなんじゃないですか? 我々草野球でもそうですよ。相手が弱ければバカバカ打つし、強ければぜんぜん打てなくて大敗します。そう言うもんです。つまり、オリンピックで打てなくて国内でガンガン打つってことは、オリンピックの他国のレベルが高かったって理屈になりますよね。 だから、ドラゴンズに戻った岩瀬くんが抑えたのは「使い方が正しかったから」ではなく、「日本の打者のレベルが低いから」って論理にもなると思いますよ。 あっ、すみません。オレ、落◯監督って大嫌いなので、ついつい余計なこと書いちゃいました。   

星野ジャパン・・

★北京オリンピックの野球、星野ジャパンはメダル獲得ならず、4位に終わりました。前日ソフトボールが見事金メダルを獲得したので、これに触発されて、何とかやってくれるのではないかと期待してたのですが、やはりダメでした。 とにかく打てませんでしたね。あれでは残念ながら勝つことは出来ません。何しろ、ヒットを打つどころかファールで粘ることも出来ず、空振りばかりなんですから・・ ベースボールの起源は「打つこと」から始まったのであり、「打たないチームに勝つ資格は無い」と言うのが僕の(独断的な?)考え方なので、すべての試合が完敗だったと言っていいと思います。アジア予選では、反対方向への鋭い当たりをたくさん打つことで勝利を手繰り寄せていたのに、それがほとんど見られなかったのが悔やまれます。 あと気になったのは、あまりにせん越で失礼なのですが、やはり星野監督の采配ですかね。解説の与田氏は「ピンチになっても星野監督が動じないのがいい」と言っていましたが、短期決戦の国際試合ではどうでしょう。「動じない」が「動きの鈍さ」になってませんでしたか。ちょっと、ピッチャーに対する思い入れが強過ぎた(熱過ぎた?)のか、交代時期がワンテンポ遅かったように思います。 かつて中日の監督時代、リーグ優勝して「中日 × 西武」の日本シリーズに臨んだとき、やはり同じようなピッチャーの起用法で、交代時期が遅れ日本一を逃したことが有りました。オリンピックを見ながら、あの時のシーンをまざまざと思い出していました。人間の気持ち、クセと言うのは、なかなか変わるものではないのですね。 全体を通じてとても印象に残ったのは、じつは試合そのものより、野村謙二郎氏の解説でした。洞察力が鋭く、分析が細かくて流れの読みが早い。何より説明が後付けではないのです。初めて見るような外人選手でも、ちょっとした仕草を見て次に何が起こるか、プレーが始まる前に指摘し、ほぼその通りに事柄が展開して行くのです。 あの見事な解説を聞いていると、こう言う人材を活用しない手はない、とも思いましたね。長嶋ジャパン、王ジャパン、星野ジャパン・・・、今までちょっと、名前とか権威にこだわり過ぎたような気がしませんか? 「でも経験が大事。見るとやるとじゃ大違いだよ」と言われるかも知れませんが、野村謙二郎氏は、国際試合を「選手」としてたくさん経験してるんですよね。それは国内

ネットでドラマ発見?

★インターネットの動画サイトって、どんどんエスカレートして行くんですね。ドラマをアップしたサイトも有りました。著作権的にどうなのかと心配にもなりますが、「いい作品なのに何故DVDにならないんだるう?」と思うことも有るし、出演者が不祥事を起こしてお蔵入りになることも有るし、そんな時、もう一度ちょこっと見てみたい場合など、便利は便利だなと思ってしまいます。 ところでそんな動画サイトで、ドラマ「コーチ」を見つけました。これは1996年の夏から秋にかけて放送されたもので、とても印象に残っていたのです。なのにDVDもビデオも発売されない・・・ ◎ ドラマ「コーチ」ニコニコ動画 なぜ印象に残っているかと言うと、新妻君や森広君らと行ったブレード走行、「高萩〜犬吠埼」の途上で初めて見たからです。茨城県の大竹海岸の民宿に泊まったとき、森広隊員が急に「コーチを見る!」と言ってきかなくなったのです。「野球ドラマならまあいいか」と言うことで、眠さに耐えながら彼のテレビ鑑賞につき合ったのです。 それが、コーチ第6回「愛はここにある」でした。民宿の寝床で寝ながら見たのですが、話しが進んで行くにつれ、じつは画面の中で珍しい偶然が起こっていたのでした。 ドラマに映っていたのは、なんと、我々が向かっているブレード走行の目的地、「犬吠埼・長崎町」の映像だったんです。つまりそこは「コーチ」のロケ地であり、同時にブレード隊の目的地、ゴブリンズ夏季キャンプ予定地でもあったのです。 でも、もちろんそれは、ドラマを見ている最中に気づくわけもなく、後々気づくことになるのですが・・・ 民宿に泊まったとき、その辺りの港や海岸が「コーチ」のロケ現場であることを女将さんに聞いて初めて知ったのです。しかもその民宿そのものが、ロケ撮影班が使用した宿だったと言うことも女将さんの言葉から判明しました。 草野球ドラマのロケ地で、草野球チームが宿泊するのも面白い偶然な気がしたし、さらに、このドラマが終了して間もなく、ゴブリンズは、メンバー大半が仕事のためにハワイに移住、活動休止に追い込まれてしまうのですが、それも何かの予兆だった気がして、少しだけ戦慄したのを覚えています。 ちょうどこのドラマも、舞台となる「九十九里の缶詰工場」が倒産に追い込まれ、そこの弱小野球部が活動を続けられなくなると言う設定だったので、何か不思議なリンクを感じて

伝説の強打者

★本日、「イチロー日米通算3000安打達成」の瞬間を、BS中継で見ました。レンジャース戦の一打席目でした。それを記念して?以前まだブログでは無い頃に書いたゴブメッセージの1つ、「伝説の強打者」を再録することにしました。 なお、以下はイチロー選手が入団して初めてのシーズン、2001年終盤の頃の内容であり、古い記述がいくつも出て来ますので、カン違いの無いように読んください。 *検証1:1995年の1年間カナダを放浪していて、日本でのイチローの大活躍を知らずにいたN君。帰国後、オリックス時代のイチローのプレーを見て言った。「イチローのどこがそんな凄いんですか?」 *検証2:イチロー選手がポスティングシステムでの移籍を宣言したとき、清原、江藤、マルチネスと、あれほど熱心にスター選手集めをしていた巨人が、何故かまったく触手を伸ばさず、いとも簡単に見送りにしてしまったのはどうして? *検証3:当時のマリナーズ・ピネラ監督は、入団後初のオープン戦でのイチロー選手の打撃を見て、「なかなか引っ張りのパワフルな打撃を見せてくれない」と、不満を漏らしていた。 *検証4:関口宏のサンデーモーニングで、スポーツご意見番として登場している張本勲氏。たとえ、イチロー選手がメジャーで高打率をマークしても、連続試合安打の記録更新中でも、決して「あっぱれ!」とは言わない。それどころか、何故か評価はいつも「喝!」。その理由は?「当たりそこないが多いから」 これらはいずれも、イチロー選手を「ある印象」によって評価したものです。それは恐らく日本人誰もが感じていた「疑問」に近いものかも知れません。特に張本氏の「当たりそこないが多いから」という言葉が象徴的だと想います。つまり、これまで常識的に考えられて来た「ヒット」と言うもののイメージから来る「違和感」なのです。 常にバットの真芯でボールをとらえ、強烈なライナーで、外野、あるいはフェンス越えの長打を放つ。そう言う打撃こそ「強打者の明かし」であって、イチロー選手のように、当たりそこねを足の速さでヒットにするような打ち方は、完璧な打撃とは言えない・・ 草野球でも、ボテボテの内野安打とか、野手の間に落ちるポテンヒットなどには、「ラッキーヒットだ、ピッチャー勝ってるよ!」などと投手を励ましたりします。同様に、逆方向の当たりに対しては、「振り遅れだ!バッターおされてる!

新ユニフォームお披露目試合「G.B.Crew戦」

★新ユニフォームがついに完成、お披露目となりました。試合の終盤は暑さと相手の平均年齢の若さにやられてフラフラ状態。けっきょく時間切れに救わそれはさておき、久々の「 GOB-NEWS 」は新ユニフォーム特集。 まず女子の安田選手ですが、選んだ帽子が八方型で、前面の出っ張りを気にしていたようです。が、見た目的には問題は無いと思います。 次にイギリス出身のアンディ選手。胸ロゴの感じを見ていただきましょう。今回は「スピード感」や「鋭さ」「躍動感」と言ったスポーツに有りがちな傾向は排除し、古い昔のユニフォームに使われるような雰囲気を狙いました。 ただ、同選手のパンツが、かつて台湾系のポー選手がアメリカで購入して来た物を譲り受けたため、色が微妙に違うのが問題点。本人は「買い替えたい」と言っているようです。 せっかくのお披露目の日に帽子を忘れた鈴木選手。他にもエンジストッキングを忘れて、以前の黒いストッキングで間に合わせた土屋選手などがいましたが、鈴木選手ほど、ストレートパンツをきれいに着こなせる選手はゴブリンズには他にいません(他チームにはいると思う)。 今回ベルトを白にしてみたのですが、お腹の区切りが見えなくなり、スマートに見えます。白スパイクとの配色もとても良く合っています。 最後に背番号を見ていただきましょう。左バッターなら良かったのですが、じつはこの日、暑さのせいで写真なんかどうでも良くなっていたのです。(同選手はのちに左バッターに転向) 何とか撮影したのがこの四人で、背番号が写っていたのは、師富選手の空振りシーンだったと言うわけです。 この字体はレッドソックスタイプ。ひとつ間違えばそっくりになる恐れが有ったのですが、帽子をエンジにしたことで、充分オリジナリティを出せたと思います。 試合の方は「6対4」で見事勝利!。新ユニフォームお披露目の記念試合を勝利で飾ることが出来ました。が、夏も本番、酷暑炎天下の試合で、勝負に勝って暑さに負けた。そんなゲームでした。   

幻の八幡様

★夏の思い出と言えば、こんなことも有りました。これは不思議な話しでは有りませんが、自分の勝手な空想で、少しだけ不思議じみた?記憶となって残っているお話しなのです。 小学校2年のころのことです。通っていた「保谷第一小学校」の通学路を、学校の北側へたどって行くと、駄菓子屋が一軒あって、その先はずっと雑木林になっていました。さらにその林の中のジャリ道を進んで行くと、畑や田んぼが現れ、小川が流れていて、やがて子供たちに「八幡様」と呼ばれていた、深い静かな森にたどり着くのです。 その森に案内してくれたのは「T君」と言う少年でした。彼はちょっと知恵遅れで、授業には集中できず、いたずらばかりしている子供だったのですが、クラスで一番の虫取り名人だったのです。夏になるとせんべいの四角い空き缶に、数十匹のクワガタを捕まえて来ては友だちに配っていました。普段はいたずらをされ嫌っている女の子たちも、この時だけは嬉しそうにクワガタを受け取っていたものです。 ある日、友だち数人が「T君が八幡様に連れてってくれる」と言うので、私もついて行くことになりました。彼らはT君から、虫のたくさん捕れる森が「八幡様」と言うところだと聞き出したのです。そして日曜日、僕たちは虫取り道具を抱えて自転車に乗り、T君の後をついて行きました。 果たしてそこは、夏の少年たちにとって天国のような場所でした。捕れたのは虫だけではなく、小川ではメダカやフナやドジョウ、ザリガニ、カエル、オタマジャクシなど、ほんとうにたくさんの小動物を捕ることが出来ました。日が暮れて薄暗くなるまで、私たちはそれこそ、時間の経つのも忘れて夢中で捕り続けたのです。 別れ際にT君が「化けガエル」の話しをしました。家で飼っている時、カエルがお腹を膨らませて仰向けに水面に浮いたら、それは化けガエルなのだと。そしてそうなったら最後、その夜、必ず恐ろしい夢を見てしまう・・・ 私はその話しにすっかり凍り付いてしまったのですが、私のカエルには何事も起きませんでした。その代わりY君のうちで化けガエルが出たそうで、翌日の学校ではその話しで持ちきりになっていました。 その夏休み、私たちはT君の後を追って「八幡様」に入り浸っていました。たくさんの獲物を持ち帰り、飼い切れない物は近所の友だちに配ったりしていました。するとある時、隣の家の一年生の男の子が「八幡様に連れて行って

GOBLINSの新キャップ届く

★新しい帽子が出来上がって来ました。写真ではストロボの光の影響で若干ザラついて見えますが、実物はもっといい感じだと思います。デザインを考えた本人としては、まずまずの出来です。   

キツネの嫁入り

★そろそろ夏も近づいて来たので、不思議な話しをひとつ。 以前このブログにも書いたのですが、私の母親は昭和初期に生まれ、秋田県の山奥で育ちました。その村では、幼いころ何度も怪異現象に遭遇したそうです。これもそのひとつです。 ある日の夕方、薄暗くなった田んぼのすぐ近くで遊んでいると、少し離れた農道を、長い提灯行列がゆっくりと歩いていたそうです。夕暮れでシルエットもハッキリしないのですが、ゆらゆらとした不思議な提灯の明かりに目を奪われ、ついつい見とれていたそうなのです。 不思議なのは、茂みや小屋の後ろを通るときです。普通なら、物陰を通り過ぎるときは、その距離の分だけ時間がかかって出てくるわけですが、その行列は、なぜか物陰に入った次の瞬間、スッと反対側から顔を出すと言うのです。その奇妙な動きにも気持ちを奪われ、時間の経つのも忘れて、ぼんやり見続けていたそうです。 ところが、何かの拍子にハッと我に返って、急に恐くなった当時の母親は、あわてて家にかけ戻り、家の者たちにそのことを話しました。すると祖父が「そりゃあ、キツネの嫁入りだべ」と言い、気をつけるようにと戒めたそうです。 つまり、本当はその提灯行列は幻で、見ている者のすぐ近くにキツネが隠れていて、化かしているのだと言うのです。そして夢遊病のように行列の後について行って沼にハマったり、そのまま神隠しに遭うこともあるのだと、おどかされたと言います。 なお、大勢の人が提灯を持って練り歩く行く行事は、その村には無かったそうです。念のため・・ 関連記事 ◎ もののけCM    

キャップマーク決まる

★キャップのマークがようやく決まりました。胸ロゴと違って、こちらは未定のままだったことで、時間がかかりました。この他に6種類くらい考えたのですが、けっきょくアルファベットの大文字で、胸ロゴに合わせたシンプルな物に決めました。中心部はホワイト、ブラックの縁取りです。ホワイト部分は今回は盛り上げ刺繍にしたいと思っています。 デザイン画に当てはめてみた画像です。今回はバラバラと制作を進めているので、なかなか全体像がつかめない?と言う人も多かったかも知れませんが、ほぼ「こんな感じ」になると言うことが分かって来たかと思います。(背番号の字体が違いますが、直す気力が無いのでそのままにしてあります)      

デザインコンセプト

★新ユニフォームのデザインがほぼ決定し、発注済みでは有りますが、ここで、どんな成り立ちで今回のデザインが決定して行ったのか、その経過を書きとめておきます。 メンバーの中には直感的に「ここはこの色の方がいいのに」と思う人や「何故こう決まったのか分からない」と言う人もいると思いますので、それらを分かりやすく箇条書きにしました。 これを読んでもらえれば、デザインとは思いつきではなく、コンセプトに基づいて、時間をかけひとつひとつ決まって行くものだと言うことが伝わることと思います。 【グレーシャツ】 グレーパンツが「汚れが目立たなくて良い」「洗濯が楽」など好評のため、グレーパンツを残すことにしました。 そしてシャツもグレーに。現行ブラックシャツは、制作した1999年当時は珍しかったのですが、その後、濃い色のシャツがどんどん増え、似たり寄ったりのチームが増えて来ました。それに比べ、グレーシャツの絶対数は少なく、オリジナリティを発揮しやすいと考えました。 【ホワイトのアクセント】 しかし、全身グレーのユニフォームは、反面「ビジターっぽい」「雰囲気が暗い」などのデメリットが有りました。(左イラストを参照)その雰囲気を払拭するために、何処かに「ホワイト」を入れるのが効果的だと考えました。 そこで、いま流行りの「ツートンカラー(切り替えカラー?)」を活用し、脇腹をホワイトにし、少しでも「明るさ・軽さ」が出るようにしました。 【エンジに黒の縁取りロゴ】 さらに、グレー(無彩色)の寒々とした感じを無くすために、ロゴマーク・背番号を、イメージカラーであるエンジを残し、生かすことにしました。 そしてグレーとエンジの響き合いを良くするため、縁取りはブラックに。背ネーム希望の場合は、ブラック一色の文字で入れることにしました。(背番号文字はイラストとは違います) 【「SINCE 1988」をホワイトで刺繍】 脇腹のホワイトに呼応するホワイトが欲しいため、ロゴ下にバットを模したシルエットを作り、そこに「SINCE 1988」を「ホワイトの刺繍」で施すことにしました。黒字に白い刺繍をすることで、コントラストを強くし、印象的になると考えました。 【エンジのネックライン、袖ラインを入れる】 ロゴ・背番号のエンジに呼応するエンジが欲しいため、ネックライン、袖ラインをエンジにしました。アンダーシャツを着ない場

ヘヴィメタルの起源?

★自分の血液型はA型なのですが、じつは片付けがとても苦手で、部屋はいつも散らかり放題なのです。 で、毎年6月ごろになると大掃除を始めます。暑くなって部屋が散らかっているとうっとうしいし、かと言って真夏に掃除をする気力は無いしで、6月の梅雨寒の頃に大掃除をすることになるのです。 すると決まって、ずっと探していたモノとか、何か珍しいモノが出て来ます。今年はアメリカンコミックの「HEAVY METAL」が出て来ました。 これは何年も前に古本屋で購入したものですが、1980年代に台頭するロックのスタイル、いわゆる「ヘビーメタル」誕生の基になった雑誌だと言われているのです。 ネットで調べてみると、「ヘビメタ」の起源としていろんな説が流れているようですが、これが一番正しい(近い?)と思いますよ。ようするに、雑誌「HEAVY METAL」に登場するキャラクターのコスチュームをマネしたことが始まりなのです。 まずは格好から入って、音楽性についてはその後の色んな要素を組み込んだものだと思われます。ある人は、高音でシャウトするボーカルの金属的な響きから名付けたと言う説を唱えていましたが、むしろネーミングに音を近づけて行ったと考えるのが正しいでしょう。 まあ、音楽のヘビメタにはあまり興味は無かったのですが、アメリカンコミックはすごく好きで、いろいろ雑誌をコレクションした時期もありました。その中に「HEAVY METAL」も有ったんですね。 嬉しいことに、当時(約30年前?!)劇場用アニメーションも公開されまして、いそいそ見に行ったもんです。その内容はほとんど忘れてしまいましたが、「You Tube」で探してみたら有りました。確かこれだったと思います。(予告編みたいですね)   

シャツ届きました

★新ユニフォームのシャツが届きました。イメージ通りに出来て来ましたよ。写真では伝わりにくいかと思いますが、実物はとてもいい感じです。サイズは(キャプテン高橋はOサイズ)ややたっぷり目に作られている感じです。メジャー仕様と言った感じでしょうか 脇から背中にかけてのホワイトも効いています。グレーは見た目が暗く重い感じになりやすいため、こにホワイトを入れて軽い雰囲気を出そうとしたのですが、思いのほかキレイです。これにベルトのホワイトを加えると、さらに効果が増すと思います。 ロゴ部分です。写真ではストロボの影響で赤みが強いですが、肉眼だともう少し暗くエンジに近いです。千鳥がけ刺繍をするにはやや細い、と言うことでしたが、ムリを言って作ってもらいました。バット部分の「SINCE1988」とグリップテープ?の刺繍も光っています。      

応援団はもういらない

★こないだの「巨人対ソフトバンク戦」の交流戦(決勝戦)の視聴率が7%台だったそうですね。落ちるところまで落ちました。ただまあ、視聴率と言うのは今は地上波が中心で、BSやCS、それに録画率などを含めたホントのところは不明らしいです。 ですが、気になったのは、その話題を扱ったラジオ番組での「なぜプロ野球を見なくなったか」のアンケートの答えです。「応援団がうるさいから」と言う意見がけっこう有ったらしいのです。 このことについては、このブログでも何度も書きましたが、そう思っている人って、自分だけじゃなく、確実に増えているんじゃないでしょうか。 あれ、ホントにもう、本気で止めてもらないでしょうか。イライラするので、ここ数年まともに日本のプロ野球見てないのですよ。ホントに止めて欲しい。出来れば法律で?罰して欲しいくらいです。 特に、ヘンなリズム、ヘンな音程の歌を唱うのやめて欲しいんですよね。サッカーの応援のパクリだと思うんですが、野球のリズムとまったく合ってないので、音感の鋭い?自分には気持ち悪くてどうしようも無いのです。バッターが打席に向かうまでの間(ま)、ピッチャーがセットしてから投げるまでの間(ま)、この野球独特の「間(リズム)」を大事にして欲しいのです。 たとえばバッターが打席の中で、小刻みに足や体を揺らしてタイミングを計ってますよね。あれが「打撃のリズム(間)」なんです。だから有名な野球応援曲「コンバットマーチ」を口ずさみながら、打席に立ったつもりでリズムを取ってみると、実に理にかなっていることが分かるのです。(試しにやってみてください) せめてあれくらいの「正しい音感」でもって応援歌を作ってくれたら納得できるのですが、残念ながら昨今はそうなっていません。特に巨人のはヒドい。調子のいいバッターは応援も音も聞こえないくらい集中するそうですが、いったん落ちて来ると、リズムのおかしな応援歌は打撃に影響する恐れが有ります。巨人ってそんな「本来の力を発揮できないバッター」が多くないですか?。もしかしたらそれは、応援歌のせいかも知れませんよ。 それと、これは今まで知らなかったことなのですが、今年の巨人とヤクルトの開幕戦で、巨人の応援団がかなりヒドいことをやらかしたそうですね。開幕戦のセレモニーのひとつで、青山の小学生のブラスバンドが演奏をするプログラムが有ったそうなんですが、その

いつからオタクのイメージが悪くなったのか

★あの「宮崎勤」の死刑が執行されたと聞き、20年前のことを思い出していました。20年前と言えばゴブリンズ誕生と同じ年です。同じあの年にあの事件は起きていたのですね。 確か彼が逮捕されたのは夏のころだったと思います。その日私は車を運転し、両親の故郷である秋田に向かっていたからです。かなり渋滞し、高速をあきらめて山道を走っていたので、たぶんお盆休みの頃のようにも思うのですが、どうでしょう。 カーステレオを聴こうと思っていたのですが、その宮崎勤逮捕のニュースが始まって釘付けになってしまったのです。それがそのまま特番になって延々と続いたので、運転していた数時間、ずーっと聞いていたような気がします。 ただ、あの時ワイドショーのリポーターが、宮崎勤を例に「オタク」をほぼ異常者扱いで報道しているのを見て、かなり違和感を持ちました。 彼の部屋から大量のアニメビデオなどが見つかったことから、彼のせいで不幸にも「オタク=気持ち悪い」と言う印象が強くなってしまった気がするのです。 当時勤めていた「JCGL」と言うCG会社には、アニメ学校出身のアニメ・マニア社員がたくさんいたのです。でも彼らは決して「オタク」ではなかったんですよ。 身なりも普通(コスプレする人いなかったし)、性格もみな常識的で、気持ち悪い要素なんて何一つ無かったですよ。むしろ、テレビゲームに夢中になる男子を、アニメ・マニアの女子が呆れ顔で見てる、そんな時代でした。 あの当時「オタク」と呼ばれていたのはアニメ・マニアではなく、じつはコンピュータ・エンジニアだったんです。 20年前と言えばパソコンを持っている人はごく僅かで、それゆえ彼らは、少数派の特殊技能者として、自分たちだけの領域を作り、自分たちだけに通じる言葉を使い、他の人々とは一線を引いていたのです。 で、彼らがお互いを呼び合う言葉が「オタク」だったんですね。これは奥様連中が相手の家庭を指して「お宅、今晩のおかず何にする?」なんて時に使う「お宅」と同じです。 実際私も、JCGLのシステム・エンジニア君たちから、「お宅さあ、このバグレポート、もっとちゃんと書いてくれる?」なんて呼ばれて、「はあ?」と思ったものでした。この、相手を呼ぶ時に使う「お宅」が、やがて「オタク」となって広まって行くことになるんですね。(オタクの語源) まあ、今ではパソコンも当たり前なので、コンピュー

ゴブリンズ歴代ユニフォーム

★現在新ユニフォームの製作を続けていますが、ゴブリンズメンバー土屋氏より、歴代ユニフォームの写真を提供してもらいました。簡単な解説を書いておきましたので、参照してみてください。 ★ ゴブリンズの初代ユニフォーム(1989)   ミズノ・クラッシックシリーズの生成り木綿生地です。柔道着みたいな感じです。マーキングは圧着に縁取り刺繍。 この頃はまだコンピュータ処理ではなく、職人が手作業で行っていたため、クオリティーの割には値段が高かったです(プロ野球でも手作業でした) 袖に「GOBLINS」の刺繍、背中が殺風景だったのですが背ネームを入れる予算が無く、代わりに「Baseball Club GOBLINS」の文字を刺繍して見栄えを良くしました。苦肉の策だったのですが、お店の人には「今まで見たことの無い斬新なアイデアだ」と面白がられました。 キャップもやはり生成りクラッシックの純正品で作りました。 が、ユニフォーム本体もそうですが、生地が木綿だったので洗濯するたびに縮まって、ルーズだったシャツやパンツも普通のピッタリサイズになり、キャップは小さくなってかぶれなくなる選手が続出、とりあえずキャップだけ作り直すことになりました。 そして作られたのが、このニットキャップ。色もブルーに変更。「白はアマチュアっぽくて嫌だ」と言う意見が多かったからなのですが(お前らアマチュアだろ!って思いながら)笑顔で変更しました。 この頃の帽子マーキングは圧着のみでした。直接刺繍などでマークを入れるためには、帽子を縫い合わせる前の生地に刺繍しなければならず、高額になるため草野球ではまず有り得ませんでした。 ★ 二代目ユニフォーム(年代調査中)   これはレワードのクラッシクタイプです。このタイプは野球映画の影響で他チームでも流行りました。 生地は木綿を含んだポリエステルにだったと思います。後に「野球物語」と言う商品名になりました。 ストライプに赤のマーキング、黒の縁取刺繍です。これも袖に「GOBLINS」、背中に「Baseball Club GOBLINS」の文字を入れました。 ゴブリンズ史上最高額(¥35,000くらい?)になりましたが、マーキングの職人さんが高齢のため、この仕事を最後に引退することになり、一着一着心を込めて作ったそうです。その言葉通り、見事な出来映えでした

自衛隊サンダーバード化計画

★先日、中国の震災救援のため、自衛隊機を飛ばすことになりました、が、すぐに撤回、民間機で資材を運ぶことになったとありました。 官房長官の発表では「要請も撤回も中国側からだった」ってことになってますが、元々は日本政府の方から積極的に打診していたと言うのが真実のようで、まあ、この勇み足からは、防衛省が自衛隊を外に出したくて出したくてしょうがない、って気持ちがにじみ出てます。 まあね。あれだけ莫大な国家予算を使って、国内で戦争ごっこみたいな訓練しか出来ないのが歯がゆいんでしょう。 そんな自衛隊ですが、阪神淡路大震災の起こった翌年には入隊希望の人が急増したといいます。震災の現場で黙々と救出作業を続け、被災者に励ましの声をかけた自衛隊員の姿に大きな感動を覚えたからだと言うのです。 考えて見れば我々は、災害現場で働く自衛隊員の姿が一番心強く、頼もしく、一番印象に残っているような気がします。地震、火災、洪水、大規模な事故等・・。そう言えば火山の噴火なんてのもありましたね。 確かに、軍事的訓練とかいろいろやっているだろうし、本人たちもそう言う意識で活動しているだろうけど、やはりどうしても我々の眼には「自衛隊」と言えば「災害救助」と言うイメージが強く焼き付いているのです。 最近のNHKの新人自衛官へのインタビューでも、「災害救助で貢献したくて入隊しました」なんて答えている人さえいました。少なくとも彼にとっての自衛隊のイメージとは、戦闘、戦争でないと言うことなんでしょうね。 だったら、と思ってしまうのです。 「いっそのこと自衛隊を、国際救助隊:サンダーバードにしてしまったら?」 あの組織力を持ってすれば、かなりのことが出来るに違いありません。兵器開発の技術を応用して、代わりに救助用の高性能マシンを作ります。それぞれの災害の、あらゆる場面を想定した救助用機器「サンダーバード」。そしてそれらを現地まで運ぶ「貨物用サンダーバード2号」 これはまったく不可能と言うわけではないようです。事実、中東の油田火災専門のレスキュー隊が、戦車にジェットエンジンを着けて、その風圧で火災を吹き消すと言うマシンを「軍の強力で開発」したそうです。これなどは、現実に軍事兵器のノウハウを救助機器の開発に応用した一例と言えるでしょう。 たとえばこう言った物を、軍事兵器の代わり日本がアメリカに発注したとすれば、軍事産業で

汚れとり つや之助

★バットの汚れを取る話しが有りましたが、こんなのも有ります。 その名も「汚れとり、つや之助」。これも自分では最初、ギターの細かいスリ傷を取るために買いました。 もともとは艶の有るものには何でも使える研磨剤だと思ってください。成分が「ファインセラミック・シリコーン・ワックス剤」と有り、研磨剤の粒子が非常に細かく、磨くと名前通りツヤツヤして来ます。 これもバットに使うと、軟球のゴム痕が取れて艶が出ますね。「オレンジオイル」はちょっと値段が高い、「シトラス・クリーン」は安くて効果絶大なのですが、研磨粒子が粗く、つや消しになってしまうので、この「汚れとり、つや之助」はちょうどいいかも知れません。バット以外でも家電とか自転車とかにも使えるので、有ったら便利だと思いますよ。 その他の効用としては、アクリル板のホコリ避けとしても使えます。最近は絵を入れる「額」の保護にガラスではなくアクリル板を使うことが多いですが、これは静電気でホコリが付きやすいのです。 そこで「汚れとり、つや之助」でもって磨くと、ワックス皮膜の効果によって、ブロワーのひと吹きだけでホコリが飛んで行くようになります。研磨剤で透明度が失われることもまったく有りません。安心して使えます。 ただ、ホームセンターとかドイトみたいな所では、意外と見つかりません。ネット以外では、東急ハンズが確実ですかね。ウチに有るのは渋谷の東急ハンズで買いました。ハンズは割引は無いですが「買いに行ったけど無かった」なんて無駄足にはならないと思います。値段は、100.c.cで¥700くらいだったですかね。      

冷むぎ2008年夏分を買った

★もうすぐ「そば」や「冷むぎ」が美味しい季節になりますが、ウチではこれが定番ですね。 ずっと前、知り合いから分けてもらって食べたらとても美味しくて、毎夏、箱で買ってます。今年も注文したのが届きました。 山形の小さな(たぶん?)製麺所で、インターネットで調べても連絡先が分かる程度のお店なんですが、モノはいいと思います。 これを口にしてから他の有名な麺でも食べる気にならなくなりました。喉ごしがいいんです。滑らかでコシが有って粉っぽさがありません。 今は世の中的には「そうめん」の方が人気があるみたいですが、そうめんはあのプチプチ感がちょっと苦手で、やっぱり「冷むぎ」の方が好きですね。 ただ「そうめん人気」がこの製麺所にも影響したみたいで、2、3年前、麺がそうめんに似せてやや細めなってしまったんです。あの時はショックで、他の麺に替えようと思ったんですが、けっきょくこの麺以上に美味しい麺は見つかりませんでした。 まあ、ゆで上がりが早いし、ツユも絡みやすいので、これはこれでいいのかな、なんて思ってます。一輪¥200。食べ比べの好きな人はどうぞ。(「高級めん」と言う品名がダイレクトすぎてちょっと、ですが) 佐藤製麺所・山形県天童市大字寺津313-2 TEL・FAX:023-653-4590‎ その製麺所で「そば」も有ると言うので、今回試しに買ってみました。でも、別の製麺所が作っているものを委託販売しているみたいですね。 こちらはインターネットでも売られているし、そこそこ名の知れたモノみたいです。 これも美味しいです。乾麺と言うと、どうしてもボソボソと粉っぽくなりがちなのですが、これは乾麺とは思えない生麺に近いつるつるの舌触りに仕上がりますね。 値段がこちらも一輪¥200と、量からすると少し高めなんですが、それだけの価値は有ると思います。 どうもウチは「山形県産」の麺が性に合ってるようなんですが、じつは両親が秋田県出身で、秋田と言えば「稲庭うどん」なんですけどね・・。ダメなんです。「美味しんぼ」なんかで「最高のうどん」なんて紹介されて、喜んだ地元の親戚がたくさん送ってくれたのですが、どうしても馴染めませんでした。 あれはちょっと滑らか過ぎます。「つるつる」と言うよりは「ぬるぬる」していて、喉越しの手応えと言うか、「喉応え」が無いんですね。でも、そんなことを言ったら親戚がガッカリす

英才教育の失敗

★1960年代から70年代にかけて、日本では学園紛争が相次ぎ、多くの若い学生と若い機動隊員とが衝突して血を流しました。この様子を見て憂いた、ある有名企業の社長さんが、各界の有識者たちを集め、ある提案をしたそうです。 「こんなことになったのは、しっかりと教育が行き届かなかったためだ。もっと幼い頃から、正しい知識を与える必要がある」 そして、早期教育の必要性を訴え、様々な教育機関に働きかけました。これが後に流行することになる、「塾通い」や「英才教育」の始まりです。ただ残念なことに、この頃はまだまだ、「人間の脳」の本当の仕組みが分かってはいなかったんです。 「頭の良い子が立派な人間に育つ」と、彼らは信じていたようですが、じつは「感情豊かな心」と「発達した知能」とは、脳の別々の分野が司るものだったんです。ほとんどの人々がそれには気づかず、子供達は否応なしに、膨大な「知識」を詰め込まれることになったんです。 そして時代が進み、事件が起こり始めます。少年たちが次々と人々を殺し始めたのです。しかも、自分でもハッキリとは動機が分からないまま・・。周囲の大人達は驚き、みなこう言うのです。「あんな頭のいい子が・・、なぜ?」 脳の重大な働きが分かってきたのは、ここ十数年のことだと言います。特に「右脳と左脳」の役割の違いです。人間にとって最も大切な「心」とは、「右脳」から発生するものだと言うことが分かって来ました。そして「左脳」は、主に知識や情報を処理するために有るのだと言うこともです。 ですから、幼い子供にいくら「正しい知識」を叩き込んでも、育つのは「左脳」ばかりで、心を発生させる「右脳」はなかなか育たないことになります。それどころか、左脳が異常に発達すると、溢れ出す情報を逃すまいと、右脳が言わば「仮想メモリー」のような形で肩代わりをするようになるのです。 そうなると、右脳が本来司るはずの「豊かな心」の発達は遅れます。そうなった後で、いくら「命の大切さ」や「思いやりの心」を教えても、「知識」として左脳に入力されるだけで、感受性としての「思いやり」は欠落してしまうわけです。 その結果、子供たちは少しずつ人間らしい気持ちを失い、次なる、大人たちが理解出来ない世代へと進化(?)して行くことになります。 ・・と言うのが、最近になって脳科学で分かって来たことみたいです。まあ「英才教育」をやろうとし