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1「土手の上で、夢の中の約束」

★ Index 「意味のある偶然の一致 20.7~22.4」 2021年の春頃、 僕は一つの夢を見ます。ほぼ忘れかけていた人の夢と言 う、何の変哲もない出来事のはずでした。しかしそれは、その後、約一年間に渡って続く、「少し不思議な巡り合わせ」の、始まりの夢だったのです。 * ・・そこは何処かの土手で、芝生で覆われたなだらかな地面の上に、男女数人で座っています。僕の左隣りには小柄な若い女性が座っていて、まるで独り言のように話しかけて来るのです。 「あたしいま、風俗で働いてるの」 その言葉に、 僕は少なからずショックを受けていて、すぐには返事ができません。大学の学費を親に頼らず、全部バイトで稼ぐと言っていた彼女ですが、そこまでして・・とは思いませんでした。 返事が出来ず思いを巡らしていると、次に彼女はこんなことを言いました。 「歯が抜ける女の子はキライですか?」 その声に口元を見ると、あちこち抜けてしまった歯茎が見えていました。僕は愕然としながらも、それを悟られまいと明るく、 「だいじょうぶ。インプラントと言う手もあるよ」 と言いました。 僕の右隣りの女性も「そうそう、インプラント」と言ってくれて、それを聞いた僕は少し落ち着きを取り戻します。 何処か体が悪いんじゃないのか?と思ってもう一度見ると、 彼女は やはり顔色が悪いのです。おまけに 痩せていて、とにかく見すぼらしいのです。僕が覚えている 、明るく健康で弾けるような若さの彼女ではなくなっていました。 しかし・・ 「でも、だいじょうぶ、オレはずっと変わらないから」 そう言い切ってしまうと、さっきまでの動揺がウソのように晴れやかな気持ちになっていました。 ここまでに至る、彼女との出来事を思い出していたのです。美術大学で初めて言葉を交わした日・・、ローラー・スケートが共通の趣味だと分かった日・・、それから・・ 「オレはずっと変わらない」 僕の言葉が届いたのかどうか・・、 彼女はスッと立ち上がると、 「もう行かなくちゃ」と、 夕暮れ迫る土手の上を、小走りで何処かへ行って しまったのです。 ・・と、そこで目が覚めました。夢だったんです。 さらに 少しずつ意識がハッキリして来ると、その夢の中の彼女が、もうこの世にはいない人なのだと言うことも思い出していました。今からざっと37年 前、27歳 の若 さで亡くなってしまった人なので

野球選手の移籍と運について

 ★日ハムの「中田翔選手」が、日ハムで暴力事件を起こして無期限謹慎になったのに、巨人に無償トレードされたその日から、何故か無期限のはずの謹慎が解け、いきなり一軍出場可能となった件について、ちまたでは「FA使わず巨人に行きたくなったら、暴力事件を起こせばいいのか!」との批判が殺到しました。 これには一般人だけでなくて、さすがの巨人OB達も苦言を呈していましたが、今や巨人全権監督と言われる「原辰徳氏」には届かなかったようです。・・って言うか、この件だけでなく、これまでの原氏の言動などからすると、どうも「第二のナベツネ」に変貌するかも?と言う戦慄さえ感じます。 ・・が、本日したいのは、そんな話しではありません。中田翔選手が背負っているはずの「運」についてです。 スポーツ選手、勝負師とは、実力や実績だけでなく、「幸運・不運」を背負っているものだと言います。そしてそれが、野球やサッカーのようなチーム競技である場合、各選手が持っている「運」が、チーム全体の流れに大きく影響するとも言われます。 で、「中田選手、巨人へ無償トレード!」との報道を見たとき、僕には、どうにも彼のシルエットに「暗い何か」がまとわりついているように見えて、あまりいい気持ちはしませんでした。まあ、自分は占いも知らないオーラも見えない人間なので、いい加減な先入観に過ぎないのかも知れないんですがね・・ でも、見えないはずのオーラ?を感じた例があるんです。2019年に同じ巨人にFA移籍した「丸選手」です。丸選手は広島カープで三連覇を果たし、巨人に行ってもまた優勝し、当時「1人四連覇」と言われました。その時の彼は、確かに強運で光り輝いているように見えました。(2020も優勝なので1人5連覇ですね) で、出て行かれたカープはどうなったのかと言うと、丸選手以外ほとんどメンバーは変わらないのに、突如として低迷を始めました。いや、没落と言っていいかも知れません。 「ちょっと待った。丸と言う大きな戦力が抜けたのだから低迷して当たり前、運がどうのこうのって問題じゃない」と言うかも知れません。しかしですね、もうひとつこんな例があるんです。 前田健太投手、マエケンです。彼もまたFAで広島からメジャーへと出て行きました。では、突然エースが抜けた広島カープはガタガタになったんでしょうか。いいえ、それどころかマエケンが抜けたとたんカープは

ショウヘイ・オオタニとロイ・ハブス

★今や、大谷翔平選手は、歴史を塗り替える大活躍! エンゼルス以外のMLB各球団は、2017年の「ショウヘイ・オオタニ争奪戦失敗」で、今更のように地団駄を踏んでいるそうです。シアトル・マリナーズもその一つで、ジェリー・ディポトGMは、当時、大谷選手のことを「ロイ・ハブス」と呼び「全力で獲りに行く!」と豪語していたそうです。 「ロイ・ハブス」とは?。 1984年公開の傑作野球映画「ナチュラル」の主人公の名前です。演じたのは ロバート・レッドフォード。で、そのヒーローを彷彿とさせると言うことで、オオタニ獲得のプロジェクトネーム、隠語で「ロイ・ハブス」と呼んでいたと言うことでしょうか。 なるほど、ロイ・ハブスは、映画ではピッチャーでもバッターでも行ける天才野球選手との設定で、僕も一瞬?ですが、「大谷くんはロイ・ハブスみたいだな」と思ったことは有りました。ただロイは、プロ入り直前に殺人未遂事件に巻き込まれ、一度はプロ入りを断念する悲運の天才でもあったので、大谷くんと重ねるのは「う〜む?」と思ったことも確かでした。 とは言え、僕にとって「ナチュラル」は、「フィールド・オブ・ドリームス 」「プリティ・リーグ」と並ぶ三大傑作野球映画なので、公開から30年以上過ぎた今も、「ロイ・ハブス」の名が、天才野球選手を象徴する言葉として使われていることに、嬉しさを感じたりもしたのです。 日本では、何かのヒット映画と抱き合わせで購入された作品で、公開された劇場もたった二館、すぐ終了する予定だったそうです。それが「面白い」と評判になり、宣伝広告も無し、人々のクチコミだけでロングラン大ヒットとなった、異色の野球映画だったんです。僕もその二館のウチのひとつで見ました。 ただし、今の若い人にとって「クチコミ」とは、TwitterなどSNSのことだそうで、ネットもスマホも無いあの時代、「クチコミ」が人から人への噂話しのことで、「口頭によるコミュニケーション」、略して「口コミ」とは到底「ありえない!」って事らしいですね。 それくらい映画「ナチュラル」には、物語としての「パワー」があったのだと思います。ちなみに、監督は「レインマン」で数々の受賞をした、バリー・レビンソン監督。 * 「ナチュラル」序盤のあらすじ * 1950年代?。片田舎の農場に生まれ育ったロイ・ハブスは、19歳の時、老スカウトにピッチャーの才

椎名町のラーメン屋で起こった、ある結末・・

★だいぶ前のことですが、西武池袋線・椎名町駅近くのアパートに住んでいたことがありました。この駅のすぐ近くの線路沿いに、とあるラーメン屋があって、これは、その店で起こった意外な結末?のお話しです。 当時は今ほどラーメン・ブームでは無かったと思いますが、行列は出来ないまでも、スープは豚骨醤油味で?、トッピング・メニューが豊富、まあ、そこそこ美味しいラーメン屋さんでした。 店名も忘れるほど記憶があいまいですが、確かカウンター席は無く、全部テーブル席だったと思います。僕は人混みが苦手で、見知らぬ人と相席になるのが恐ろしい人間だったので、適度に空席があることに安心感を感じ、けっこう通っていました。 お店の人は、老夫婦と、息子と思しき三十前後の青年、その三名で切り盛りしていました。老夫婦二人は食堂に有りがちな白衣と帽子を身に付け、奥さんは主に配膳、ご主人は厨房で包丁を握り、片時も休まず食材の仕込みをしていました。 で、青年はと言うと、黒縁メガネをかけTシャツにジーンズ姿、ラーメンの調理を一手に引き受けていました。注文が入ると、轟音のする換気扇のスイッチを入れ、手際良くラーメンの用意。麺を茹でている間に、ガランガランと中華鍋を振ってトッピングの炒め物をするのです。 青年はいつも黙々と調理をこなしていました。そうして一品出来上がるごとに換気扇を止め次の注文を待つのですが、しばらく無いと分かると、裏口から外に出て風にあたるのが常でした。 僕はその町に数年住んでいましたが、その間、彼以外が調理をするのを一度も見ませんでした。ご主人は、いつ見ても食材の仕込みをするだけで、麺を茹でることさえしません。 その様子から、老夫婦は青年に後を継がせるつもりで、すっかり任せっきりになっているのだと思いました。 そんな三人の姿を何度見たことでしょう。当時の僕には「自炊」と言う習慣は無かったので、食事は、駅界隈のいくつかの食堂をローテーションしていました。なので、そのラーメン屋にも、一週間か二週間に一度は通っていたのだと思います。 そんなこんなの何年目かのある日、いつものようにラーメン屋を訪れていた僕は、そこで三人の意外な会話を耳にするのです。 注文したラーメンを食べ始めていた時のことでした。店がひと段落して、珍しく奥さんが厨房の中に入って行ったのです。そして換気扇が止まり静かになると、老夫婦のゆったり

Canon EFレンズ復活か?

 ★2020年も、とうとう新型コロナの恐怖の中、暮れようとしています。ウチは2018年に両親が相次いで亡くなったので、今年は二人の三回忌でもありました。 母の方は2月の下旬で、「屋形船でクラスター発生」のニュースが流れたころでした。その時は不気味に思いながらも予定通り行いました。が、父の方は10月の下旬、法事はまさに三密の宝庫?だと言うことになり、会食は中止、法要・墓参りもごく身内だけ済ませました。 そんなこんなで、「法事も遺品整理もひと段落ついたな」と言う感じだったのですが、最後にひとつ、父が大事にしていたカメラが残っていました。「Canon EOS kiss」のダブルズーム・キットです。 残念ながらこれは、オート・フォーカスながらもフィルム式で、さすがにフィルム・カメラはもう使わんなと思い、当初は下取りかオークションに出そうか?と思っていたのです。が、手に取って見ている内に、「レンズはまだ使えるんじゃないか?」ってことになり、調べてみたら、アダプターを介せばデジタル一眼にも流用可能だと言うことが分かりました。 ・・と言うことで、全部中古ですが買っちゃいました。「Canon ミラーレス一眼 EOS M100 ・レンズ EF-M15-45」。箱・説明書無しだが新品同様、とのショップのコメントを信じて購入したら、ホントに美品でした。説明書はダウンロード出来るので問題は有りません。 つぎに「Canon マウントアダプター」。写真右の輪っかみたいなやつです。これを間に挟むことにより、後ろの二つのEFレンズをMマウント・ボディに装着することが出来ます。 で、付けてみました。さすがに300mmは、・・ちょっと荷が重い感じがしますが、オートフォーカスはしっかり働いてくれてます。最新レンズよりは若干遅いかも知れないですが、通常の使い方では問題無いでしょう。 けっきょく約4万円の出費で、本体+ズームレンズ3本(15mm 〜 300mm)のシステムが出来上がりました。 右のカメラは父が所有していたEOSです。こっちの方がしっくりとは来ますね。 ・・じつはこれを買う時、僕が、店まで一緒について行ったんです。ある時、母親から、父がオート・フォーカスのカメラを近所の店で買おうとしている。まともな値段じゃもったいないから、安売りの店を教えてやってくれ、と頼まれたことがキッカケでした。 それま

天然ボケ親子の話し

 ★この間の日曜日、ドラッグストアで買い物をしたとき、面白い場面に遭遇したので書いておこうかと思います。 時間はお昼くらいでした。スト アで買い物を終え、店先に留めた自転車に荷物を詰め込んでいたときのことです。 僕のすぐ横を、若い母親と小学生くらいの女の子が通り過ぎました。手には買い物袋を下げ、「さあて、おウチに帰ってお昼食べよっか?」と女の子に言い、のんびり歩いているのです。 すると女の子は「うん」と返事をしたのですが、その後すぐ、 「あれ・・?、ママー、ウチの自転車が置いてあるよ」と言うのです。 「ええっ?、ウソー・・」 と、母親は女の子が指差した自転車を気味悪そうに眺めています。 ・・が、しばらくして、 「ホントだ、ウチの自転車だ。・・ええっ!。なんでー??」 と、驚きの声を上げました。 その声に、思わず僕も「まさか、誰かが盗んで乗り捨てて行ったのか?」と、気になって見てみると、自転車はいわゆるママチャリで、前後の買い物カゴには荷物が満載になっていました。その様子に、盗んだにしては荷物満載が妙だな、とも思っていました。 人ごとながら、いろんな場面を想定して堂々巡りをしていると、次の瞬間、お母さんはさらに大声を出して驚いたのです。 「ウッソー?!、これ、昨日から置きっぱなしだよー!!」 その瞬間、僕の頭の中で、多少不条理だと感じながらも、何が起こったのか、一応解釈することはできました。つまりこの自転車は、荷物を積んだまま、一晩ドラッグストアの店先に放置されていたことになるのです。 このお母さんは、昨日の夕方、自転車に乗って何処かのスーパーで買い物をしたのでしょう。その後、このドラッグストアに乗り付けて、ついでの買い物をして・・・ ところが、店を出るころには、自分がスーパーからの帰りであることをすっかり忘れてしまったのです。で、満載の自転車を店先に置いたまま、ドラッグストアで買った商品だけを持って、家まで帰ってしまったのです。 おそらく自宅は、歩いて行けるくらい近くなのでしょう。この日も、娘と散歩がてらと言う感じだったし・・。もし、もっと遠くて、徒歩では難しい距離だったら、自転車を忘れることは無かったのかも知れません。 しかし、それにしても・・・ 夕飯の材料を買ったのなら、それがなぜ手元に無いのか?、気づいたりしなかったんでしょうか?。・・不思議です。 その後、そ

むかし、富士の樹海で少しだけ不思議なことが・・

この話しのドライブ中に撮った写真 ★・・夏なので、少し不思議な話しでもしようかと思います。 ざっと40年ほど前になるでしょうか?。当時つき合っていた彼女と富士山へドライブに行った時のことです。紅葉のシーズンで、富士山と富士五湖周辺の山並みを見に行こうと言うことになったのです。 その周回中のことでした。トイレ休憩のため、ある休憩所(ドライブイン?)に入って車を停めたのです。すでに昼食を終え、傾きかけた日差しが赤みを帯びて来るころでした。 要を足し何気なく辺りを見渡すと、「青木ヶ原樹海・遊歩道入り口 →」と言う看板が目につきました。近くまで行って様子を見ると、道幅は自動車一台分くらい?、両側を木々に囲まれたまっすぐな砂利道でした。距離は400m〜500mくらい?あったでしょうか、道の先が明るくなっており、別のパーキングに繋がっているように見えます。 富士山には何度も訪れていましたが、「青木ヶ原散策」は未経験なので興味が湧きました。とは言え、樹海の端っこに、ほんの少し切れ込みを入れただけのような道です。それほど迫力は無いかなあ・・、などと思いながら彼女を見ると、彼女は「怖い・・」と、思いのほか嫌がっていました。 こんな遊歩道でも、「青木ヶ原樹海」と言えば「自殺の名所」と言うイメージがつきまとうんでしょうか。それでも入り口まで強引に誘い、「だいじょうぶだよ。見てみな、他に何人も歩いてるから」と言って説得しました。 遊歩道には、30mくらい?先にすでに数人が、横一列で散策をしていたのです。・・遠い記憶ではありますが、印象に残っているのは初老の男性と、若い男、そして女子高生と思しき制服姿の女の子・・ その他二人ほどいたと思うんですが、ハッキリとは思い出せません。 ふと思ったのは、制服の女の子は、初老の男と親子なのだろうか?、それとも、若い男とカップルなのだろうか?と言うことでした。 関係が気になったのは、全員が横一列で知り合いに見えたのですが、それにしては何だかまとまり無く、前を向いたまま淡々と歩いているように見えたからです。たとえば親子やカップルなら、もっと寄り添って、楽しげにお喋りなんかするんじゃないか?・・、そんな風に思ったのです。 ですが、そう思ったのも一瞬でした。散策する人々を見て、シブシブですがようやく乗り気になった彼女の気が変わらない内にと

新しい自転車「ルイガノ CITYROAM 9.0 GYOKURO」を買った

★先日、毎年恒例の年末の自転車整備をしようと、2005年購入の愛車「ラレー・マリオン・クラッシック」を逆さにひっくり返してみたところ、何と!、フレーム(骨組みパイプ)の「ダウンチューブ」と呼ばれる部分、ハンドルつけ根のあたりに亀裂が入っているのを発見しました。 最初は塗装が筋状にハゲているだけかな?と思ったんですが、ライトで光を当て、虫眼鏡でよく見てみたら、アルミ製のチューブに深く食い込んでいることがわかりました。 購入してから15年が経っているので、経年劣化と言うことは当然考えられるでしょう。それに一時僕の体重が80kgに迫っていたこともあり、それに野球用具一式(だいたい5kg)が加わるので、ずいぶん車体に負担がかかっていたのかも知れません。 もちろん普段乗っていて不具合や不安を感じたことは無かったし、手で押したくらいではビクともしないのですが、この先、路上の凹凸などで強い衝撃を受け突然バラバラ!なんてことも無いとは言えません。 実際、何年か前ですが、下りの山道を高速で走るサイクリング車のフレームがいきなり折れて激しく転倒、乗っていた人が道路に叩きつけられ死亡する、と言うニュースを見たことがあります。 そんなことを思い出しながら、「さて、どうしたもんだろう」と迷っていました。この自転車にはとても愛着があったからです。 アルミ溶接で補強できないだろうか?とか、溶接よりも強い接着剤があると聞き、それで亀裂を塞いでみようか?・・、とか、いろいろ考えました。が、購入してからざっと15年にもなるし、修理の金額や安全面を考えると、もうそろそろ新しく買い換えてもいいんじゃないかって結論に達しまして、ネットで探し始めたわけなのです。 で、探し当てたのが「ルイガノCITYROAM 9.0 DYOKURO」でした。レトロ調の色合いがいい感じで気に入りました。街乗り用クロスバイクなのでハイスペックでは無いですが、ギリギリ「スポーツ自転車」と呼べるレベルじゃないでしょうか? ショップは「ヨドバシカメラ吉祥寺店」です。店舗で受け取りができると言うので、とりあえずネットで予約して、翌日バスと電車を乗り継いで行きました。 できれば同じラレー製のクロスバイクが良かったのですが、同じような条件のラレーは、15年前の二倍くらいの値段になっていて諦めた

AI・美空ひばりさん紅白出場決定!

★今年(2019)のNHK紅白歌合戦に、AI技術で音声を合成された「美空ひばりさん」が復活出場するそうです。 この制作過程は9月に NHKスペシャルのドキュメンタリーとして放送されたし、つい先日もNHKの音楽番組「うたコン」でも披露されたので、聴いた人も多いはず。僕も実際に聴かせてもらいまして、その再現技術の素晴らしさに「とうとうここまで来たのだなあ・・」と言う感慨を覚えました。 ただあえて言うなら、美空ひばりさん独特の高音部のシャウト(こぶし?)が見られず、柔らかい歌い方に終始していたのが少し物足りなかった。曲調が穏やかなバラードだったのでそうなったのか、シャウトがまだうまく再現できず楽曲の方を操作したのか?は、残念ながら不明でした。 とは言え「新しい時代が来た」と言うことだけはハッキリしました。「うたコン」では音声のみで、ひばりさんに見立てたドレス人形を若手歌手たちが囲む、と言う演出でしたが、紅白ではどんな風になるのか?。「初音ミク」のようにバーチャル映像付きで登場させたら、これは面白いことになると思うんですが・・? そう言えば、「AI美空ひばり」の技術は、「初音ミク」と同じYAMAHAが開発した音声合成システム「VOCALOID(ボーカロイド)」を応用して作られたのだそうです。初音ミクの時は、「へー」とは思ったけど、声はやっぱりロボット臭くて、まだまだかな言う感じでした。ですが「AI美空ひばり」では、ほぼ人間の肉声だったんです。スゴイなと思いました。ついにここまで来たのかと・・ 同時に、「YAMAHA」と言う企業に改めて感心しました。僕らは普段、あまりこの会社を気に留めていない気がするんです。「TOYOTA」は今年世界何位になったとか、「SONY」の復活は何処まで来たのか?とか、報道でもそっちの方が重要視されている感じです。 ですが、「YAMAHA」の方がスゴくないですか?。ふと思いついただけでも「楽器」「オーディオ」「オートバイ」、その他スポーツ用品など、気がつけば、広範囲に渡ってヒット商品を世に送り出しているんです。 かつて、あらゆる音楽、バンドのキーボードとして世界中を席巻した、デジタル・シンセサイザー「DX-7」なんてのも記憶に焼きついているし、「ショパン国際ピアノ・コンクール」では、これはピアニストのコンクールであると同時

砧公園の怪

★最近「怪談」とか「怪談師」と言うのが静かなブームのようです。もちろん、かの稲川淳二氏が元祖なんですが、検索してみると、アマチュアからプロまで、YouTubeなどネット配信を中心にけっこうな数の自称怪談師がいて、いろんな怪異話しがアップされています。 どうもTVでは「コンプライアンス」とかの問題で、「霊なんて有りもしないモノをむやみに放送するな!」「霊感商法を助長させている!」ってことになり、その分、たくさんの怪談話がYouTubeに流れて行ったみたいです。 その中のひとつで「砧公園の怪談」と言うのがありました。夜暗くなってから公園でジョギングなどをしていると、不気味な「謎の女」に遭遇すると言うのです(夜の公園を走るなんて、日本はやはり治安がいいんですな)。 「へえ」と思ってなお検索してみたら、人目につかない場所でそこそこ自殺や事件も起こっているらしいとの記述も見つかりました。広くて木々が深い公園なので、まあそんなことも有るのかもしれません。 そんな「砧公園」ですが、僕らは何度も草野球で訪れていて馴染みがありました。広くて緑が豊かで世田谷美術館も有って、スポーツ少年や親子連れが楽しんでいる、そんな明るい公園のイメージしか無かったので、「砧公園の怪談」と聞いたとき、「まさか・・」と、ちょっと違和感は感じました。 でも、その反面、「そう言えば・・、一回だけ変なことが有ったな」と、思い出したことがあったのです。 それは草野球が終わった後の更衣室での出来事でした。砧公園の更衣室は野球場からはけっこう遠い場所にあり、しかも帰り道とは逆方向になるので、使用せずに木陰で着替えてしまう人も多いのです。が、僕の場合、片付けが苦手なたちで、着替えたモノをあちこち散らかしてしまうと言う欠点があり、地面に撒き散らすわけにも行かないので、毎回室内を利用させていただいてました。 そんなある日のこと・・・ 野球場からは遠いのですが、テニスとかサッカーとか他の利用者もいるので、まあ誰かしら数名が来ているのが常でした。ところがその日は、珍しく一人もいませんでした。また管理所とは別棟で離れているので人は常駐していません。なので利用者がいなければ無人になるのです。 「オレ一人か・・」と思いながらも、同じチームに必ず更衣室を利用するT君がいたので、「そのウチ彼もやって来るだろう」と、シャ

「ほんとにあった怖い話」は、ホントに放送される?

★じつは、一部ホラーファンの間で大きな話題になっていたことがあります。「ほんとにあった怖い話2019」のことです。この番組が、ついに10月放送決定となったんです。 ◎ フジテレビ「ほんとにあった怖い話」 何がそんなに話題なのかと言うと、例の「ジャニーズ事務所の圧力問題」です。元SMAPの3人が次々にテレビを降ろされ、ついにレギュラーゼロとなっている現状から、稲垣吾郎クンがMCの「ほんとにあった怖い話」も、放送中止に追い込まれるのではないか?との憶測が流れていたのです。 本来なら毎年8月初旬にはホームページが更新され、夏休みを狙って放送されていたはずですが、今年2019年は、8月下旬になってもサイトが更新される気配無く、9月1日になってようやく放送日だけ発表されました。が、番組内容は昨年2018年のままで(9月4日現在)、タイトルもキャスティングも不明のまま・・。ドラマ自体はちゃんと撮影済みなのだろうか?と疑いたくなるようなていたらくなのです。 春・秋の特番は「世にも奇妙な物語」、夏休みは「ほんとにあった怖い話」が定番で、どちらも固定ファンがいて一定の数字が取れる番組なのに、こんな形で秋までずれ込むと言うことは、やはり「何かが有った?」と疑われても仕方ないでしょうね。 しかも今年は「ほん怖20周年記念」・・。「ジャパニーズ・ホラー」の先駆者的番組なんですから、これが「ジャニーズの圧力」で番組終了なんてことになっていたら、ホントに、情けない話しだと思います。もし7月に、公正取引委員会が独占禁止法違反の恐れありと、ジャニーズ事務所に注意喚起をしていなかったら?、ホントに、このままお蔵入りになっていた可能性もあるんじゃないですか?。 『ほんとにあった怖い話』はその功績を認められ、「アジアン・テレビジョン・アワード2004」でドキュメンタリー・ドラマ部門最優秀賞を受賞しているのです。 世界を席巻した「クール・ジャパン」、その一端を担っている「ジャパニーズ・ホラー」、これを同胞のはずの日本の権力が潰しにかかる・・、そんな了見の小さい、愚かなことが有ってはならないんです。 ・・まあ、僕もホラーファンの一人として、とりあえずは「放送日決定」の知らせにホッと胸を撫で下ろ しているところ、・・ではあるのですがね。 (正確には『ホラーファン』ではなく『不思

母親が亡くなる時に起こった不思議な出来事

★今年もお盆の時期がやって来ました。じつは2018年は、母が2月、父が10月にと相次いで亡くなりまして、その二人分の後始末?に追われ、長い間ブログをお休みしていたのです。で、ようやくメドがついて来まして、再開することになったのですが、やっぱり最初は「この話題」かな・・と思った次第なのです。 2018年の2月初めでしたか、夕食後、母親と世間話しをしている最中、妙なことを言い始めたのです。・・それは以下のような言葉でした。 「あとはお前の好きなようにやっていいから。自分のやりたいように生きていけ」 記憶にある限り、人生訓だとか、改まったモノの言い方を聞いたことが無かったので、ビックリして、返事も出来ず、まじまじと母親の顔を見てしまいました。・・そして、その十日後ぐらいだったと思います。突然、母が僕の目の前で倒れたのです。 1分前まで、ごく普通に話しをしていたその姿のまま、突然胸を押さえたかと思うと、僕の目の前で意識を失ったのです。大急ぎで救急車を呼び、日赤病院に運び込んだのですが、その時にはすでに息絶えていました。担当の医師によれば、「倒れた時点で、ほぼ即死の状態だった」とのことでした。 母親の死因は「急性大動脈解離」。確か、アンパンマンで声優をしている女性が、首都高速で運転中に突然亡くなったと言う、あの死因も同じ、大動脈解離だったと記憶しています。 当初は、「体調も普通だったし、思いもしなかったなあ・・」 と呆然としていたのですが、しばらくしてから、あの夕食の後の妙な「人生訓?」を思い出し、もしかしたらあれが「虫の知らせ」と言うヤツだったのだろうか、と言う気がして来たのです。 で、通夜だの葬儀だのの合間に、集まった親戚と話しを聞いているうちに、僕以外にも、いろいろ「予兆」を感じた人がいたようだ・・、と思い知らされたのです。 * 従兄弟の嫁さんから聞いた話し 「今にして思えば・・」とはよく聞く話しですが、最初に話しをしてくれたのは、従兄弟の嫁さんでした。彼女によれば、母が亡くなる数日前に会った時、「妙な違和感」を感じた、と言うのですが・・・ 従兄弟夫婦はウチのすぐ近くに住んでいて、その嫁さんは母を慕い、時々訪れては長々とお喋りをする「茶飲み友達」だったのです。そうして帰るときはいつも、母親が玄関から見送るのが常でした。 が、その日に限っては違っていました。何を思ったのか

夏の甲子園100回大会で思い出したこと

★個人的な理由で半年ちょっと更新ありあせんでしたが、そろそろまた書こうかなと言う気持ちになってきました。そんなおり、「夏の甲子園100回大会」とのことで、あちこちのテレビで「甲子園特集」を放送しているのを見まして、「そう言えば自分にも、今もなお記憶に残る夏の甲子園があったな」とブログに書いたことを思い出しました。 「夏の第55回大会」のことです。あの「怪物・江川卓」が最後に出場した甲子園での出来事‥‥。あのとき僕はと言えば、友人4人と伊豆大島の砂の浜海岸でキャンプをしていたのです。 今回は更新の代わりにその記事を「再リンク」することにしました。時間があったら下記のリンクから読んでみてください。 ↓ GOB-MESSAEGE ◎ あの夏の日、怪物くんが・・ ★今年の甲子園は面白かったです。夢中になりました。 幸い?昼間にテレビを見れる環境にいたのですが、 高校野球はあまり興味が.・・   

アウトドア用?それとも災害用?

★昔からアウトドア用品に興味があり、ちょくちょく検索していたところ、コンパクトな折りたたみ式コンロを見つけました。 組み立ててイワタニのガス缶をつければ簡単に使えます。ボンベがコンビニでも買えるので便利かもな、と思って見ていたら、購入者のレビューには「災害用に購入」と言うのがとても多くてビックリでした。 「なるほど、そう言う時代なのかもな」と思うと同時に、僕も本格登山用コンロを持ってますが、確かにいざと言うとき登山用ガスボンベは近所の店では手に入りにくい、と思い至り、自分もひとつ買っておこうと言う気になりました。 届いた物は本格的なヤツよりやや重いですが、思いのほかコンパクトで良かったです。着火はワンタッチでライターいらずです。 コンロを買ったついでに、アウトドア用鍋(クッカー)も購入しました。 これは「ドッペルギャンガー」と言うメーカーの「ラーメン、コーヒー、そして俺(クッカー&パーコレーター・ミルセット)」と言う、何とも面倒な名前のモノなんです。 が、そのネーミング通り、ラーメン調理を主に、ミルで挽いたコーヒー豆をパーコレータに入れて鍋の中で煮出し、レギュラーコーヒーが楽しめると言うのが売りなのです。 ラーメン用にはちょっと底が深過ぎですが、吹きこぼれを防げるのと、カップ麺なら二杯分のお湯が沸かせるなど、いろいろ兼用できると言う点では良いと思います。 (半分をカップ麺に、残った半分でコーヒーを入れることも可能です)。アルミに特殊なコーティングをしてあるとかで、持った感じは軽いです。 あとついでに、「ダイソー」でアウトドア用カップとコッフェル二種類、それとスプーンとフォークを買いました。全部ステンレス製で、もちろんそれぞれ100円、消費税込みの合計540円です。 最初は「どうかなあ?」と迷いましたが、意外とよく出来ていますよ。まあ最近の登山ではチタン製が当たり前なので、人気薄のステンレス製は想像以上に安く売れるのかも知れません。スプーン・フォークも折りたたみ式で、組み立てるとガタつきなど無く、立派なモンです。 ・・とまあ、そんなワケで、アウトドア・クッキング用品一式が、・・否!「緊急災害用炊き出し用品一式」が無事そろったと言うことになります。あとはインスタント・ラーメンとコーヒー豆を備蓄しておくことにしますか・・ ただし、何事も無く世の中が進んで行ってくれたらそれ

年賀状のホントの意味

 ★今年もまた年賀状の用意をする季節となりました。最近はLINEだのメールだのがあるので、わざわざ紙のハガキに書いて出す、なんて面倒がる人も多いようです。かく言う僕も、友人知人からは、どちらかと言えば「あまり年賀状を出さない人間」として見られているかも知れません。 しかしですね、じつは、自分にはある信念?のようなモノがあって、そうなっているのです。「年賀状とは、遠く離れた友人どうしが、年に一度手紙を出し、互いの消息を確かめ合う」これが、年賀状の始まりなのだそうなのです。僕はこの本来の役割のために年賀状を出したいと思っているのです。 なかなか会う機会も無くなった古い友人同士が、一枚のハガキを頼りに互いの消息を確かめ合い、新しい年の健康を祈る、それが年賀状の本来の役割りなんです。 ところが現状はどうでしょう。いつでも(ひょっとしたら毎日?)顔を会わせる人ばかりが年賀状をやり取りし、遠く離れた人に対しては、「会わなくなってもう三年になるから、そろそろ出さなくてもいいかなあ」などと、フェードアウトで知らんぷり、ってのが実情ではないでしょうか。 へそ曲がりの僕はこれに反発したかったのです。現在進行中の友人知人よりも、むしろ離れて縁遠くなった人にこそ年賀状を出そう!。そんな「年賀状本来の使用法」に則って行動したかったのです。 しかしながら、これはウマく行きませんでした。親しい人からは筆不精だと思われ、縁遠くなった人からは「忘れたころに突如舞い込んだ年賀状」に戸惑ったような返信が届いたり・・。そのビックリしたようなコメントを読み、何か迷惑をかけたような心境になって、次からはつい遠慮してしまうのです。 現代社会においては、年賀状本来の姿を復活させることは困難なのだと言うことを思い知らされました。で、結果として僕は、はたから見れば「あまり年賀状を出さない人間」になってしまったのです。 もともと僕は「絵描き」の端くれなのですが、そういう芸術家気質の人間のやることは、なかなか世の中に受け入れられないモノではありますね。僕の場合「物事の原初を大事にする」と言う信念、気質がありまして、それが行動の根本になっていることが多いのです。 この間テレビで、ラグビー日本代表監督として大躍進させた「エディ・ジョーンズ氏」が、大勢のラグビー関係者の前で講義をしている場面に出くわしました。そこに出席していた

お◯さんの呪い?

★今年も夏になりましたので、また一つ「怖い話し(不思議な話し?)」でもしておきましょうか。今回は定番中の定番、「四谷怪談・お岩さん」にまつわるお話しです。 このブログでも何回か書きましたが、僕はかつて四十数年前の中学時代、何人かの友人たちと「心霊研究会」みたいなことをやってました。なのでいわゆるテレビの「心霊特集番組」はまず間違いなく見ていました。これは、そんな中学時代の夏休みの出来事です。 その日の夜、テレビで「納涼・心霊特集(正確なタイトルは覚えてません)」をやると言うので、心霊仲間のひとりが「一緒に見よう」と僕の家を訪れていました。 その時代の心霊番組は今と違って平凡というか古典的というか、「よーく目を凝らしたらそう見えなくもない?」程度の心霊写真がやっとで、あとは定番の怪談話しで締めくくる、なんてのがほとんどでした。その番組でも、怪しげな心霊写真数枚と芸能人が体験した霊現象の話し、そして「四谷怪談」にまつわる祟りの伝説について放送していました。 昔から、映画とか歌舞伎などで演じる時には、出演者は必ず「お岩稲荷」にお参りをして祈願をしないと、急病人が出たり事故で怪我人が続出するなど、お岩さんの祟りに遭うという、あの怖い言い伝えです。そんな芸能界での「祟りの実例」を見ながら、なぜか腹が立って来まして、つい憎々しげに友人に言ってしまったのです。 「お岩さんて、死んでからもう何百年も経ってるんだろ?。なのに未だに成仏できず、関係ない人に祟りまくるって、どうしようも無いヤツだな」(あっ!、今は全然こんなこと思ってませんから。まったく思ってません、‥‥念のため) 僕のその言葉に友人は少し苦笑しただけで、特に感想らしきことは言いませんでした。なので、たぶんその友人には何も起こらなかったと思います。 友人が帰宅したあと僕は風呂に入って汗を流し、そのまま寝ることにしました。その頃は育ち盛り?ですぐ眠くなるたちでした。たぶん10時ごろには寝床に入っていたと思います。・・・そして間も無く異変が起きるのです。 眠気でウトウトし始めたときのことでした。突然「ガラガラガラガラッ!!」という、とてつもなく大きな音で目を覚ましたのです。僕はビックリして跳ね起き、網戸を開けて外の様子をうかがいました。雷だと思ったのです。 ・・ですが、外は何事も無い静かな夏の夜でした。「変だな」と思い、もしか

今ごろ?、広島カープ25年ぶりリーグ優勝のお話し?!

★これは、昨年25年ぶりに優勝した広島カープのお話しです。 2016年7月終了時、二位・巨人に10ゲーム以上の差を広げた広島カープでしたが、8月に入って突如失速、連敗が続き、どんどんゲーム差が縮まって危うい状況となりました。すると巨人ファンがにわかにザワメキ始めたのです。「リメイクドラマの始まりだ!」と・・・ スポーツ・メディアも「1996年のメイクドラマも同じオリンピックの年だった」などと、ゲーム差やチーム状態など、どれだけ酷似しているかを盛んに調べ、流し始めたのです。 もちろんカープファンの僕の心中は穏やかではありませんでしたよ。ハラハラドキドキです。・・でもですね、そう思いながらも反面、「これは一週間の我慢だ。一週間たてば元通りの快進撃が始まるはず」と言う確信めいたものがあったんです。と言うのも、僕には失速が起こった理由がほぼ分かっていたからなのです。 2016年8月3日に行われたヤクルト戦で、空振りしたバレンティン選手のバットが、広島のキャッチャー石原の頭部を直撃、脳震とうを起こして倒れたまま担架で運ばれました。このアクシデントで司令塔・石原を失った広島カープは、正にこの日この瞬間から失速を始めたんです。 現在のプロ野球では、頭部直撃の負傷をした選手は、後遺症が残らぬよう治療及び経過観察のため、「一週間の出場停止」が義務づけられています。つまり僕が「一週間の我慢だ」と言ったは、この出場停止の「一週間」のことだったんです。 この間、代役としてマスクを被ったのは「會澤捕手」でした。カープ期待の若手で、打撃センス・パンチ力が素晴らしく、ファンの間では巨人・阿部のような「打てるキャッチャー」になるのではないか?と密かに期待された選手でした。 しかしそのリードはスポーツニュースで野村克也氏に酷評されます。特に巨人との直接対決で、阿部選手に浴びた逆転の本塁打などは、「何を考えているのか意味がわからん!。ピンチで長打の阿部、アウトコースで逃げまくるしか無いだろ。なんでインコース勝負なのか?!」と、散々でした。 それを聞いた僕は、「やっぱり會澤じゃダメなのかなあ」と、ちょっと辛い気持ちになりましたが、とは言え、これで石原と會澤のリード能力の差はハッキリとしました。4.5ゲーム差まで迫られた窮地を脱するには、會澤には悪いが、やはりキャッチャー石原の復活に期待するしかないのです

iPhone7plusに買いかえた

★これまで使い続けて来た「iPhone5」ですが、老眼の進行により、とにかく文字が見えにくくなりまして、ついに画面サイズ5.5インチの「iPhone7plus」にかえることにしたのです。 結果、使い勝手すこぶる良好となりました。非常に見やすいですね。これならメールやLINEだけでなく、電子書籍も楽しめそうです。本は何冊かダウンロード購入していたのですが、iPhone5ではとてもじゃないが読む気になれませんでした。あと、漫画も何とかいけそうですね。 上の写真、右の小さいのは「iPhone5」です。下取り機種交換にすれば多少支払いが安くなるのですが、自転車用のナビには大きさがちょうどいいので、iPhone7plusをルータ代わりにして、デザリングでつないでナビとして使用することにしました。 今年は、iPhone発売10周年記念で、記念モデルが出るのでは?との噂もあるし、使用中だった「iPhone5」も、整備品(中古をオーバーホールして発売した製品)の割にはバッテリー状態がよく、まだ使えそうだったのですが、まあ、この辺が潮時かな?と言うことで、思い切って注文してみました。 それと、アメリカがトランプ大統領になったことでアップル社にも圧力がかけられ、「iPhoneをパーツから何から全部アメリカ国内で作れ!」って言い出したと聞き、もし本当にそうなったら、価格とかどうなるだろ?と、すこしだけ心配になった?ってことも有ります。たぶん価格は大幅に上がるだろうし、性能の安定性も失われるかも知れません。 まあ、トランプさんの暴君ぶりには、毎日のように世界中の人々が驚かされてますが、いったいこれから先どうなるんでしょう。 ・・と思っていたら、「イスラム圏7カ国からの入国を禁止」との大統領令に対し、米国各州の司法長官が違憲であると表明し、ついに裁判所が「一時的に効力を停止」との裁定を下しました。 このニュースを聞いて震えませんでしたか?。僕は震えましたね。さすが自由の国、「腐ってもアメリカ」。僕の好きなベースボールが生まれたその国では、法の番人は決して権力に屈しなかったと言うわけです。その姿を見せつけられ感動すら覚えましたよ。 これにはトランプ大統領、まあ怒ってましたけどね。「テロからアメリカを守るための大統領令だぞ。どこが悪い!」ですが、この発言に反感を持った市民からは、「憲法の勝利だ!

モノノケにさらわれる子供の話し

★こう見えて?私は、すごく子ども好きでして、しかも感情移入が激しい方なので、子供が行方不明になったとか、虐待を受けたとか、そんなニュースを聞くと、他人事なのにいても立ってもいられなくなるタチなのです。 ついこないだも、大分県で2歳の女の子が、ホンのわずかな間に行方不明になったと言う報道がありましたが、「うそだろ・・」と落ち込んでいたら、一夜明けて、無事見つかったというニュースがあり、もうホッとして、しみじみ「よかったなあ・・」などと、独り言などつぶやいていたのです。 ただ、見つかったのはずいぶん山の中みたいで、「とても2歳の女児が登ったとは思えない。なんでこんな場所まで来てしまったのか不思議です」と、取材に行った人も言っていました。そのレポートを聞きながら、テレビに映し出された風景を見ているうち、いつもの妄想が始まってしまったんですよね。 「あんな所まで行くなんて・・。ひょっとしたら山のモノノケの仕業かなあ・・?」なんてね。 しかしながらこれには、ただの妄想好きのオッサンのたわ言、とばかりは言えない理由があるのです。と言うのも、ウチの母が幼いころ、たびたび得体の知れないモノが現れては連れて行かれそうになった、みたいな体験を持っていて、ついついその話しを思い出してしまうのです。たとえば、人の姿をしているのに獣のように動くモノだとか、奇妙な身のこなしで行進する提灯行列だとか、そう言った具合です。 母は昭和初期に生まれ、秋田の山深い農村で育ったのですが、正直だけで生きて来たような時代の人ですから、そんな「日本昔話」みたいな話しでもつい信じてみたくなるのです。父と結婚して東京に出て来てからも、「だれそれが怪我をする夢を見た」と言っては電話をし、実際にその通りになっていたとか、近所の奥さんと買い物に行って一緒にUFOを目撃するなど、まあ「プチ超常現象」を体験するタチの人間であることには間違いないのですが・・ ただ、母は人並み以上に臆病な性格で、モノノケを見た時でも、いつも好奇心より臆病が勝ってしまい、絶対に後を追いかけて行くことは無かったと言うのです。「あの時もし付いて行ってたら、どうなっていたか分からない」と口癖のように語り、実際にひどい目に有った子供もいたと言う話しも聞かされました。 たとえば沼や肥溜めに引きずり込まれたり、それこそ行方不明になって村中で大騒ぎになったり。