スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

映画「ふしぎな岬の物語」の「岬」に行ったことがある

 ★今年の秋「ふしぎな岬の物語」と言う映画が公開されるそうです。原作は森沢昭夫氏の小説「虹の岬の喫茶店」。主演でもある吉永小百合さんが、監督と共に初めて企画にも参加されたんだそうです。 ◎原作小説「虹の岬の喫茶店」 (この記事アップ後、カナダの第38回モントリオール世界映画祭で、「ふしぎな岬の物語」は、最高賞のグランプリに次ぐ審査員特別グランプリと、エキュメニカル審査員賞を受賞しました。おめでとうございます) *その他の資料リンク ◎「房日新聞」喫茶店「岬」経営して35年 ◎「三浦半島デジカメ便り」音楽と珈琲の店「岬」(火事焼失前) ◎「三浦半島デジカメ便り」再建後の「岬」写真 (他人のブログリンクですみません) じつはこの映画に出て来る「岬」と言う喫茶店は、千葉県の東京湾側、明鐘岬に実在するのです。つまり実在する喫茶店と実在する人物をモデルに描かれた小説、その映画化と言うことになります。 そして過去に僕は(僕たちは)ブレード隊、つまりインラインスケート長距離走行チームとして、休憩のために、この「岬」を訪れているのです。二人連れで一回と、単独走行で一回の計二回。で、その時のことを僕が書いた走行記が二つあるので、紹介しておきたいと想うのです。 一つは1992年に二人連れで、四日かけて鴨川までの162.2kmを滑った、 「南房総に夏の終わりの夢を見た 」 二つめは1994年、途中の白浜127.4km地点でリタイアした単独走行、 「幻のBOSO100マイル」 走行期は現在サーバの関係で削除してあります。いつかの機会に「ブレード走行記」として再アップしたいと思ってますが、原作小説の作者、森沢氏が、初めて「岬」を訪れたのが2008年頃とのことですから、我々が行ったのはそれよりもずっと前、今からざっと20年ほど前の出来事ということになります。 「幻のBOSO100マイル」では、その年の8月に、突如35℃越えの酷暑日が何日も続きまして、無謀にもその炎天下を数十キロ滑って、熱中症と想われる症状に見舞われ、途中リタイアしてしまったのです。 いまにして想えば、あれが、温暖化の影響による「異常に暑い夏」の始まりだったと言う気がしてならないのですが、もちろんあの時は自分が「熱中症」にやられていると言うことさえ気付きませんでした。何しろ「温暖化」や「熱中症」という言葉さえ、まだ一般には浸透し

幻じゃない?広島カープが快進撃の理由?!

★これだけ調子がいいと、ホントは(好調が逃げて行きそうで)あまり口にしたくないのです。おまけに、いよいよカープが苦手な「セパ交流戦」が始まるので、ひょっとしてそこで失速するんじゃないか?と気が気ではないのですが、ともあれ、我が応援する広島カープが首位を走っております。 まあ、交流戦をうまく乗り切れば、あの、まさかの「優勝」の二文字も夢では無くなって来るので、そのガンバリに期待したいところです。聞けば、23年間していないとのことで、わたくし、カープファンですら「そんなになるのかい?」と想うほど、「遠い昔に見た夢」と言うことになってしまいました。 ですが、ここではカープがこれからどうなるかと言うことよりも、野村謙二郎監督の能力と言うことを語りたいと想うのです。僕は、野村氏が監督に就任したとき、「これで広島は確実に強くなるだろう」と確信しておりました。 なぜそう想ったかと言うと、星野ジャパンがメダルを取れなかった北京オリンピックの野球中継を見た時のことです。その試合で解説をしていたのが野村謙二郎氏で、その解説(と言うより予見?)の一つ一つの的中率が素晴らしく、洞察力の鋭さに驚き、感服したからなのであります。 で、個人的には、次のジャパンの監督を選ぶなら、ぜひ野村氏になって欲しいと想っていたのですが、監督経験が無いとか、若すぎるとか言う理由で候補にすら上がりませんでした。その代わり、でも無いでしょうが、カープの監督に就任することになり、いよいよ手腕を発揮することになったわけです。 ただ、ここまでに来るのに5年と、想ったよりは時間がかかってしまいました。通常、チーム再建は3年が目安と言われてますからね。しかしながら、毎年のように、エースと四番がFAで抜けて行くチーム事情を考えれば、良くやった方だと想います。 「そんなの、後からなら何とでも言えるよ」と想われるかも知れませんが、これが後追いではない証拠?に、当時書いたブログ記事があるので、それをリンクさせておきます。そんなに的外れではないと想うので、読んでみてください。 ◎ ブログGOB-MESSAEGE「星野ジャパン・・」 就任から数年間Bクラスに低迷していた時は、カープファンの中にも、野村監督を無能呼ばわりして「即刻辞任せよ!」の言葉がツイッター上にあふれたそうですが、そいつらよりも僕の方が、

消費税にまつわる悲しい(悔しい?)想い出

★ついに消費税8%となりましたが、「消費税」と聞くと、いつも思い出すエピソードがあるのです。これは、消費税と言うものが日本で初めて導入されたころのお話しです。 じつは、私が会社をやめフリーのイラストレーターを目指し始めたころと、消費税の初導入時期とはほぼ重なっていました。 消費税は始まったばかりだったし、私自身も世間的にもまだまだ未経験な部分が多く、制度への誤解による運営方法の間違いなど、色々あったように想います。・・とは言え、当時の消費税は税率3%で、所得三千万円以上の事業主が納めるものであり、まあ、自分とは無縁なものだとは想っていたのです。 ところがです。ある若い税理士に、「原稿料の請求をするとき、ちゃんと消費税も上乗せしていますか?」と、言われてビックリしたことがあったのです。 私は、「いや、とんでもない。そんな稼ぎ無いですから・・」と苦笑して、多少うろたえながら答えました。すると税理士は、「そうなんですよね。そう言う風に勘違いしてる人って、多いんですよね」と言うのです。 そのころ私は、豊島区の東長崎に住んでいました。池袋から西武線で一個目の「椎名町」が最寄り駅です。そこに数年住んで、その後、中野区や渋谷区に移り住んだのですが、その引っ越し先での生活から感じたのは、豊島区ってけっこう区民サービスが良かったなあ、と言う印象なのです。(もちろん全ての区や市町村のことは分かりませんが) たとえば、区の方から、自由業には必須の国民年金の説明会のお知らせが来て、年金の概要や支給申請の仕方など、懇切丁寧に教えてくれたり(その後、消えた年金問題が浮き彫りになりましたが)、確定申告についても、区から派遣されたと言う若い税理士が、わざわざ自宅まで訪ねて来て、無料で税金の説明から申告書の書き方まで教えてくれたです。 その時の流れで、税理士さんが、「 ちゃんと消費税も上乗せしていますか? 」と質問して来たわけなのです。私が唖然としていると、さらに説明を続けるのでした。   (↓ 重要) 「 消費税と言うのは、あくまで一個一個の商品にかかる税金であって、事業主にかかる税ではないのです。もしも、消費税のかかる商品とかからない商品が流通上に混在すると、税の公平性が失われます。なので、事業主が個人であるか企業であるかにかかわらず、あるいは、大規模である

旧友からの電話

★ある時、電話がかかって来るのです。出てみると友人のKからでした。 「今日、二人でまた飲みに行かないか。いつもの場所で待ってるから」 そう言うのです。彼とは中学からの親しい仲でした。大学を卒業して数年間は音信不通の時代もあったのですが、彼の結婚式をきっかけに再会、それからまたひんぱんに会うようになったのです。 電話を置くと、僕はいつもの場所へと向かいます。ところが妙なのです。待ち合わせの場所へと行こうとするのですが、その日に限って中々たどり着けないのです。 「おかしいな」と想いつつ、先へ進めば進むほど、なぜか見知らぬ場所に出くわして、道に迷ってしまうのです。僕は妙な胸騒ぎを覚え、やみくもに街中を探し歩くのですが、どうしても見つけることが出来ません。そしてとうとう、彼に会うことはなかったのです。 「いったい、どうなっちゃたんだ?」 そう想ったとたん、ハッと目が覚めました。・・夢だったのです。 彼には会えるはずがありません。彼は10年ほど前に病に倒れ、すでに亡くなっているからです。享年46歳だったと記憶しています。 この夢は、かつて彼の三回忌が近づいた頃に見たものでした。あの、遠くから聴こえて来るような、夢の中の電話の声が、いつまでも耳に残っていたのを覚えています。 彼とは中学時代に、その他の数人と「心霊研究」や「同人誌の出版」など、さまざまな風変わりなことを仕出かした仲でした。周囲から変人扱いされてましたが、むしろそれを楽しんでしまうような、そんなヤツらでした。 ところがです。リーダー格だったそのKが亡くなったあと、彼のお通夜にも来ていた仲間の一人、Tが、なんとその一ヶ月後に急死すると言う悲劇が起こり、さらに驚かされました。 もちろん同じ46歳です。聞いたところによると、自宅のパソコンに向かったまま、眠るように息絶えていたそうです。彼は若いころアパートの火災に合い、肺を火傷したことが原因で、決して体が強い方では無かったのですが、それでも「まさか!?」と想ったものです。 ・・で、じつは先日、我々の草野球チーム・ゴブリンズの、かつてのメンバーであったヤマグチ君が突然亡くなったと言う知らせがあったのです。その彼も享年46歳だったと聞いて、とても驚きまして、ほぼ同じ年齢で亡くなった中学時代の仲間二人のことを思い出した、と言うわけなの

ロト7のCMが面白いと評判です

★重役会議に呼ばれた妻夫木くんが、不安そうに「なんの話しでしょう・・」と言うと、隣を歩く上司の柳葉氏が、「心配するな。お前のことはオレが守る」と力強く語るのです。 ・・が、いざ会議室に入って、かつて柳葉氏が名刺と間違えて渡してしまったロトカードを見たとたん、「私ではありません。そんなものは今初めて見ました」と、平気な顔でしらばっくれるのです。「えっ!?」と驚き、呆然と立ち尽くす妻夫木くん・・ これを見たとたん、じつは、僕の身にホントに起こった、良く似た出来事を思い出していました。 * 僕は美大を卒業した1982年、日本初のCGプロダクションと言われたJ会社に入社しました。J社は当初、「テレビ用連続アニメをフルCGで制作する」を目標に立ち上げられました。ところが、今ならパソコンレベルで出来るような作業も、当時は、フルCGどころか毎回数秒のCGカットを入れるだけで精一杯、残りのほとんどのシーンは手描きアニメ頼みという状態でした。億単位で導入したDEC社の大型コンピュータ「VAX11-780」の演算速度が遅すぎたのです。 J社は赤字状態のまま1年、2年が過ぎ、ようやく誰もが、これは人の問題ではなくコンピュータそのものの限界なのだと気づき始めました。しかし社長をはじめ上層部はそうは考えていませんでした。あくまで現場スタッフの能力不足であると言い張り、マシンは24時間フル稼働、スタッフはコンピュータに合わせて夜昼なく働け、と言うことになりました。 僕らは、食事や休憩で集まるたびに危機感を話し合うようになりました。で、この状況を打開するには、誰かが、社長に現実を伝えなければならない。そうやって新しい方向性を模索しなければ、もはや倒産への道をまっしぐらに転げ落ちるしかない、今がその分かれ道なのだ、と言うことになりました。 そしていろいろ話し合ったあと、CM部門の部長T氏が、僕を呼んでこう言いました。「お前、理論武装しろ。それで、次の管理者会議で社長に現場のありのままを話すんだ。そうしないともう何も前に進まない」当時僕は現場のチーフとして管理者会議に出席していたのです。 「でも、そんなこと言って大丈夫っスかね?」と尋ねると、T氏は「もし社長がわめき出したら、オレがお前をバックアップする」と、T部長はあのギバちゃんのよ

霊を信じない人が見た不思議なモノ

★こないだ、ある女性の友人と久しぶりにメールでやり取りしたのですが、その時ふと、かつて彼女から聞いた不思議な話しのことを思い出しました。確か彼女が中学生の頃だったと聞いているので、まあ、ずいぶん以前のことになります。 当時彼女は、両親と高校生の兄との四人家族で、東京郊外の一戸建ての家に住んでいました。体験した不思議な話しと言うのは、その自宅の二階で起こった出来事です。 ある日の午後、彼女は学校から帰宅し、階段を上がって、二階の自分の部屋に行こうとしていました。彼女の部屋は奥にあり、その手前で兄の部屋を横切るのだそうです。 で、いつものように部屋の前を通ろうとしたら、扉(引き戸?)が少し開いていたので、何気なく中を見ると、学生服のワイシャツ姿のまま、腕枕で横になっている少年の姿が見えたと言います。「あっ、お兄ちゃん帰ってたんだ」と想い、「ただいま」と声をかけ、自分の部屋に入ったんだそうです。 ところがしばらくすると家の玄関を開ける音がして、どう言うわけか、さっき見たはずの兄が帰宅したのだと言うのです。それで不思議に想って、「あれ? お兄ちゃん、さっき部屋にいたよねえ?」と尋ねると、「なんだよ。いま帰って来たんだろ」と言うのだそうです。 そこで、ワイシャツ姿で腕枕をしていた少年のことを説明したのですが、なに言ってんだ?と言う顔をされるだけで、まるで相手にしてくれないのです。なので、彼女の方も「錯覚だったのかな・・」と想うしかなく、その話しはそこまで、と言うことになりました。 ところが数時間後のことでした。一本の電話が兄あてにかかって来たのです。それは、兄の親友が交通事故で亡くなったと言うことを知らせる電話でした。そしてその友の亡くなった時刻が、ちょうど彼女がワイシャツ姿の少年を見たのとほぼ同じ時刻だったと言います。 「そのシャツの白さが、今でも目に焼き付いているんですよ」と、彼女は語っていました。ただ、身体の向きのせいで顔は見えなかったと言います。 その友人はとても仲の良い兄の親友だったと言うことで、家にも頻繁に遊びに来ていたそうです。なので話しを聞いた直後は、事故にあって亡くなる瞬間、兄に別れを告げに来たのだと想いました。 が、よくよく考えてみると、だとしたら兄のいない部屋ではなく、もっと違った

クール ・ジャパンの功労者?

★今さら、と言われそうですが、このところの日本のマンガ・アニメの世界進出は凄まじいものがありますな。 「クール・ジャパン」の筆頭ってことらしいですが、かつて、日本初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の本放送をリアルタイムで見、自身もマンガ家になりたくてなりたくて懸命に目指していた者としては、少し複雑な想いも無いわけでは有りません。と言うのも、いま隆盛をきわめている多くの作品には、なかなか溶け込めない自分がいるからなのであります。 その大きな理由は、今時のマンガの「絵」と言うか、「キャラクター画」に馴染めないせいなのです。僕自身が絵描きの端くれで、絵に対する好みが激しいことが原因かも知れませんが、どうも、今のマンガは、確かに洗練されていてキレイなんだけど、なんか気持ち悪い・・  いわゆる生理的に拒否反応を起こしてしまうところが有るんです。 と言うのも、今の漫画には、昔の少女漫画的作風が流入していると思うのです。差別?と言われたらそれまでなんですが、子供の頃から少女漫画が苦手で、今の作品の絵柄に「少女漫画風」を感じると、どうしても受け付けなくなってしまうんです・・(申し訳ないです)。なので、ストーリー的には面白そうだと想っても、ついついバリアを張って避けてしまうことが良くあります。 それでも、ギリギリの境界線を何とかクリアして、見て良かったなと想うものも幾つか有ります。「蟲師」や「夏目友人帳」とか「秒速5センチメートル」など、とても良かったですね。「蟲師」に関しては絵も好きでしたが、あの奇抜な発想や設定が素晴らしかったし、「夏目友人帳」はアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」が失ってしまった、妖怪に対する畏怖や不可思議が見事に描かれていました。 「秒速5センチメートル」については、キャラクターの絵は好みでは無かったのですが、まず背景画に引き込まれて、それにつられて物語にも引き込まれてしまいました。(自分がブレード隊で訪れた、幾つかの実在する駅が登場する、聖地巡礼的懐かしさも有りましたかね) ただ、「ワンピース」なんかと比較して、もしかしたら、これらは一昔前の作風に近いから気に入ったのかな?と言う想いも無くはありません。 「ワンピース」は、ストーリーとは直接関係の無いエ ピソードを、延々と語り続ける場面が随所にあって、最近の作品にはそ

夏の甲子園の危機?

★「今年の夏はとにかく暑い!」と言う声があちこちから聴こえて来ますが、印象深かったのは、あれほど暑さに強いはずの甲子園球児にも、とうとう熱中症の選手が出始めたと言うことでしょうか。 今までは応援団や審判がやられたと言う話しはあったんですが、今年は埼玉の予選で数名が倒れたと聴いているし、本番の甲子園では、特に先発投手が8回9回あたりで、熱中症による脱水症状で、足の痙攣に見舞われると言うシーンが数回有りました。 そのせいか、まだ少数ですが「もやは夏の甲子園は危険だ」との意見が出始め、評論家の中にも「ドーム球場での開催も考慮する時期なのかも知れない」と言い始める人が出て来たようです。甲子園のベンチは冷房が効いているとの話しを聴いたことがありますが、それでも間に合わない状況になりつつあるのかも知れないです。 まあ、「甲子園球場」と言う象徴的な場所以外での開催と言うのはかなり難しいような気もしますが、しかし、猛暑の夏は今年だけでは終わらない、これからは毎年のように続くのだ、と言うことは、みな、薄々感じているんじゃないでしょうか。 今年の甲子園で話題の出来事と言えば「某高校の選手のカット打法」が、反則打撃だと警告された件ですかね。これには世間のさまざまな反応が有りまして、「ルール上問題は無い」とか「対応する時期が遅すぎる」などと、批判する声がずいぶんありました。 私は正否を判定する立場には無いのですが、個人的に想ったのは、対戦が進むにつれ、熱中症の症状に見舞われる投手が多発したことが、審判団に決断を迫らせたのではないか、と言うことでした。 この選手の成績を調べてみると、彼一人だけで、相手投手に30球~40球も投げさせる傾向にあったようです。そうなると、たった1試合で途方も無い球数を投げてしまう恐れも有り、あの、毎日のように続いた35~40度クラスの猛暑下では、場合によっては重大な健康上の問題を起こしかねません。 しかも、カット打法を長引かせた結果、後半、相手投手が足の痙攣を起こして退場せざるを得なくなった様子を見て、カット打法を行なった選手とメンバーがベンチ内で高笑いをしている姿がカメラに映されてしまったのですね。これ非常に印象が悪かったです。(こう言うのは高校野球をスポーツニュースなどダイジェストの数分で見ている人には

夏の夜の訪問者

★不思議な現象を取り扱ったテレビ番組が好きで、今年も色々そんなのを探しては見ていたのですが、フジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」を見ていた時、「そう言えば、何年か前、変なことが有ったよなあ」と思い出したことが有りました。 *数年前ですが、実家の茶の間で、夕食も終わりテレビを見ていた時のことです。やはり同じ「奇跡体験!アンビリバボー」の心霊特集でした(現在は心霊特集は無くなりました)。 父はすでに自分の部屋に行き、母親と自分の二人が茶の間にいました。つまり母親も同様の体験をしたので、私一人の錯覚では無いと言うことが言えると想います。 その日は「心霊特集」と言うことで、心霊写真などを映していたと想います。心霊写真は、よーく見ないと分からない物があるので、画面に目を凝らしていました。 すると不意に、家の玄関のドアノブをガチャガチャと回そうとする音がしたのです。玄関は、茶の間のガラス戸と廊下を隔てすぐ向こう側になります。もちろんカギは閉まっているのでドアを開けることは出来ません。 時計を見ると夜8時を回っていました。普通ならほとんど訪問者は無い時刻です。もしや遅い宅配便だろうか、とも想ったのですが、それならチャイムを鳴らすとか、「荷物です」という声かけなど有りそうなものです。「誰だろう?」と想っていると、また、ガチャガチャ、とノブを回そうとする音がするのです。 一緒に茶の間にいた母親が、少し気味悪がって「おまえ見て来てよ」と言うので、立ち上がって玄関へと向かいました。で、とりあえず「どなたですか?」と声をかけてみたのですが、返事はありません。「おかしいな」と想い、カギを外し、そっとドアを開けてみたのですが・・ ・・そこには誰もいませんでした。 玄関から外を見て分かったのですが、門がキッチリ閉まったままの状態でした。訪問者があれば、何より先にジャバラ式の門を開け閉めする音で気づくはずなのです。特にその頃のウチの門はステンレス製で重たく、かなり大きな引きずり音がするので、気づかないはずはありません。それなのに、音を聴いた記憶が無いのです。(現在はアルミ製に変えました) 「気のせいだったのかな?」と想いましたが、ドアノブの音は二度、僕と母親の二人が同時に聴いていたので空耳では有りません。と言うことは、やはり

フレンチコネクションの高架橋

★前回、ティファニーの話しを書いたんですが、よく考えてみたら、まだワールドトレードセンターのツインタワーが健在だった頃のことなので、20年以上前のことになるんでしょうか。ずいぶん年月が過ぎてしまったんだなあ、と改めて気づかされました。で、想い出しついでに、他のエピソードも書いておこうかと想った次第です。 以前も書いたように、僕と女性二人の三人で、その頃ニューヨークで仕事をしていたM君を頼って遊びに行きました。 当時、彼のアパートは郊外のクイーンズ地区に有り(現在ロス在住)、マンハッタンまでは地下鉄に乗って行きます。 とは言っても、乗り込む駅のあたりまでは高架になっていて、下は測道になっており、それがマンハッタンの手前で地面にもぐり地下鉄になるというわけです。・・が、この高架がのちのち、我々を救う?ことになるのです。 その日はマンハッタンの港まで行って船に乗り、まず自由の女神を見物しました(M君は毎日仕事に出かけてます)。それからツインタワーの見学に行き、ついでにチケット売り場で、ブロードウェイ・ミュージカルのチケットを買ったのです。 ただ迷ったあげく「屋根の上のバイオリン弾き」を選んでしまったのは失敗でした。この芝居は日本で森柴久弥氏が演じて馴染みがあり、分かりやすいはずだ、とヘンな理屈で選んでしまったのです。ところがこれは、ミュージカルなのにセリフが多くて歌が少なく、英語がまったく理解できずに大失敗でした。 僕はもう途中で飽きてしまって、前方の席に座っていたスキンヘッドの紳士に気を取られていたのです。その紳士は、美しい女性同伴で来ていたのですが、時折り彼女に話しかける横顔が、どうにも俳優のテリー・サバラス氏に似ているような気がしてならず、「ありゃあ、刑事コジャックじゃねえか?」などと、ひとり、芝居そっちのけで観察していたのでありました。(薄暗い中でチラチラ見えるだけなので、ほぼカン違いだとは想いますが・・) 舞台終了後は、ディナーと買い物を楽しんだのですが、食事中には、「もっと歌とダンスが中心の、いかにもミュージカルってヤツにすればよかった」などと反省会?をしたのでした。 とは言え、とても楽しい夜で、三人で夜が更けるのも忘れて街をブラついてしまったのです。そして気がつくと、無防備なお上りさんが地

ティファニーで絵ハガキを

★この間、特に親しいと言うわけではないが、ある鉄道関係の仕事をしている若い人と話しをする機会が有りまして、いつの間にか、銀座の宝石店の話題になりました。 彼は結婚のため、銀座へ指輪を探しに行ったと言うのです。が、仕事が遅くなり着替えるヒマが無く、作業着のまま訪れたらしいのです。すると、それまであふれんばかりの笑顔で接客していた店員が、彼を見るなり真顔になって、「何か御用ですか?」と、ぶっきらぼうに答えたと言うのです。 彼は「何かの業者と間違われたのだろうか」と想い、「結婚指輪を探しています」と店員に告げたのですが、店員は「はあ、そうですか」と、さっきまでの笑顔も見せることも無く、たんたんと説明を始めたそうです。 それだけならまあ良いのですが、途中で顔なじみらしいマダム?が入店すると、急にまた笑顔になって、彼そっちのけでマダムの接客に行ってしまった、と言うのです。けっきょく幾つかの店で同じように扱われ、せっかく気合いを入れて来たのに、銀座なんてこんなもんかと、空しい気持ちであきらめかけたらしいのです。 ところが、幸いにも最後に入った店がとても親切で、どの客にも分けへだてなく接してくれる良い店だったので、嬉しさのあまりついつい予算より高いモノを買ってしまった・・、と言うような話しでした。 本来なら、その店名を紹介したいくらいなのですが、うっかり忘れてしまいました。検索しても心当たりのある名前は出て来ませんでした。残念・・ それはそうと、この話しを聞いて、僕はニューヨークの「ティファニー本店」のことを思い出していたのです。もうずいぶん前のことになりますが、友人のM君がニューヨークで仕事をすることになって、そのアパートを頼って、僕と女性二人の三人で遊びに行くことになりました。日数にして10日?あるいは二週間くらいだったでしょうか。どちらにしろ、滞在中にマンハッタンの地下鉄もバスも乗りこなせるようになるくらいの、そう言う日数だったと想います。 そんな何日目かに、「ティファニーに行ってみよう」と言うことになりました。もちろん貧乏人?ですから、高価な物は買えません。完璧なお上りさん気分での見物です。時間は、たぶん夕方だったのだと想います。(いまネット検索してみると、営業時間・月曜~土曜: 10:00AM-7:00PM、

お父さんどこでも振動スピーカー

★SoftBankのポイントが溜まったので(10000ポイント)「お父さんどこでも振動スピーカー」と交換してみました。 何かと言うと、これ自体は音を出さず、何かの上に置くことにより、その物体が振動してスピーカーのように音を出すという代物なのです。 オーディオマニアとしては一度は試してみたい物でしたが、買うには5000円以上して冒険だし、ポイント交換ならダメもとだから言うことで、申し込んでみました。 音はBluetoothかAUX接続で出すことが出来、電源はUSB結線の充電式です。DC OUTが付いており、場合によってはスマートフォンのバッテリーとしても使えます。USBポートを使用しない時は、お父さん犬を差し込んでフタをしておくと、まるで目をつぶって聴き入っている風情に見えて来ます。 持った感じはズシリと重たいです。足は粘着シートになっていて、これで台に密着させるようです。斜めになった部分も粘着シートでスマホをくっ付けることが出来ます。 さてその音ですが、何しろ置いた物によってまるで違う音になるので、何の上に置くかが問題です。やはり軽い物は軽い音がし、重い物は重たい音がします。(もちろんモノラルです) ですが、総じて言えることは、無垢の木かパーチクルボードのような中身の詰まった木材系の板、たとえば分厚いテーブルなどがいい音に聴こえます。中が空洞な太鼓張りだとダメですね。ギターなら大きな音がするのでは?と置いてみましたが、カンカンと耳障りな共鳴音がしてダメでした。 こんな風に置き場所によって差が大きいのですが、意外とビックリするのが重低音でしょうか。音だけでなく、ボディーソニック的効果も有るのか、ベースやバスドラが「ブルブルブル」っと響いて来て、けっこう心地よいです。ただし、乗せた物の上が散らかっていると、それらがビビリ音を出してしまうので、きれいに片付けなければなりませんが‥‥ Amazonで売られている同類の物のレビューでは、ピアノの上がスゴくいい音がする、との報告が有りました。ウチにも数年前までアップライトのピアノが有ったのですが、下取りに出してしまい試せないのが残念です。 ・・な感じで、いろいろと素材を試してみる楽しみもあるのですが、一昔前のオーディオ雑誌だったら、これを利用した色んな素材

上野公園、風の回廊(コリドー)

★ここ数日間、春先の風の強い日が続いていましたが、こういう風が吹くと、いつも聴きたくなる曲があります。 ずいぶん昔の曲ですが、山下達郎の「風の回廊(コリドー)」です。この曲は、当初「HONDAインテグラ」のCMに使われたこともあり、タツロウファンの間では(自分もそうですが)恰好のドライブソングとして愛された楽曲でもあったのです。 ◎ 歌詞「風の回廊(コリドー)」 YouTube「HONDAインテグラ・CM:風の回廊(コリドー)」 ちょっと聴いただけだと、むかし去って行った恋人への想いを歌っているように想えます。つらい別れだったが、年月を経て傷も癒え、今ではむしろ懐かしい記憶として蘇る・・ アレンジが車のテンポと合っていて、「つむじ風」も疾走する車をたとえている感じがするし、なので、もしかすると男は、車を運転しながら恋人を想い起こしているのではないか、そんな解釈も出来るのです。 ところが、よーく歌詞を読んでみると、少し違和感を感じるのです。 「 陽だまりに 髪をとかす 今でも君はそこにいる 」 この「陽だまりに 髪をとかす」と言うところが、どうも、穏やかで、落ち着き過ぎていて、快活な若い女性の描写という感じがしないのです。 むしろ僕は、自分が子供のころに見ていた祖母の姿を思い出していました。母親の実家が農家だったんですが、そこに泊まりがけで遊びに行くと、毎朝必ず、祖母が結っていた長い髪をほどき、朝日の差し込む縁側に正座してとかし始める、そんなのんびりとした姿がありました。 子供心にそれが印象に残っていて、この曲を聴いたとき、歌詞に触発されダブって見えて来たわけなのです。 そんなある日、タツロウ氏のFM番組で、「風の回廊(コリドー)」に関する意外な話しを聞きました。それよれば、この曲は「 子供のころ母親に連れられ何度も行った、風の強い上野公園の博物館の記憶である 」と言うのです。 この話しを聞いて「なるほどな」と想いました。そう言うことならば、微妙な違和感も納得が行くではありませんか。 たとえば「陽だまりに 髪をとかす」の「君」を、恋人ではなく母親に置き換えれば、あるていど年齢の行った女性の仕草だと想えるし、以後の歌詞もスッキリ意味が通って来るのです。つまりこの曲は、失恋ソ