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ウルトラマン・科学特捜隊の「流星ピンバッジ」

★楽天で、期間限定の500ポイントをもらいまして、そのまま期限切れで消えてしまうのも惜しいし、かと言って、ちょっと中途半端な数だし・・と考えて、これが有ったのを思い出しました。 「科学特捜隊・流星ピンバッジ」。900円なので、ポイントにちょっと足せば、ちょうどいい値段で買えます。 「初代ウルトラマン」に登場する科学特捜隊が胸に付けていて、ドラマの設定では、アンテナを伸ばせば、メンバーどうし無線通信が可能なのです。 小学生の目にはとにかくカッコ良く見えて憧れました。厚紙に絵を描いて切り抜き、胸に付けて遊んだりしたのですが、アンテナの伸び縮みだけは再現できず、余計に思いはつのりました。 ウルトラマン・科学特捜隊の「流星ピンバッジ」いま手にしても楽しいですが、あの頃にこれが有ったなら、どんなに嬉しかっただろうかと思います。 ・・そう言えば、ウルトラマンの最終回は衝撃的でした。中学1年になって、夕方の時間帯に再放送が行われると、ビデオの無いあの時代、どうしても最終回が見たくて、野球部の友人二人と練習をサボって大急ぎで帰宅したものです。そんなことも思い出しました。 バッジの裏はこんな感じになっています。洋服に刺して、生地の裏から止めるようになっています。 使い道としては、ネクタイピンにしようかなんて考えています。これまではだいたい、クーパースタウンで購入した「ベースボールバッジ」を刺してましたが、これも中々面白いと思います。(でもやはり左胸に刺さないとダメだろうか?) ふと思いついて、「ユザワヤ」で買っておいた100円のケースに入れてみました。小さなアート作品を入れるつもりの箱でしたが、こんな感じで保存するのも中々イケる気がしました。 ◎【楽天市場】ウルトラマンショップ SHOT M78  

「一本の音楽」残し、村田和人さん逝く

 ★訃報です。先日、ミュージシャンの村田和人さんが亡くなったそうです。 ◎村田和人オフィシャルブログ 代表曲、マクセルのCMソング「一本の音楽」がヒットしたのは1983年だったようです。もちろん僕もアルバムを買いました。当時所有していた「セリカXX」を海辺で走らせ、この曲をかけると、何とも言えぬ心地よい疾走感を味わえたもんです。とは言え、湘南方面は渋滞するので、主に房総半島でしたが・・ 当初、曲のタイトルには少し違和感がありました。「一曲の音楽」でもなく「一本の道」でもなく、なぜ「一本の音楽」なんだろう?と言う、あのタイトルの謎です。それが、その後、数年が過ぎてからが少し分かって来たんです。 それは8月の炎天下、インラインスケートで、100km越えの長距離滑走の旅をはじめた時のことでした。真っ直ぐな道が風景の中に消えて行くその消失点を見たときに、「なるほど!」と思ったんです。「確かにこれは ”一本の音楽” だ!」と・・ まるでロードムービーのBGMのように、地平線に消えていく道の果てから、音楽が聞こえて来るような気がしたのです。(分かりますかね、この感じ・・) ただし、単純に ”一本のカセットテープ” を ”音楽” と言いかえた、との説もありますが?。それと「一本の道」と思ったのは、荒野の果てしない道を映し出すCM映像のせいだったのかも知れません。 ◎「マクセルCM 一本の音楽」YouTubeより 「夏に似合う曲」を好んで歌った、村田さんをはじめとする彼ら「夏男ミュージシャンたち」は、80年代の「リゾート・ブーム」に乗って、ずっとヒットを飛ばし続けるものと思っていました。しかし、やがてバブル崩壊・・ 夏は一瞬のうちに終わりを告げるのです。そして次第に、村田さんはメイン・ステージから遠ざかって行きました。 そうして先日、思いがけない村田和人氏の訃報を聞いたのです。そのニュース記事に書かれた経歴や、発表したアルバム歴などを読んでみると、あれからずっと、彼は終わらない夏の中で歌い続けていたのだと分かりました。それは信念だったのか、それとも見果てぬ夢だったのか、もはや分かりませんが・・ 「一本の音楽」の次に好きな曲があります。「Summer Dream」と言います。車を止め、打ち寄せる波を見ながら、砂浜にたたずんで聴くには最高のバラードでした。「一本の音楽」が夏の始まりだと

安倍政権のニッポン中国化計画!?

*「高市総務大臣が政治的公平性を欠く放送を繰り返した局へ電波の停止を命じる」 数日前、この国会発言で波紋を呼びました。その後、イクメン議員の不倫発覚とか、丸川環境相の被ばく線量根拠無し発言などで、影が薄くなってしまいましたが、これ、僕なんかにしてみれば、まったくもってビックリ仰天発言で、空いた口が塞がらなかったんですぜ。 中国では、政府に不利な放送があると、強制放送停止、いわゆる「ブラックアウト」を行いますが、まあ、これと大差無い発想ですよね。なので、個人的にはこれを「ニッポン中国化計画?」と呼ぶことにしました。 高市さんはかつて、田原総一朗の「朝まで生テレビ」の常連の論客で、キレの有る発言には一目をおいていたのですが、このところの高市さんは何がどうなっちゃたのか、どうにも、何かに取り憑かれたかのような発言・行動が続きます。 まあ、総務大臣なので「総務省の方針」と言うことなのかも知れませんが、それもちょっと信じがたい気がしました。 僕は以前、イラストの仕事で総務省に出入りしたことが有りまして、公報用などのカットの依頼で、デザイン事務所の方と何度か打ち合わせに訪れたのです。その時の総務省で会った人たちは、みんな腰の低いとても感じのいい方ばかりで、過激な発想とは無縁と思えましたが、まあ、どんどんエラくなって、身分が高くなると違っちゃうのかなあ?なんて思った次第です。 総務省でもなければ、アベ総理の発想と言うことになりますが、国会中継を見ていたら、見解を求められたアベ総理は「これはあくまで総務大臣の発言であり、私が答えるべき問題ではない」と、「自分とは無関係」を押し通していましたけどね。 そもそもこれは、ニュース23で「膳場キャスター&岸井アンカー」による、安保法案に対しての偏向報道があった、と言うことが主たる原因の、報復措置と見られています。(この二人は、とうとう降板のようですな) が、もし「報道の公平性」を主張するなら、まず最初にフジサンケイ・グループの「政権寄り報道」を規制しなければウソだと思うんですよね。それからアベ総理のヨイショ番組を放送した日テレの「ミヤネ屋」とかも。僕らはニガニガしく思いながらも、「これはこれで有っていいだろう」と、広〜い心で容認して来たんです。 むしろ、そういう政権に偏った放送局があるから、バランスを取るために批判的な局も必要になる、それが

雪の降る日に、東京で・・

★先日は東京でも雪が降りまして、交通の大混乱が起きました。この様子について「雪が降っただけで大騒ぎする東京都民は学習しろ!青森県民がマジギレ」という記事がありました。 「あのねぇ・・、東京の人は雪が降っただけで大騒ぎするけど、青森とか東北の人からしたらね、雪は“降る”もんじゃなくて“降り続ける”もんなの!。1日降ったぐらいでギャーギャー騒ぐな!」 「今日ぐらいの雪なんて青森じゃ11月にはフツーに降ってることが多いから、コケたりする人が多くて逆に笑っちゃうわ(笑)。ちゃんと滑り止めのブーツはけよってね」 「もし青森に東京都民が一斉に移住したら冬で絶滅しちゃうでしょ!。熱帯魚じゃないんだからもう少し勉強した方がいいよ。量は変わるけど毎年降ってるんでしょ?。学習したら?」 どうもツイートのコメントのようですが、こんな感じだそうです。気持ちは分かりますが、けっこうなカン違いがあるんですよね。 じつは、東京都民の70%は東京の人間じゃないんです。 ほとんど他府県からやって来た人々なんですよ。で、さらにその内の半分以上は東北、雪国出身の人なわけです。なので青森県民が「マジギレ」した相手は、確率的には東京の人間じゃない可能性が高い、それどころか同じ雪国出身の可能性だってある?ってことなんです。(もう少し勉強した方がいいよ?) たとえば、東京の職場や草野球チーム?など何でもいいんですが、10人くらい集まったグループで、試しに一人一人出身地を尋ねてみてください。その割合は、だいたい「東京3・地方7」くらいになるはずです。 ちなみに僕の両親も秋田県の豪雪地帯の出身で、親戚もほとんどが秋田出身者です。でも東京に住み着いて数十年が過ぎますとね、いつの間にか東京の季節感を学習し、それが普通になってしまうものなんですよ。 で、なまじ「雪国出身」という自負があるので、「このくらいの雪、何でもない」と出かけ、途中で立ち往生してしてしまうなんて事がよく有るんです。(両親は「雪質が全然違うから」と言いわけしてますが・・) それから、雪以外でも、別の件でも似たようなカン違いの話しがあります。 大阪人は東京に対してものすごくライバル意識があって、事あるごとに 「東京の人間は冷たい。ツンとして愛想が無くてキザな感じ」なんて批判するのをよく見かけます。ですが、あれも、彼らが言う「冷たい人たち」って、たいていは

ドーハならぬ「ドームの悲劇?!」プレミア12・侍ジャパン敗退!

★プレミア12が終わりました。今回のシリーズのハイライトは何と言っても、決勝トーナメントの韓国戦だったでしょう。かつてサッカーW杯の予選では「ドーハの悲劇」なんてのがありましたが、今度のは「ドームの悲劇」とでも言うんでしょうか。 とにかくもう大騒ぎで、「抗議殺到、急浮上する侍J小久保監督の去就問題」なんだそうですよ。「継投策の大失敗」だの「ヘボ監督」だの大変なことになってます。(負けるといつもこうですな) 僕はとにかく、以前のブログ記事でも書いてますが、終わってからあれこれと批判を言わない主義なので、今回の小久保監督の采配に関して何も言うことは有りません。「勝負」とはこう言うものだからです。絶対なんてことは有りません。何が起こるかわからない、だからスポーツは面白いんです。 とは言え、もともとこのブログは、草野球チームのキャプテンのエッセイとして書き始めたものだったので、いちおう?野球ネタとして、せん越ながら書き残しておこうかと思いました。 僕が思うに「小久保監督」とは、多くの人々が大会の主旨もわからず、イマイチ盛り上がりに欠けていた「プレミア12」を、奇跡的な逆転劇などで勝ち進み、テレビの視聴率をウナギ昇りにさせ、売り上げイマイチだった決勝トーナメントの入場券を完売させた、最大の功労者と見るべきだと思っているのです。 でも「85球しか投げてない大谷投手を交代させる致命的なミスを犯してるんだぜ!」と、怒り心頭の人たちも多いようですが、じつは、小久保監督は「球数制限のある試合」を意識した采配、つまりWBCのシミュレーションと言う命題も担っていたわけなのです。当初こそ本人も「プレミア21は球数制限の無いガチ勝負」と言ってましたが、現実には、全ての試合で先発投手が7イニング以上投げることは有りませんでした。 本来、彼に託されたモノとは「WBCの王座奪還」だからなんです。こう言っちゃなんですが、「プレミア12」とは、大義はいろいろと言われてますが、所詮はWBCの裏大会なんです。だからアメリカ代表はマイナーの選手しか集めなかったし、本気だったのは日本と韓国くらいで、そう言う大会での優勝は、残念ながらホントの意味の王座奪還とは言えないわけなのです。 大谷投手は、次回WBCでも中心選手となる公算は高いです。しかしながらその時には、否応なしに球数制限で交代しなければなりません。今回は

自転車のチェーンも交換した

★こないだ後ろギア(スプロケット)を交換したら、古いチェーンとのピッチが合わず、ゴリゴリと嫌な感触がするようになったので、チェーンも新しいのに交換することにしました。写真の右は新チェーン(6速〜8速用)。左がチェーン・カッターという「切り離し&接続」の道具です。 ◎amazon:SHAMAN CN-HG71 6/7/8S  ◎amazon:PWT チェーンカッター BT-15R まずは古いチェーンを切り離して抜き取ります。チェーンはたくさんの玉?(リンクと言うそうです)で出来てますが、これらはコネクティングピンと言うものでつなげられています。そのピンをチェーン・カッターで押し出して外すわけです。 カッターの突起棒をピンに当て、ネジを回すと次第にピンが押し出されて行きます。それなりに力は要りますが、そんなに難しくはありません。 チェーンを外してギアから抜き、新しいチェーンと並べてみます。新品はリンク(玉)が数個余分に付いているので長く見えますが、比較すると、古いチェーンの方が、一個一個のリンクが伸びています。 とりあえず、両方のリンクの数を数えて、同じ数のところに印を付けておきます。 新しいチェーンをギアに通し、クランク側と後輪側の両方をトップギアにします。 そうしてディレーラー(変速機)に付いている二つの小さなギア「ガイドプーリー」と「テンションプーリー」が縦1列になるように、チェーンの長さを調節して針金などで仮止めします。(だいたいの場合はチェーンに付けた印のあたりになるそうです) 長さが決まったら、いらない部分のリンクを切断します。これも古いチェーンを外したときと同様に、チェーン・カッターでコネクティングピン抜き出します。 (ここで切断場所を間違えると大失敗になるので、よくよく注意して確認します) 次に、新しいチェーンの両端の穴に、新しいコネクティングピンを差し込みつなぎ合わせます。写真の突起がコネクティングピンです。 実際に使用するものより二倍くらい長くて、真ん中に切れ込みが入ってます。ピンを通し終えたら、この切れ込みに沿って余分なところをペンチで折って長さを調節するのです。 コネクティングピンを押し込むには、先ほどのチェーン・カッターを使用します。よく注意して、ゆっくりネジを回します。 やり過ぎてピンを向こう側まで押し出してしまったら大失敗なので、時折り手を

自転車のスプロケットを交換してみた

★愛用の自転車「ラレー」なんですが、このところ力をいれて漕ぐと、チェーンがギアから外れてガリガリっと空回りするようになりまして、調べてみたら後輪のギアの歯が摩耗して丸くなっていたんです。これでチェーンが滑っていたんですね。チェーンも指で引っ張った感じではユルユルで、だいぶ伸びているようです。 考えてみたら2005年に購入したので、もう10年。本当はもっと早く交換した方が良かったのですが、ついつい先延ばしになっていました。先延ばしになった理由には、店に頼むと高くつくし、自分でやるには技術を勉強しないとダメだしで、面倒だったんですね。 とは言え、昔のようにノウハウ本を買わずとも、今はネットで調べられるので、検索してみたら、やり方と工具の説明がたくさん見つかりました。 難易度的にはそれほどでもなさそうだったので、Amazonで(写真右から)「交換用カセット・スプロケット(後輪ギア)」と「スプロケット固定工具」「ロックリング締め付け工具」を購入。さっそくやってみることにしました。 ◎Amazon:SHIMANOスプロケット CS-HG41 8S 11-32T ◎Amazon:スプロケット 取り付け/取り外しセット まずタイヤを外しました。古いスプロケットの写真です。ちょっと目には分かりませんが、歯の先端が摩耗で丸くなっています。このためにチェーンが滑って空回りしていたのです。 中心部に溝のある輪っかが見えますが、これが「ロックリング」と呼ばれるもので、この溝に工具を合わせて差し込み、ネジを緩めるわけです。 二つの工具はこのように使用します。ロックリングのネジを緩めようと、レンチを左に回すと空回りしてしまうので、短いチェーンが付いた工具でギアの回転を止めるのです。 これまで、タイヤの交換、ホイールの振れ取り、ハブのベアリング当たり出しなどは、何度も経験してコツをつかんでいますが、スプロケット交換は初体験なので、けっこう緊張します。 が、「せいの!」と力を入れたら、あっけなく外れました。外すと写真のようになります。車輪の下に置いてある黒いのが、外したスプロケットとロックリングです。 で、スプロケットがハマっていた芯のことを「フリーハブボデイ」と呼ぶそうなのですが、これの汚れと古い油をふき取り、新しいグリスを塗ります。フリーハブボデイにも複数の溝があり、これにそってスプロケットを

予知されたタイムリー(ガリレオ先生とセキグチ少年)

★1974年、超能力者を名乗るユリ・ゲラーと言う男が来日、テレビに出演して、念力でスプーンを曲げたり、壊れた時計を動かしたりして日本中を驚かせました。 それを見ていた子供たちも影響され、日本のあちこちで超能力少年、超能力少女が現れました。中でも、関口君と言う小学生の能力は突出していて、何度もワイドショーや雑誌で取り上げられ、ユリ・ゲラー以上の脚光を浴びるようになって行ったのです。 ・・これはその頃に聴いた、奇妙な野球中継の記憶です。 ある日曜日の午後、当時、中学生で広島カープのファンだった僕は、いつものように趣味の油絵を描きながら、ラジオの野球中継を聴いていました。そこにゲストとして、関口少年が招かれたのです・・・ * 「予知されたタイムリー」 (ショート・ストーリー風に・・) 本当に、世の中は変わってしまった。彼はテレビの超能力特集番組を見ながら、そんなことを考えていた。同時に、もしあの少年が、今の時代に現れていたなら、あんな事件にはならなかったのかも知れない、とも思うのだった。
 彼は某ラジオ放送局アナウンス部の管理職。今はもう現場を退いた身で、マイクの前に座ることも稀である。 彼は、野球の実況中継をするのが夢でこの仕事についた。その直後から巨人の9連覇時代が始まり、王、長嶋らを中心とした空前のプロ野球ブームを迎えることになる。 しかし、毎試合が名勝負とは限らない。平凡で退屈な試合だっていくつも有る。むしろその方が多いくらいだ。そしてあの日も、本当はそんな無数の、平凡な試合の一つとして終わるはずだったのかも知れない。 日曜日のデイゲーム、巨人対広島。 グラウンドでは両チームのウォーミングアップが続いていた。 いつものように、解説者と打ち合わせを済ませたあと、今日は、隣に座っているゲストの少年に話しかけ、ご機嫌をうかがう。 少年は「関口君」と言って、念力でスプーンを曲げたと騒がれている子供だ。 アナウンサーはその子が巨人ファンであり、熱烈な森捕手(元西武監督)のファンであることを聞き出した。それから、放送が始まってからの手順を解りやすく説明して、時間が来るのを静かに待つようにとも伝えた。 間もなく放送が始まる。 「さあ、今日は解説の◯◯さんの他に、大変なゲストをお招きしています。こんにちは!」 「こんにちは・・」 少年はぼそりと答える。 「今日のゲストは、あの有名

この夏の怪異現象

 ★今年は終戦から70年とのことで、いつもより多くの特集番組をやっていたような気がします。原爆についても同様、記念式典の中継やドラマなど、いろいろありました。ウチの母親もそれらを見ていたようなのですが、ふと、妙なことを言い出したんです。 「原爆ドームって中に入れるの?。あのてっぺんは展望台か何か?」 と尋ねるのです(母は広島を訪れたことが無い)。「急に何を言い出すのか」とよく聞いてみると、テレビを見ていたら、原爆ドームを映したときに、破壊され剥き出しになったドームの鉄骨の中に「黒い人影」が見えたと言うのです。それは明らかに鳥などではなく、人の形をしており、左右にゆっくり動いていたと言うのです。 もちろん原爆ドームは、内部はおろか敷地内に入ることさえ出来ません。いわんや「展望台」のわけが有りません(僕はかつて訪れたことがあります)。では母親が見たものは何だったのか?。物理的に何か映っていたのなら、中継していたスタッフも気づいただろうし、話題にもなったでしょう。なら、母親だけが感じ、見たものだったのか・・ 念のため言っておきますが、見ていたテレビは、今どきの47インチの大きな液晶テレビですから、大映しの鮮明な映像だったことになります。僕が一緒に見ていたのなら、見間違いか、あるいはこの世のものでは無い何者か?だったのか、判別できたと思うのですが、残念ながら、見ていなかったので何とも言えません。 が、ホントに何かがいたのだとしたら、未だ浄化されていない霊体の可能性もあるので、いろいろ気にはなりました。ウチの母親には少し変わったところが有り、子供のころから様々な怪異現象を経験したようなので、またもや?と言う可能性は否定できないのです。 ★その母親のことで、ここ数年、初めて知ったことがありました。どうも母は「宝くじを毎回 小さく当てるらしい」と言うことなんです。2、3年前から、「細かい文字を見るのが面倒だから」と、購入した宝くじを、僕が頼まれて確認するようになったのですが、やってみると、どの宝くじでも、だいたい3000円以上は当たっていることに気づいたのです。 両親とも、いつも決まって二束20枚購入するのですが、父親は下一桁の300円、それが二枚当たって600円くらいが通例なので、そんなもんだと思ってました。しかし母親の方は、20枚のうち最低でも3000円以上、大きいときは10

今年のめんつゆは、これにする!

*最近、写真の「ヤマキ・鰹節屋のだし・めんつゆ」と言うのに凝ってます。いろんな「つゆ」や「スープ」を試すのが好きで、これもその趣味?の一環で、試しに購入してみました。 今まで自分の中では、数ある「つゆ」の中でもあまりに一般的、ちょっと地味で、それほど興味の対象には思えなかったのですが、「増量中」キャンペーンにそそられ買ってみたのです。 で、スーパーで揚げたての「揚げ玉」を買い、それでタヌキ蕎麦を作ってみることにしました。すると、つゆを温めている間に思わぬ異変?が起こりました。 キッチンに、「おそば屋さんと同じ匂い」が立ち込めて来たのです。ガラッと店の戸を開けた瞬間に食欲をそそられる、東京のおそば屋さんの甘辛の匂いだったのです。 もちろんどんなつゆでも、温めればダシや醤油の匂いが立ち込め、そこそこの匂いにはなりますが、この「ヤマキのつゆ」はそのレベルを越え、子供のころ、たまの贅沢で親に連れられて行った、おそば屋さんの懐かしい記憶さえ呼び起こす?ほどだったのです。 で、思わず「ああっ、これはたまらん!」とガゼン乗り気になって、生そばを茹で、タヌキ蕎麦に仕上げて食べてみると、味も「おそば屋さん」にとても近い味で、中々美味しかったですね。 さらに「もりそば」ではどうだろう?と言うことになって、後日試してみたら、いつも食べている「永坂更科のそばつゆ」よりは薄味にはなりますが、クセの無い味なので、むしろ2015年はヤマキで行こうかなと思いました。 ・・ただ、前にも書きましたが、僕が探しているのは、あくまで「東京(江戸?)の蕎麦つゆの味」なのです。なので、地方出身の人の口には合わないかも知れないので、強くお勧め、というわけでは有りません。 ◎東京の そばつゆ(2009年) *あと「冷麦用・そうめん用」としては、西友オリジナルの「みなさまのお墨付き・そうめんつゆ」がとても美味しいので、2015年のメインにすることにしました。 当たり前ですが、そば用と比べると甘みが少なめで、さっぱりしています。冷麦の薬味としては、ミョウガが一番好きなので、ミョウガの風味が生きるつゆとして、これはいいと思います。あと付け合わせに、ザク切りにした「新生姜」なんていかがでしょう? まあ、冷麦用とそうめん用では、麺に絡みつく量の違いで、つゆの濃度に多少差があるようですが、自分の場合は、まあ、どっちでもいいっ

続・自衛隊サンダーバード化計画

 *先日、ネパールで大地震があって、各国から救助隊が向かったと言う報道があったとき、ある解説者の、「もっと、自衛隊の戦闘能力ではなく、災害救助の優れた能力を世界にアピールするべきではないか?」との発言を耳にしました。 こう言う考え方はじつは僕もずっと持ってまして、ブログで「自衛隊サンダーバード化計画」なんてのを書いたことがあります。少し前には田中康夫氏も「自衛隊をサンダーバードにするべき」と語っているのを聞きまして、同じように考える人は随分いるのではないか、と認識を改めるようになりました。 僕が「自衛隊サンダーバード化計画」を最初に書いたのは、ブログを始める以前のこと、自分でアップしたホームページの中でのことです。それに少し加筆してブログに転載したのですが、ブログは2005年から始めたので、原文を書いたのは2005年以前と言うことになります。 が、ネットで調べられる限りでは、「自衛隊のサンダーバード化」と言うのは、言い方こそ違え、1990年代辺りから言われ始めていたらしく、語り口も論理的で、単なる「夢物語」とは言い切れないものがあったようです。つまり決して新しい考え方ではないと言うことなのです。 僕にとっては、大災害が起こるたびに思い浮かぶことで、ブログに転載したのも中国の四川大地震が起こったのがきっかけでした。今回も、ネパールのなかなか進まない救助活動を歯がゆく思い、ついつい言いたくなってしまったのです。とは言え、同じことを何度書いてもキリが無いので、とりあえずは過去の記事をリンクしておくだけに留めます。 ◎ 自衛隊サンダーバード化計画 こんな話しを書くと、どうしても「夢想家」と言われそうで、自分でもやや自嘲気味に書いているのですが、でも、ホントに夢を見ているのは誰なんだろう?、なんて思ってしまうこともあるのです。 先日、総理がアメリカへ行って、尖閣諸島をめぐる日米安保条約の適用について日米双方で確認したとのことで、大喜びしてたようですが、これちょっとカラクリが有るんですよね。日米安保条約で肝心なのは、「日本国の施政の下にある領域(であることが条件)」という項目なんです。 つまり、たとえば、尖閣諸島を日本が実効支配している間は、アメリカが援護してくれますが、仮に、一夜にして何者か?が上陸して日本を追い出し、ひとたび「日本国の施政の下にある領域」でなくなってしまった

ドラマ「ビブリア古書堂の事件手帳」を見たら・・

 ★先日、タイトルの書いていないDVDを何枚か見つけまして、「ハテ、何を録画したんだっけ?」と見てみると、2013年にフジテレビで放送した「ビブリア古書堂の事件手帳」でした。 これはチマタでは「月9ドラマ史上最低の視聴率」などと散々な言われ方をしたヤツですが、僕の感性によれば、地味で小品ながら中々の出来映えだったと想ってます。 逆に、すごい視聴率をマークした「半沢直樹」などは、もちろん全部拝見した上で言わせてもらえれば、あれは、すごく面白かったけど、見終わった後味が「大げさな水戸黄門」みたいだった、と想いました。 さて「ビブリア古書堂」ですが、元々は小説が原作で、主人公、古書堂の若い女性店主「篠川栞子(剛力彩芽)」が、鋭い洞察力と推理力で、一冊の古書をめぐる謎を解いて行く話しです。 相手役に「五浦大輔(EXILE AKIRA)」。この五浦大輔と言う男は、ひょんなことからビブリア古書堂のアルバイト店員になるのですが、何と「本が読めない男」と言うムチャな?設定なのです。強引に本を読もうとすると、貧血やめまいを起こしてしまうと言うことになっているのです。 「これ、視聴者は理解できるのかな?」と、少し不安になりました。フツウの人にとって、本がまったく読めない人間なんてリアリティを感じないかも?と想ったのです。ですが、こういう人ってホントにいるんですよ。何故そう断言できるかというと、僕自身がかつてそうだったからです。 あれは十代、ちょうど中学生の頃でした。ドラマの五浦君は「めまい・貧血」と言うやや病的な症状のようですが、僕の場合はそうじゃなくて、ふわーっと、いつの間にか別のことを考えてしまうと言う妄想癖でした。 詳しくいうと、本を読もうと文字を追っていくうち、何かの単語に気を取られてしまうのです。するとその単語にまつわる色んな連想が沸き上がり、ついには、文脈とは関係の無い妄想の世界に入り込んでしまう、と言う感じでした。途中ハッと我に返り、「いけない、文章を読まなければ」と、戻そうとしてももうダメで、どんどん本と関係のない空想の中に入り込んでしまうのです。 後々分かることなんですが、これは「雑念恐怖症」と言う、神経症の一種だったようです。(今もこう呼ぶのかは不明です)。人によっては、本に集中できないことに深く悩み、余計に症状を悪化させてしまうことも有るようです。 僕の場合、あま

オレンジクリーナーを買った、ダイソーで・・

★ある年の冬、白いダウンジャケットを着て自転車で出かけようとしたら、途中で自転車のギアの調子が悪くなりまして、家に戻り、出かけた時のままの格好で、ギヤやチェーンをいじり出してしまったことが有ったのです。 自転車をいじる時は、ホントは汚れていい格好に着替えるのが原則なのですが、直したらすぐにまた出かけるつもりだったので、ついつい白のダウンのままやってしまったのです。そうしたら案の定、知らぬ間に、袖からヒジにかけてべっとりと黒い油汚れを付けてしまったのです。 その時はもうガッカリしまして、「このダウンはもう着れないなあ」とあきらめてしまったのです。それまではマメにクリーニング店に出したりしていたのですが、ガッカリし過ぎて、そんな気力も無くなっていました。で、しばらくそのままにして、古い紺色のダウンジャケットを着ていたのですが、ある時、ダイソーで物色していたら、写真の固形石鹸「スーパーオレンジクリーナー」を発見したのです。(もちろん税込み:¥108) 箱の注意書きを読むと、「オレンジオイル配合」を書いてあります。これまで「シトラスクリーナー」とか「オレンジスプレー」など、「オレンジオイル」が油分を分解することは経験上知っていましたが、あれは主にインラインスケートのベアリングの掃除などに使用したものでした。 が、これはどうも「衣類」の部分洗いに使うものらしいのです。で、なぜか「ひょっとしたら、これで白いダウンの油が洗えるかも知れないぞ」とひらめいてしまい、ダメもとで試してみることにしたのです。ついでに軽くこする用のブラシを購入し、帰宅しました。 洗面所で汚れた部分を水に浸し、オレンジクリーナーをこすり付けて泡立て、その上からブラシで汚れを削り出す、と言う感じで作業を進めると、みるみる内に汚れが流れて行くのです。それを水で洗い流してみると、驚いたことに、ほぼ油汚れが落ちていたのです。わずかに小さなうすい灰色のシミが残ってはいましたが、パッと見はまったく分かりません。 「これはいい!」と言うことで、それ以外の汚れや、襟の汗染みもこすり落とし、袖の毛糸の部分も真っ白にして・・、しかしながら、それを手洗いでゆすぐのは大変なので、もうすっかり水分に浸してしまった後だし、無謀か?とは想ったのですが、「エイヤッ!」とばかりに、洗濯機に突っ込んでしまったのです。 脱水の時にダウンジャケット

間違いだらけの・・

 ★今では漫画もイラストも、コンピュータで描きデータ納品することが当たり前で、納品もメールかダウンロードで先方に送るのが常識となってますが、これはまだ僕が、イラストボードに絵の具で描いていた頃の話しです。 その日は、出来上がったイラストを納品するために、都心の、とあるデザイン事務所に出かけていました。そこは皇居のお堀の近くで、ビル(マンション?)の7階でした。デザイナーに作品を手渡し、エレベーターで1階まで降りる途中のことです。 何階だったか忘れましたが、不意にエレベーターが止まり扉が開きました。乗り込んで来たのは、小太りで白髪まじりの初老の男性でした。見たことのある顔だったので、僕は反射的に、「あっ、こんにちは・・」と笑顔で挨拶してしまったのです。が、相手は怪訝そうな表情でこちらを覗き込み、それから低い声で「こんにちは」と返して来たのです。 その様子にこちらも不安になり、「顔は知ってるんだけど、ハテ、誰だったっけ?」と、背中を見ながらアレコレ考えている内に、「あっ!この人、自動車評論家の徳大寺有恒さんだ!」と想い出したのです。いろんなメディアで見ていたので、つい「顔見知り」だと思い込んでいたようです。 「しまった・・ マズかったかな?」と少しバツの悪い想いをしていたのですが、1階に到着し扉が開くと、「では、お先に」と、軽く会釈しながら外へ出て行かれたのでした。その自然な振る舞いのおかげで、後味の悪い想いをせずにすんだのです。 その「徳大寺有恒さん」が、11月7日に亡くなりました。訃報が流れた時、しばし言葉を失い、免許とりたてで車に夢中になっていた頃のことを想い出していました。 同氏の著書「間違いだらけの車選び」のシリーズがヒットしていた頃で、夢中で読みあさった記憶があります。徳大寺氏の「間違いだらけの車選び」と、三本和彦氏の「新車情報(TVK)」が、車に関する欠かせない情報源でした。 徳大寺氏の著書で一番印象に残っている言葉は、「群れて走るな!」と言う一節です。これは「間違いだらけ・・」だったのか、それとも他のエッセイ本だったのか、もう想い出すことは出来ませんが、これは今でも僕の運転の信条となっています。まあ一般道ではある程度仕方無いですが、高速などでは、極力他の車が見えないくらいの距離をおいて走るようにしています。 これは中々難しいのですが、いわゆる「金魚のフン

神宮ラストゲーム

★むかしむかしのお話しです。広島カープが創設26年目にして、ようやく初優勝を成し遂げた翌年、つまり1976年のこと・・ この年、神宮球場で行われるヤクルト×広島三連戦の、決まって三試合目に姿を現す二人の女子高生がいました。彼女たちは、紺色のブレザー姿のまま球場を訪れ、まだ芝生敷きだった外野席の一角に腰を下ろし、ヒザを抱え、どこかボンヤリとした雰囲気で、静かに野球を眺めていたのです。 彼女たちが、いつからどんな理由で姿を見せるようになったのかは分かりません。ただ、1976年のシーズンが終了するまで、それが間違いなく続いていたことだけは確かなのです。 当時、僕は美大受験(油絵)を目指す浪人生でした。現役、一浪目と失敗し、二浪目に突入していたのですが、その頃には、実はひどいスランプに陥っていたのです。 美大を目指すくらいなので、もちろん絵には自信が有りました。子供のころから写実的な描写が得意で、「絵の天才」などとチヤホヤされ、自分でもそう思い込んで育って来たました。が、そんな奴らは、世の中には数えきれないほどいたのです。 都心の美術研究所とは(美大予備校はこう呼ぶ)そんな「田舎の天才たち」が何百人と集まる場所でした。天才だったはずの僕は、いつしかその集団の中に埋もれ、すっかり「並みの人」になっていたのです。 毎月行われる油彩とデッサンのコンクールでも(いわゆる模擬試験?)何度描いても下位に低迷し、一位になる作品の何処がいいのかもさっぱり理解できない、そんな泥沼のような毎日が続いていました。 そんな時、ふとした思いつきで見つけた気晴らしが、神宮球場での野球見物でした。研究所が新宿に有ったこともあり、帰りに足を伸ばすにはちょうどいい距離だったのです。中学のころから熱烈な「広島ファン」だった僕は、ヤクルト×広島戦の予定を調べては出かけて行きました。 当時の「ヤクルト×広島戦」は、まるで人気の無いカードで、応援団のいる内野席はまだしも、外野席はいつもまばら、誰が何処にいるかもすぐに分かるほどでした。だから、制服姿の二人の女子高生を見つけることは、それほど難しいことではなかったのです。 当初は「あの子たち、また来てる・・」という程度の印象だったのですが、それが何度も続くとなると、やはり興味が湧いて来ます。いつしか神宮に来るたび、まずは外野席を見回し、彼女たちの居場所を探すようになっ

TOPEAK(トピーク)のライドケースを付けた

 ★このところ世の中は「iPhone6」の話題で持ち切りですが、僕のiPhoneはまだ6どころか5でもなく、4sのままなのです。じつは一度水没させて修理に持ち込み、別のものと交換することになったので、その分バッテリーの寿命が伸び、現在まで使い続けることになったのです。iPhoneの修理は基本的に全取っ替えとのことで、持ち込まれたヤツをオーバーホールして、別の修理時に交換品として出すらしいです。 で、iPhone6が出たら、4sはアップルのラインナップから外されるとのことで、今、ショップでは4s用のアクセサリー類が非常に安くなっておるのです。それに釣られて、ついついこれを買ってしまいました。ホントなら4000円くらいするやつですが、1000円ほどで(送料無料!)で購入することが出来ました。(写真は拡大できます) 「TOPEAK ライドケース」とは、スマホを自転車用ナビとして使用するためのホルダーです。もちろんこれまでも、いろんなiPhone用ホルダーを取っ替えひっかえ試して来たのですが、なかなか「これだ!」と想うものに行き当たらず、今に至っていたのです。 何がダメだったのかと言うと、自転車と言うのはかなりの振動があるので、まずは「絶対に落ちないもの」でなければなりません。ところが、落ちにくいものは得てして「外しにくいもの」であることが多いのです。 サイクリング中にトイレに行きたくなったり、コンビニに入るときなど、盗難に用心する必要があるので、外しにくものは実は不便でしょうがないのです。 そしてまた、iPhoneをケースに入れたままだと、ホルダーにハメられないものが多く、自転車に乗るたびにケースから出さねばならず、面倒だったりします。あとは、見た目がゴツくなりやすいこと。iPhone装着時はまだいいのですが、外したあとハンドルにホルダーだけが残ると、どうにも見た目が悪いのです。 そんないろんな条件を考慮して行って、最後に行き着いた製品がこの「TOPEAK ライドケース」でした。が、いかんせんこれにも欠点が有ったのです。 それは値段が高いと言うこと。確かにモノはいいが、これに4、5千円出すと言うのは、チト痛い‥、と想って迷っていたら、iPhoneモデルチェンジのため4s用がどんどん値下がりして来たことから、これは買い時だ!と言うことになったわけなのです。(赤い棒のようなも

天神様と稲妻

★私の母にまつわる怪異現象?について、これまでもいくつか書きました。その中でも一番印象に残る話しとしては、天神様と呼ばれる山の上の神社で起こった落雷の話しだったと想うのですが、その後、母から聞き直してみたところ、いくつか実際と異なる部分があると分かりました。幼いころ何度も聞かされ、しっかり覚えていると思い込んでいたのですが、細かい部分で記憶違いがあることが判明したのです。なので、それを訂正したものをもう一回アップしたいと想います。 私の母は雷を異常に怖がります。雷が鳴りはじめると部屋に閉じこもり、何もしなくなってしまうくらいなのです。もちろんそれには、そうなるだけの理由、今で言う「トラウマ」となる出来事がありました。 私の母は昭和一桁生まれで、秋田県大仙市(当時の大曲)の小さな村で育ちました。が、小さいながら、当時は子供たちのたくさんいる活気に満ちた所だったとのことです。その村の中心には、天神様と呼ばれる山が有り、二百段ほどの石段を登ると、頂上には神社が有って、境内は十数人の子供が走り回って遊べるだけの小さな広場になっていました。(私も子供の頃、里帰りする母に連れられ何度も登ったことが有ります) その日、母は遊び友達の女の子と二人、天神様に向かって階段をかけ昇っていました。冬は雪に閉ざされ登れません。これは夏の良く晴れた日の出来事なのです。以前書いた時は、この時の母は10歳以下と思い込んでいたのですが、どうやらもう少し年上の、12〜13歳くらいだったようです。 途中母は、その友だちにいたずら話を持ちかけられました。昔から村の大人たちに絶対に見てはいけないと言われている、天神様の御神体を見てしまおうと言うのです。私の母は、そんなおっかねえことはやめようと、しきりに説得したのですが、相手の女の子は聞く耳を持ちません。 頂上に着くと、すでに授業を終えた小学生から中学生くらいの子供たちが遊んでいました。その中には母の弟(私の叔父)もいて、一緒に遊んでいたそうです。つまりこれは、子供ながら複数の目撃者がいた現象だったと言うことなのです。 その友だちは、神社に着くなり、尻込みする母の手を引っ張って社の階段を上って行くのでした。そうして引き止める母の声も聞かず、ほこりにまみれた扉を開け、御神体が祭られているはずの、奥の戸を開けてしまったのです。・・が、そこには、古びた丸い鏡が置か

サッカー日本代表の背丈、その後・・

 ★先日、こちらのブログ 「なんか、サッカー日本代表って・・? 」を読んだ友人から、いろいろ意見を寄せられたのですが、まあ、そこにも書いたように、自分はサッカーについては全然くわしくないので、結論めいたものは何も答えられませんでした。 ただ「サッカーと言うのは野球などと違って、背が低くても通用するスポーツなのでは?」と意見については、やはり半信半疑だったのです。で、その根拠が知りたくて、たまに仕事の合間にネットなどを探して見るのですが、サッカー評論家や代表OBは、作戦や技術、精神面を批判するばかりで、「日本代表の体格」については指摘する人がほとんど無く、けっきょく素人の思い過ごしだったのか?と想っていたのです。 ところが、Yahoo!でこんなコラムが有るのを見つけました。 ◎ 元セレッソ大阪監督のレヴィー・クルピ氏が語る、 日本がW杯で実力を発揮できなかった最大の要因とJリーグへの提言 この記事がいつまでアップされているか分からないので、あえて引用しておきます(こんなに使っていいのか不明ですが‥‥) *Yahoo!ニュース 「レヴィー・クルピが語る、日本がW杯で実力を発揮できなかった最大の要因とJリーグへの提言」より 『現代のフットボールではサイド攻撃が非常に重要であり、またサイドを破られるとほぼ必ず大きなピンチを迎える。とりわけ、日本には高さと強さを備えたCBが少ないため、相手にサイドで起点を作られてクロスを入れられると、致命傷となることが多い』 『また、本来は高くて強いCBと、それほど大柄でなくてもいいがスピードのあるCBが同時に出場し、互いにカバーし合いながら守ることが必要だ。しかし、この試合で、日本はそのどちらの条件も満たすことができなかった』 『日本の場合、サイドバック、攻撃的MFには欧州でも通用する選手がいるが、CB、GK、ボランチ、CFでは非常に少ない。優秀なCB、GK、CFを育てるためには、将来大柄になる素質があるタレントを十代前半までにスカウトしてきて、かつてそのポジションで高いレベルでプレーした経験を持つ専門のコーチをあてがい、計画的に育成するしかないだろう』 『日本選手が持ち前のテクニックを発揮できなかった最大の理由は、W杯のインテンシティ(プレー強度)の高さにある。W杯では、選手たちがボールを自分のものにするため、すさまじい勢いでぶつかり合う